寺報「西念寺だより 専修」 年1回発行 〜 第35号<2010年6月発行> |
親鸞聖人の求道に思う アンパンマンのマーチ
これは子供たちが大好きなTVアニメ「アンパンマン」の主題歌「アンパンマンのマーチ」の歌詞ですが、この中にはこんな一節があります。 作詞は「アンパンマン」の原作者であるやなせたかしさん。 この方は名曲「手のひらを太陽に」の作詞者でもあります。 この歌詞を初めてじっくりと聞いた時、「なんて深い、哲学的な歌詞なんだ!」と思わずつぶやいたことを覚えています。 この質問を「自分の人生」に限定すれば、それなりに具体的に答えることはできます。 私ならば、寺の後を継ぐために生まれてきたとか、子供たちを立派に育てるために生きているといった答えを一応は捻り出せます。 しかし、もっと範囲を広げて「人間は何のために……」となったら、そう簡単に応えることはできなくなります。 「楽しむため。」 等々、十人十色、各人各様の「答え」があるでしょう。
といった「答え」さえ予想されます。 しかし、人間は自分でもそれと気がつかないうちに、どこか深いところで、この「答え」を探しながら生きているものです。 その証拠に人は苦しい時、孤独だと感じた時、愚痴としてこの「問い」を口にするのです。
と。 数年前の新聞で読んだ話ですが、知り合いの中学生からこの質問を受けたカメラマンが即答できず、一週間考えた末にこう答えたそうです。
これを聞いた中学生は意外そうにこう言ったそうです。
お釈迦さまは「事物はすべて関係し合い支え合って存在している」という「縁起」の法(道理・真理)を説かれましたが、このエピソードに照らしてそれを、
と説く教えと受け止め直すことも可能でしょう。
親鸞聖人は、比叡山で20年間勉学と修行に励まれましたが、29歳の時山を下りられました。 比叡山での日々がどのようなものであったか聖人は一切語っておられませんが、おそらくは仏法の学びを通して人の役に立ちたい、人々を幸せにしたい、自分も人も共に救われていきたいという願い(菩提心・ぼだいしん)をもっての 20年間であったと思われます。 しかし、「人の役に立つ」「人を幸せにする」と言っても、それは簡単なことではありません。 そればかりか、自分の中に、人の役に立ちたいどころか、人を羨み妬み憎む心がたえず蠢(うごめ)いていることに聖人は気がつかれました。 私たちの心を振り返ってみると、「人の役に立ちたい」「みんなが一緒に幸せになっていきたい」と思う心があるのと同時に、「他人はどうでもよい。自分だけが幸せになればよい。そのためには他人など踏みつけにして構わない」といった心―先の中学生は「お金儲け」という言葉におそらくこんな意味をこめていたのでしょう―もまた併せ持っていることに気づきます。 「自分だけ」も「みんなと一緒に」もどちらも偽らざる自分の心です。 聖人の比叡山での20年間は、このどう転ぶかわからない自分の心を制御して、「人の役に立つ」ことのみを願う、きれいで純粋な心の自分になろうとした努力の年月であったと言えるのではないでしょうか。
大概の人間は、どこかで、
と、どこかで妥協し折り合いをつけていくのでしょうが、聖人にはそれができなかったのでしょう。
純粋であるがゆえの「絶望」を胸に比叡山を去った聖人は、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂での参籠を経て、法然上人を訪ね、
との教えを授かります。※3 この法然上人の教えを通して聖人が出遇われた阿弥陀の本願とは、言わば僧侶として自分が人を教え導かなければならない、人を救える人間にならねばならないという思いに囚われて苦しんでいるその親鸞聖人をこそ救いたい、救われるに値しないはずのこの私親鸞を救わずにはおかないという心だったのです。※4 気がついてみれば、「自分が、自分が…」と力みかえっていたその自分に対しそれを支え励まし生かそうとする心がはたらいていた。 その本願にふれて初めて聖人は自分が伝えるべきものが何なのかを知り、それを伝えることで自分が人の役に立ち、人を幸せにし、自分もまた生きる意味を満足していくことができる「何か」―人はみな如来の大悲の中に包まれて在ること―が明らかになったのではないでしょうか。 人を救う力もなく、羨みと妬みと憎しみを一杯に抱えた「凡夫」の自分が、本当に人を救いたいと願う阿弥陀の心にふれて、羨み妬み憎む「凡夫」の心を抱えたままで、力を尽くして生きていける道、それが親鸞聖人が出遇い、明らかにして下さった「浄土真宗」ではないでしょうか。
来春の聖人の御遠忌を機にぜひお考えいただけたらと思う次第であります。 (『西念寺だより 専修』第35号〈2010年月発行〉掲載)
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