法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
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寺報「西念寺だより 専修」 年1回発行 ~ 第46号<2021年7月発行>
 
新型コロナウィルス禍が教えてくれるもの

1  新型コロナウィルス禍
一昨年の暮れ頃から世界中を席巻し始めた新型コロナウィルス禍はいまだに終息の気配を見せていません。

ワクチンの接種は急ピッチで進んでいるものの、治験抜きのスピード承認もあってその危険性が取り沙汰されていますし、ウィルスの方もアルファ株(イギリス由来)、デルタ株(インド由来)と次々と変異株が出現し、それらは従来株(中国・武漢由来)よりも感染力が強く、重症化の確率も高いと言われています。
たとえワクチン接種が済んだとしも「絶対に罹からない」という保証はありません。
毎年予防接種しているインフルエンザでも罹かる時には罹かるのですから。
当面は従来通り〝三密〟(密閉・密集・密接)を避ける、マスク着用、手指の消毒、ソ―シャル・ディスタンスの確保等、個々人が予防に努めることが肝要だと考えます。

昨年から続くこの異常事態に、旅行業界・飲食業界等を始め、影響を受けていない業界・職種はおそらく一つもないと思いますが、当西念寺でも、従来ならば親戚一同が集まられてご自宅で勤めておられた年回法要も、家族のみで寺の本堂に参って勤めていただくよう勧める、あるいは例年6月に開催されていた定例評議員会等も、議案配布の上委任状によって議決を一任していただくことにするなど、様変わりを余儀なくされております。

こんなにも人の行動が厳しく制限される時代が来るとは、ほんの少し前まで誰も想像してはいませんでした。

しかし、いたずらに嘆くばかりではなく、この事態を通して私達が学べること、何か気づかせてもらえることはないのでしょうか。

2  三法印

今から2500年ほど昔、インドに誕生された釈尊釈迦牟尼仏世尊(シャカ族出身の尊者)は、出家修行の末、この世の真理を悟られ、仏陀(ブッダ、目覚めた人)と讃えられました。

釈尊の悟られた真理は「三法印」(さんぼういん、三つの法の旗印)と呼ばれます。
①諸行無常(しょぎょうむじょう)
すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である。
②諸法無我(しょほうむが)
すべてのものごと(法)は、それ自体独立した固有の実体(我・アートマン)を持たないし、また自己〔の所有物〕ならざるものである。
③涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
涅槃(ニルヴァーナ、すべての煩悩を滅した状態)は、安らぎである。

この三法印の①「諸行無常」とは、この世のあらゆる事物は互いに影響し合い、さまざま要素や条件(縁)によって絶えず変化し続けて、一定の状態に留まることがない、といういわゆる「縁起の理法」を別の角度から言い表したものです。

②の「諸法無我」は、固有不変の実体(我)を持たない(無我)から全てのものは変わっていかざるを得ないのであり、あらゆる事柄が無常であることで無我であることがおのずと証明されるのです。

またこの「我」には自己、言い換えれば主人、我が物(所有物)といった意味もあって、「諸法無我」をあらゆるものは私の所有物ではない。自分は何物の主人でもなく、全てのものは私の自由にはならない、と解釈することもできます。

私の命・肉体も独立不変(我)ではないからこそ様々な要因によって老い、病み、死んでいかなければなりませんし、私の命や肉体が私の物(我)であるならば、私の意思のままにでき、老いや病い、そして死からも自由でいられることになります。

これに対して、 私達の心は自分がいつまでも若く健康でありたいと願いますし、楽しい時間が永遠に続けばよいと考えます。
しかし現実は無常であり、形あるものは滅び、出逢った人とは別れ、命あるものは必ず死を迎えねばなりません。
無常の事実はまた、人間にとって無情・非情ですらあります。

また、私達の心の奥底には、世界や他人、更には自分自身をも己の意のままにあらしめたい、動かしたいという根深い欲求があります。
しかし、世界は自分を中心に回ってくれているわけではありませんし、我が身一つですら自分の思い通りにはなってくれません。

無常・無我の事実に対して昏い、無智(無明むみょう)であるがゆえ、人生の厳粛な事実を容易に受け入れ難いがゆえに、私達は時に怒り(瞋恚しんに)、時に不平不満をこぼし(愚痴ぐち)、人を羨み妬み、どこまでも満足できずに時に激しく貪る(貪欲とんよく)という煩悩(ぼんのう)の虜となってしまいます。

無常・無我という真理を正しく見ることを通してそれらの煩悩から離れた静かで安らかな境地(涅槃寂静)を得るというのが、仏教という実践的宗教の究極の目標であることを示すものが三法印の③「涅槃寂静」なのです。


   
 
   
  《新型コロナウィルス 「SARS-Cov-2」》
   
 
3  コロナ禍は何を教えるのか

この「三法印」を手掛かりに今の時勢を眺めた時、何が見えてくるでしょうか。

まず第一に思うことは、

「この世(人生)は何が起こるかわからないものだ。
いやむしろ、何が起こるのかわからないのがこの世(人生)というものだ」

ということです。

予想外の出来事が起きた時、私達は「なぜこんなことになったのか」と嘆きます。
しかし、そうではないのです。
「予想もつかないことが起きる」のが私達が生きているこの人の世なのです。

現在の私達にマスクのない生活が考えられるでしょうか。
外出時のマスク着用は今や「義務」「常識」にまでなっています。

しかしほんの少し前まで、皆がマスクをつけて生活しなければならない事態になることは誰も予想していませんでした。
ここ2年足らずで私達の生活習慣、常識は完全に変わってしまったのです。
2年前まで義務でも常識でもなかったマスク着用が今は破ってはならない義務・常識に変わったのです。
まさしく「諸行無常」以外の何物でもありません。

昨年当初、新型コロナウィルス感染症が世界中に蔓延し始めた頃、ネット上ではこれを「武漢肺炎」と呼び、いわゆる「陰謀論」として、このウィルスは中国武漢市の中国科学院武漢ウィルス研究所で遺伝子操作によって造られた生物兵器で、誤って市中に流出したのではないかという噂が流れました。

もちろん真偽の程はわかりませんが、仮にウィルスの流出が事実だとしたら、中国政府は科学技術によって眼に見えないウィルスでさえ自由自在にコントロールできると考えていたことになります。
何という過信、驕りと勘違いでしょう。

この私にしても、人類は遠からずすべての感染症を克服するだろうと考えていました。
仮に未知の感染症が発生するにしても、どこか遠くの、地球の裏側あたりの未開地域、医療が行き渡らない地域の話であって、時間こそかかってもやがては撲滅されるだろうし、自分が暮らしているこの日本までは到底やってこないものだと漠然と信じていました。

つい先日(6月20日)、沖縄県を除く9都道府県(東京、大阪、兵庫、京都、福岡、愛知、北海道、岡山、広島)の「緊急事態宣言」が解除になりました。※1

しかし、感染拡大「第4波」の最中、それらの自治体の中でも特に大阪府は、感染者数が収容病床数の数倍にも及ぶ「医療危機」に陥り、鳥取県からも看護師が派遣されました。

感染者が病床数を超えれば当然多くの感染者は、重症化の不安に怯えながらの自宅待機を余儀なくされます。
そしていざ重症化しても病院に収容してもらえる保証はどこにもなく、実際に自宅でそのまま亡くなられた方も決して少なくなかったと思われます。 (実際、大阪府の死者数は全国一位)

昨年から続く異常事態の中、大阪(府・市)の元首長が自身のツイッタ―に、かつて自らが断行した「徹底的な改革」(公務員削減、病院削減・保健所削減等)が「有事の今、現場を疲弊させているところがある」ので「保健所、府立市立病院など、見直しをよろしくお願いします」、ただし「平時の時の改革の方向性は間違っていたとは思っていないが、有事の際の切り替えプランを用意していなかったことは考えが足りなかった」と謝罪とも言い訳ともつかない発言を載せていました。※2

有事への備えなくして何が政治家か、と突っ込みたくもなりますが、在任中に「合理化」の美名のもと、人件費や医療設備の予算を大幅に削ったツケが今になって回ってきたということでしょう。
(昨年の感染拡大早々、医療従事者用の防護服が不足し、代替品として「雨ガッパ」を募るといった騒動を起こしたのも大阪府でした)
これも「日本がもはや有事に陥ることなどあり得ない」という、今にして思えば根拠希薄な思い込みに他なりません。

まさしく「諸法無我」です。
この世は人間の思い通りにはなりません。

4  「当たり前」は「当たり前」じゃなかった

反面この非常事態を通して見えてきたものもあります。

それは、私達が「当たり前」だと思ってきたものは決してそうではなかったのだ、ということです。

体調が悪ければすぐさまかかりつけ医に受診できること。
入院中の知人を見舞うこと。
同僚と集まって仕事の打ち合わせをすること。
気の置けない友人と酒食を共にして大きな声で語り笑い合うこと。
自由に遠距離を移動できること……

これらがどれほど素晴らしいことであるのかは失ってみて初めてわかったことです。
これらの貴重な時間と機会に恵まれていたことを私達は当然のこととして、感謝すらしてこなかったのではないでしょうか。

そしてこれらのことを当たり前とするために、医療従事者を始めとするどれだけの人の汗と努力が払われていたのかにも、私達はあまりにも無関心だったのではないでしょうか。

今回の新型コロナ禍はあらゆる事柄を見通し、あらゆるものの頂点に立ち、それらを自在に操れるがごとく錯覚した私たち現代人の思い上がり「無明」(むみょう、「智慧」を持たない人間の迷い)の有り様を教えてくれているように思います。

そして、自身のその無明に目覚めた時、その驕りにそれと気づき素直に「申し訳ない」と頭が下がった時、「自分がこの無常の人生をどう生きていくのか」という具体的な指針がおのずから明らかになってくるのではないか、と私は考えるのです。


(『西念寺だより 専修』第46号に掲載)


(※1)
2021年6月23日現在(本稿執筆時点)。その後、感染者の急増により7月12日に4度目となる「緊急事態宣言」が東京都に発出され、沖縄県に出されている「緊急事態宣言」は8月22日まで延長されることとなった。
(※2)
橋下徹 @hashimoto_lo Twitter
僕が今更言うのもおかしいところですが、大阪府知事時代、大阪市長時代に徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。
保健所、府立市立病院など。そこは、お手数をおかけしますが見直しをよろしくお願いします。(2020年4月3日 午前10:49)
https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1245891130991898626?s=20
平時のときの改革の方向性は間違っていたとは思っていません。
ただし、有事の際の切り替えプランを用意していなかったことは考えが足りませんでした。(2020年4月3日 午前10:51)
https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1245891653941911557?s=20


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