寺報「西念寺だより 専修」 年1回発行 〜 第37号<2012年6月発行> |
親鸞聖人に遇う
親鸞筆「名号」との対面 昨年5月26日、親鸞聖人七百五十回忌法要参拝旅行の第二日目、「親鸞展」鑑賞のため京都市立美術館を訪れた私は、そこで親鸞聖人直筆の「八字名号」(高田専修寺蔵・ 下部画像参照)を拝見しました。 御門徒のみなさんと会場に入った最初の展示物がこの「南無不可思議光仏」の名号だったのですが、「想像していたよりも小さい」というのがその第一印象でした。 しかしこの名号をじっと見ているうちに、私の中に、自分でも予期しなかった「感情」が湧き起ってきました。
このように書くと皆さんは奇異に感じられるかも知れません。 確かにそれはその通りですし、会場には親鸞聖人の「御影」(ごえい・肖像画)も展示されてはいましたが、むしろ「字」の方に強く聖人を私が感じたのは、それが他でもない「南無不可思議光仏」という名号であったからであり、そしてこの名号が、聖人御存命の頃より真宗門徒の間で「本尊」として仰がれてきたものだったからなのです。 |
親鸞聖人筆 |
「言葉」となった親鸞 今から50年以上前、親鸞聖人七百回忌を五年後に控えた昭和31年(1956)2月、米沢英雄氏(1901―1991)によって、「その人」と題する詩が雑誌『同朋』誌上に発表されました。
発表後50年を経てなお瑞々しいこの詩の中で、米沢氏は「その人」(=親鸞聖人)の生涯を次のように語っています。
ここで言われる聖人の遺した「言葉」、聖人よりももっと古くから悠久の時を生き続け、そして聖人によって新しい命を吹き込まれた「言葉」とは何だったのでしょうか。 それこそが、
あるいは
そして
とも称される「阿弥陀仏(如来)」への「南無(帰依)」を意味する 「南無阿弥陀仏」という「言葉」だったのです。 |
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屏風絵「親鸞」(部分) |
灯火に照らされて生きる 「南無不可思議光仏」の語から知られるように、親鸞聖人は阿弥陀仏を今生きてある自分を照らし、その無明(むみょう )―智慧の眼がなく自身の姿に昏(くら)い私たちの在り方―を破る智慧の光として仰いでおられました。 聖人御制作の和讃にこんな一節があります。
この一節に想を得たものか、五木寛之氏は小説『親鸞 激動篇』において親鸞聖人に、法然上人との出遇いを通して獲た念仏の信心を、月の光をたよりに比叡山の真っ暗な夜道を登った稚児時代の体験になぞらえて次のように語らせています。
親鸞聖人にとって「南無阿弥陀仏」とは、自分が今居る場所、在り方を如実に照らし出し、進むべき具体的な道筋を示してくださるかけがえのない灯火となった「言葉」であり、その「言葉」に聖人はこの世(穢土)に堪えて生きよという如来の励ましを確かに感じ取っておられたのでしょう。 さて、皆さんはその胸の中に、どんな「言葉」と誰の「面影」を抱いて生きていらっしゃいますか。 (『西念寺だより 専修』第37号〈2012年7月発行〉掲載) 〈参考文献〉 |
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