法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
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寺報「西念寺だより 専修」 年1回発行 〜 第35号<2010年6月発行>
 
 

親鸞聖人の求道に思う
        宗祖750回御遠忌を前に


     アンパンマンのマーチ
              
(作詞・やなせたかし)


そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ胸の傷が痛んでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか
  こたえられないなんて そんなのはいやだ!

今を生きることで 熱い心 燃える
  だから君は行くんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえ胸の傷が痛んでも

ああ アンパンマン やさしい君は
  いけ!みんなの夢まもるため


なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
  わからないままおわる そんなのはいやだ!

忘れないで夢を こぼさないで涙
  だから君は とぶんだ どこまでも

そうだ おそれないで みんなのために
  愛と勇気だけがともだちさ

ああ アンパンマン やさしい君は
  いけ! みんなの夢まもるため

時ははやくすぎる 光る星は消える
  だから 君はいくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
  たとえどんな敵があいてでも

ああ アンパンマン やさしい君は
  いけみんなの夢 まもるため

 

これは子供たちが大好きなTVアニメ「アンパンマン」の主題歌「アンパンマンのマーチ」の歌詞ですが、この中にはこんな一節があります。

「なんのために生まれて なにをして生きるのか
  こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
  わからないままおわる そんなのはいやだ!」

作詞は「アンパンマン」の原作者であるやなせたかしさん。
この方は名曲「手のひらを太陽に」の作詞者でもあります。

この歌詞を初めてじっくりと聞いた時、「なんて深い、哲学的な歌詞なんだ!」と思わずつぶやいたことを覚えています。

「何のために生まれて、何のために生きているのか。」

この質問を「自分の人生」に限定すれば、それなりに具体的に答えることはできます。

私ならば、寺の後を継ぐために生まれてきたとか、子供たちを立派に育てるために生きているといった答えを一応は捻り出せます。

しかし、もっと範囲を広げて「人間は何のために……」となったら、そう簡単に応えることはできなくなります。

「楽しむため。」
「 幸せになるため。」
「 子孫を残すため。」
「 人生に意味はない。」
「 生まれてきた以上は生きるだけ。」……

等々、十人十色、各人各様の「答え」があるでしょう。
それどころか、

「答えなんか出るわけがない。」
「こんな問題にかかわっているほど暇ではない。」

といった「答え」さえ予想されます。

しかし、人間は自分でもそれと気がつかないうちに、どこか深いところで、この「答え」を探しながら生きているものです。

その証拠に人は苦しい時、孤独だと感じた時、愚痴としてこの「問い」を口にするのです。

「自分はいったい何のために生きているのか。」
「自分の人生にいったい何の意味があるのか。」
(何の意味もないのかも知れないのに、なぜこんな苦労をしてまで生きなければならないのか。)

と。

数年前の新聞で読んだ話ですが、知り合いの中学生からこの質問を受けたカメラマンが即答できず、一週間考えた末にこう答えたそうです。

「人の役に立つため。」

これを聞いた中学生は意外そうにこう言ったそうです。

「お金を儲けるため、という答えが返ってくるものとばかり思っていた。」

お釈迦さまは「事物はすべて関係し合い支え合って存在している」という「縁起」の法道理・真理)を説かれましたが、このエピソードに照らしてそれを、

「人は自分だけが幸せになろうと思っても幸せにはなれない。
 人を幸せにしようとすることで初めて自分も幸せになれる。」

と説く教えと受け止め直すことも可能でしょう。


      親鸞聖人の躓き
        
― 比叡山を下りる ―


親鸞聖人は、比叡山で20年間勉学と修行に励まれましたが、29歳の時山を下りられました。

比叡山での日々がどのようなものであったか聖人は一切語っておられませんが、おそらくは仏法の学びを通して人の役に立ちたい、人々を幸せにしたい、自分も人も共に救われていきたいという願い(菩提心・ぼだいしん)をもっての 20年間であったと思われます。

しかし、「人の役に立つ」「人を幸せにする」と言っても、それは簡単なことではありません。
例えば私たちが自分の職業を通して人の役に立とうと思ったならば、当然それなりの技能や知識(職能)が必要になってきます。
医師が患者に医療を施すには専門知識や最新の技術の習得が不可欠であるように、です。

自分がいったい「何」をもって人の役に立てるのか、「何」を伝えることで人を幸せにできるのか、比叡山生活の最後まで聖人にはわからなかったのではないでしょうか。

そればかりか、自分の中に、人の役に立ちたいどころか、人を羨み妬み憎む心がたえず蠢(うごめ)いていることに聖人は気がつかれました。
そしてそれはどんな厳しい修行によってもけっして消えることがなかったのです。※1

私たちの心を振り返ってみると、「人の役に立ちたい」「みんなが一緒に幸せになっていきたい」と思う心があるのと同時に、「他人はどうでもよい。自分だけが幸せになればよい。そのためには他人など踏みつけにして構わない」といった心―先の中学生は「お金儲け」という言葉におそらくこんな意味をこめていたのでしょう―もまた併せ持っていることに気づきます。

「自分だけ」も「みんなと一緒に」もどちらも偽らざる自分の心です。
状況次第、縁次第でコロコロとあちらこちらへと転がっていくのが人の心なのです。※2

聖人の比叡山での20年間は、このどう転ぶかわからない自分の心を制御して、「人の役に立つ」ことのみを願う、きれいで純粋な心の自分になろうとした努力の年月であったと言えるのではないでしょうか。
しかしそうなりたいと思えば思うほど、そうではないエゴイスティックな自分、人を救うべき僧侶にあるまじき自分が見えてきて、ついにはそんな自分が許せなくなってしまったのが 29歳の親鸞聖人であり、比叡山で学んだ仏教はそんな聖人をけっして救ってはくれなかったのです。


     阿弥陀の本願
        
― 法然上人との出会い 

大概の人間は、どこかで、

「人間なんてそんなもんだ。」
「自分なんてこの程度のものだ。」
「そう無理をしなくとも……」

と、どこかで妥協し折り合いをつけていくのでしょうが、聖人にはそれができなかったのでしょう。

「自分はどうしようもない人間だ。
 救われ難い人間だ。」

純粋であるがゆえの「絶望」を胸に比叡山を去った聖人は、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂での参籠を経て、法然上人を訪ね、

「阿弥陀仏の本願を信じて、ただ念仏せよ。」

との教えを授かります。※3

この法然上人の教えを通して聖人が出遇われた阿弥陀の本願とは、言わば僧侶として自分が人を教え導かなければならない、人を救える人間にならねばならないという思いに囚われて苦しんでいるその親鸞聖人をこそ救いたい、救われるに値しないはずのこの私親鸞を救わずにはおかないという心だったのです。※4

気がついてみれば、「自分が、自分が」と力みかえっていたその自分に対しそれを支え励まし生かそうとする心がはたらいていた。

その本願にふれて初めて聖人は自分が伝えるべきものが何なのかを知り、それを伝えることで自分が人の役に立ち、人を幸せにし、自分もまた生きる意味を満足していくことができる「何か」―人はみな如来の大悲の中に包まれて在ること―が明らかになったのではないでしょうか。

人を救う力もなく、羨みと妬みと憎しみを一杯に抱えた「凡夫」の自分が、本当に人を救いたいと願う阿弥陀の心にふれて、羨み妬み憎む「凡夫」の心を抱えたままで、力を尽くして生きていける道、それが親鸞聖人が出遇い、明らかにして下さった「浄土真宗」ではないでしょうか。

「何のために生まれて、何をして生きるのか。」
「何が君の幸せ、何をして喜ぶ。」

来春の聖人の御遠忌を機にぜひお考えいただけたらと思う次第であります。

(『西念寺だより 専修』第35号〈2010年月発行〉掲載)


※1『一念多念文意』

凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。

※2『歎異抄』第13章

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人(親鸞)はおおせそうらいしに、

※3『恵信尼消息』第3通

山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世(ごせ)を祈らせ給いけるに、九十五日のあか月、聖徳太子の文を結びて、示現にあずからせ給いて候いければ、やがてそのあか月、出(い)でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるように、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも参りてありしに、ただ、後世の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出(い)ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いしをうけ給わりさだめて候いしかば、上人のわたらせ給わんところには、人はいかにも申せ、たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とまで思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり。

  『歎異抄』第2章

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

※4『歎異抄』後序

聖人(親鸞)のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、


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