法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2012年1〜6月分)

 

 
 

その日、法然は親鸞にこう言った。
「お前は私を超えて行け!」と。

                                   ―「親鸞」の名のりについて ―
 

 『法話ライブラリー』に論文2編(「『六角堂夢告』考 ―親鸞の生涯を貫いた課題―(上)」「同(下)」)をアップしました 。

 親鸞聖人の著書『顕浄土真実教行証文類』(通称『教行信証』)の跋文(以下、「後序」)に 記載された元久2年(1205/法然上人73歳・親鸞聖人33歳、親鸞聖人が法然上人に入門した4年後)の出来事

〔月日不詳〕

法然、親鸞にその著書『選択本願念仏集』(以下、『選択集』)の書写を許可する。

4月14日

法然、親鸞の書写した『選択集』に「選択本願念仏集」の題字と「往生之業 念仏為本」の文、そして当時の親鸞の名 「釈の綽空(しゃっくう)」を書き入れる。
また、自身の「真影」(しんえい・肖像画)の模写を許可し、原本を親鸞に預ける。

閏7月29日

法然、完成した「真影」に銘文として「南無阿弥陀仏」と善導(ぜんどう)の『往生礼讚』の文、そして夢の告げによって改めた親鸞の新しい「名の字」を書き入れる。

(原文は下部画像参照)

に登場する「夢の告げ」について論じたものです。
 

 

   
 
 従来この「名の字」、つまり「綽空」から改めた聖人の新しい名は「善信」であり、「親鸞」とはもっと後、35歳で越後(新潟県)に流罪に処された以降に自ら名のった名前である 、と考えられてきました。

 しかし私は、「親鸞」こそが元久2年閏7月29日に法然上人によって書かれた聖人の新しい「名」であり、聖人は法然上人の認可のもと 、この時から「親鸞」となったのだ、と考え、いくつかの論文を発表してきました。

 上記の一連の出来事は、親鸞聖人が法然上人からその法を受け嗣ぐに足る弟子であると認められたことを物語るものですが、聖人が書き写した『選択集』に法然上人が「綽空」(伝説に拠れば法然上人が入門時に与えた名)と記したことには、「浄土門こそが今のこの末法・五濁の世の凡夫が帰すべき唯一の道である」※1と勧めた(どうしゃく)禅師と、「称名念仏こそが往生浄土の唯一の行である」※2と主張した自分(源 げんくう・法然上人の実名)の意を正しく継承し 、広く説き伝えよ、と命じる、という意味があったものと思われます。

 しかし、これに対して「真影」に「親鸞」という新しい名を記したことには、自分が『選択集』で明らかにした念仏往生の道(浄土宗)を 、お前は(てんじん)菩薩・(どんらん)大師の教えに基づいて新たに展開・深化させよ、と命じる意図があったのではないでしょうか。

 法然上人は「綽空」の名を通して聖人に、

「我が教えを正しく受けとめよ!」

と命じ、「親鸞」の名に、

「お前は私を超えよ!!」

との思いを込めたのではないでしょうか。
(少なくとも親鸞聖人はそう理解された、と私は思います。)

 親鸞聖人は「後序」に上記の出来事を記すことを通して

「自分(愚禿釈親鸞)は、法然上人に命ぜられてこの書を書いたのだ。

 法然上人は私に、「釈親鸞」としてこの『顕浄土真実教行証文類』を書け、と命じられたのだ。」

と、おっしゃっているのではないでしょうか。
(もちろんこの時点では当然、題名も構成も未定なわけですが。)

元久2年(1205)閏7月29日、親鸞聖人は法然上人からこの日、『選択集』、「真影」とともに「親鸞」の名、そして 生涯の「課題」を授けられた。

 こう理解するのは、ドラマティック過ぎますでしょうか。


 ……皆さんはどうお考えになりますか。

(4月9日)

※1『安楽集』巻上

当今、末法にしてこれ五濁悪世なり。
ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり

※2『選択集』二行章

称名念仏はこれかの仏の本願の行なり。ゆえにこれを修すれば、かの仏の願に乗じてかならず往生を得。


【追 記】

 このテーマを考え始めてからかなりの年数が経ち、発表した論文もそれなりの分量になりました。
 1999年の夏頃に『親鸞教学』(大谷大学真宗学会編)に最初の論文(「 「善信」と「親鸞」 ―元久2年の改名について―」)を投稿した時には、正直、「こんなこと書いたら嗤われるんじゃないか」と内心ビクビクものだったのですが、最近ではかなりの方が賛意を示して下さるようになりました。
 それにつれて私の中で「これらを1冊の本にまとめて、自説を改めて世に問うてみたい」という願望(煩悩!?)がムクムクと頭をもたげてきております。

 どこぞの書店から出版してもらえないものでしょうかね〜〜〜。
 ねえ、**館さん、**堂さん、**社さん、**書房さん……(以下略)。
(……「身の程知らず」にも程があるな(^^ゞ))

 あ、もっとも、「出版してあげるから、ウン百万円用意して下さい」とかいう詐欺セールスだけは絶対に御免蒙りますから。(爆)

 
 

人呼んで「“萌え萌え”ラッピングカー」!?
         ― またの名を「ネコ耳“痛EV”」 ―

                   ……書くだけでも結構恥ずかしいぞ、この「タイトル」(>_<)
 

 雪もだいぶ溶けたので、 の記事でお約束していた「痛車」 の画像、アップします。                                                             
 

 

 

 

     
 

 ネコ耳娘3人のキャラクター名はクロッキー(上画像)、ミノケン(左)、クワトト(右)。
                                        (以上、『日本海新聞』記事より)
 その他に米子城址、山陰歴史資料館(旧米子市庁舎)、米子水鳥公園(運転席側ボディー)、大山、旧日野橋、皆生海岸(助手席側ボディー)などが、「国際まんが博」のキャラクターを巡って近頃何かと話題の赤井孝美さんの絵で描かれていました。

 法勝寺町駐車場のEVスペースでは滅多に見かけませんから、みなさん結構乗っておられるようです。

 何にしても利用者があるのは良いことです……。
 
 ……良いことではありますが、やっぱり私にはまだその「勇気」はありません。
(写真を撮っているのを見られることすら、ちと恥ずかしかった……(-_-;))

 乗ってみる勇気のある方 もとい ぜひ乗ってみたいという方は、

ほっしょうじ通りEVステーション

まで、お問い合わせ、お申し込みください。

(2月4日)

ちなみに、上記の「ほっしょうじ通りEVステーション」の「ブログ」を覗いてみたところ、EVの名前は、

 が「萌え号」   が「ネギポ号」

だそうです……

 
 

今度こそ「痛車」!!
 

  昨年の10月下旬、「もしかして『痛車(いたしゃ)』!?」と題して「米子市中心市街地でEV(電気自動車)によるカーシェアリング実証実験が始まった」 のを紹介した一文を書いたのですが、 読み直してみたら、「おかしな模様の車を門前で見た」「痛車かと思ったが違った」というだけの内容だったので、自主的に「ボツ」にしていました。(今回改めてアップ)                                                             
 


これが実証実験用のEV(電気自動車)
 

 

 ところが、今度そのEVに本格的(?)な「痛車」が加わることになりました。

 その記事がこれ

EVカーシェアリングに痛車お目見 赤井さんデザイン

 鳥取県米子市は31日、中心市街地で進める電気自動車(EV)カーシェアリング実証実験のレンタルEVに、同市出身のイラストレーター、赤井孝美さん(50)作のアニメキャラクターをデザインしたラッピングカー(通称・痛車(いたしゃ))を導入した。EVの「痛車」は全国でも珍しく、サブカルチャーイベントが盛んな法勝寺町や今秋鳥取県内で開催される国際マンガサミットをPRする狙い。……
 米子市は、太陽光発電システムを活用したEVの共同利用が地域にどんな恩恵をもたらすのかを検証するため、昨年11月からEV4台を導入して実験開始。このうち1台を痛車に改造した。2月末で実験期間は終わるが、3月以降も実験を続ける方向で国や県と協議している。
                                     (2月1日付「日本海新聞」)

 去年の夏に廃ビルが撤去されて以来、門前にいろんなものがやってきだしました。
 紙芝居屋、プロレス、EVに今度は痛車。 

 ……でもこの痛車、やっぱりオレ乗る勇気はない!!
 

 と、ここで肝心の痛車の画像を載せるべきところなのですが、

 ……全国的な大雪の結果、現在この状態。 ☟
 

 

 


  痛車は雪の下〜〜〜。
 

 

 雪が溶けたら改めて画像をアップしましょう。

(2月2日)

 ……しかし、やっぱり「おかしな車を見た」という以上の記事にはならなかったな〜〜(-_-;)

 
 

門徒物知らず」もしくは「門徒物忌み知らず」
 

 永年、それなりに人間をやってきていますが、知らないことは山ほどあるものです。

 先日、「意外と知らない年賀状の「NG」マナー」(「冠婚葬祭」ガイド:中山みゆき)という一文を読んでいた時に、次のような文に行き当たりました。

 忌み言葉はある?

Q:年賀状に忌み言葉はありますか。

A:忌み言葉として「去る」「失う」「滅びる」「絶望」などはNGワードになります。使わないようにしてください。
同じように「去年はお世話になりました」という言葉は避けて「昨年は〜」「旧年は〜」を使います。

 毎年の年賀状で私は、新年の挨拶に前年最も心魅かれた「言葉」を添えて出しているのですが、今年選んだ「言葉」が……、そう、

たとえ明日、世界が滅びるとしても、
 私は今日、林檎の樹を植える。(作者不詳)

 ……(-_-;)

 上記の 文を読んだのはすべての年賀状をすでに投函し終えた後、……やってしもうた〜〜〜(叫)

 ひと声叫んだ後ふと我に帰って、もしかして以前の年賀状も……、と引っ張り出してみたところ、

《2009年》
この世の最大の
不幸は、貧しさでも病気でもありません。
自分が誰からも必要とされない、と感じることです。(マザー・テレサ)

《2007年》
生きている人だけの世の中じゃないよ。
生きている人の中に
死んだ人も一緒に生きているから人間は優しい気持ちを持つことができるのよ。(灰谷健次郎『太陽の子』より)

《2005年》
悟りという事は如何なる場合にも平気で
死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居るという事であった。(正岡子規)

《2002年》
〈生きる〉とは、地上に在る
生の短さをつくづく思い知って、抱きしめるように慈しむことだ 。(辻邦生)

と、わざとやっているとしか思えない「忌み言葉」のオン・パレード。

 もはや笑うしかない……\(^o^;)/


 さて、この「忌み言葉」ですが、その源にあるのは、もともと言葉には不思議な力が宿っていて、に出した言葉が現実の事象に影響を与え、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとする、いわゆる古代以来の 「言霊(コトダマ・言魂)」の思想だそうです。

 私たちの身近にある「忌み言葉」と言えば、

結婚式・披露宴の際に「別れる」「切れる」「割れる」は禁物。
受験生を前に「落ちる」「滑る」「転ぶ」等の言葉を言わない。

といったストレートに使用を避ける場合や、

病室の番号および病院の待ち番号などでは数字の「4」「9」を使用しない。(「4」が「死」に、「9」が「苦」に通じるから)
お見舞いの際には鉢植えの花はだめで、切り花に限る。(病院に「根付く」を連想させるから)
「友引」には葬式は出さない。(文字通り「友を引く」から)
四十九日(しじゅうくにち)法要の「三月(みつき)越し」―命日から3ヶ月をまたいで勤めること―を避ける。(「始終(しじゅう)(く)が身(み)に付(つ)く」から)

といった「忌み言葉」に起源をもった習慣などがあります。

 この他にも、

「切り身」「刺身」の「切る(切腹する)」「刺す」を避けて「お造り」。
スルメ」の「「する(摩る・ギャンブルに負ける)」を避けて「アタリメ」。
豆腐」の「腐(くさる)」の字を避けて「豆富」。(そういえば最近のアニメに「豆富小僧」とかあったっけ……)
」の字が「金を失う」と読めることから、会社名に旧字体の「鐡」や旁を「失」ではなく「矢」に変えた「」を用いたりする、などなど……。

といった、言われてみればこれもそうかというのから、大の大人が真面目に考えることかとあきれそうになるものまで、私たちの日常には「忌み言葉」が溢れています。

 確かに私たちは「死」だの「苦」だの「別離わかれ」だのといった不幸な出来事にできる限り出会いたく ありません。

 ただ、いくら「4」「9」という数字を避けてみても、それらを連想する言葉を使わないようにしても、苦しみに出会わずに生きていけるわけではないし、死なない身体になるわけで もありません。
 さまざまな苦しみに出会わざるを得ないのが人生であり、老い、病み、死んでいくのが人間なのです。

 むしろそのような人生を、我が身をどう生きるのか。
 他でもないこの自分がいつか必ず死なねばならないという「事実」から、目をそらし続けて生きるのか、それとも、しっかりとそれを見据えて自分の人生を考えていくのか、それこそが問題なのです。

「諸行無常」(しょぎょうむじょう)の人生をどう生きるのか。

 これこそが釈尊(しゃくそん、お釈迦さま)、青年ゴーダマ・シッダールタを出家せしめたその出発点であったと言えます。

 私が年賀状に忌み言葉を用いたからといって、けっしてその人に「滅びろ」だの「死ね」だの言っているわけではないのです。


 ……というわけで、私から「忌み言葉」満載の年賀状を受け取られた皆様、どうかお気を悪くなさらずに、

「あの住職はホンマ、「門徒物知らず(物忌み知らず)」やなあ〜。」

と笑ってやってください。m(_ _)m

(1月29日)

 
 

謹 賀 新 年


たとえ明日世界が滅びるとしても

  私は今日林檎の樹を植える。

(作者未詳)


        旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2012年1月1日)


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