生体AIによると、冷水と温湯を交互にかけることは、医学的には「温冷交代浴(または交互浴)」と呼ばれ、 現代では主に「疲労回復」や「自律神経の調整」を目的とした健康法として知られていますが、古くは民間療法や特定の健康法において「体を活性化させる(蘇生させる)手段」として語られてきた側面があるそうです。
『ブッダ・チャリタ』には「寒・暖の二力をそなえた雨」とありますし、吉元先生の投稿にも、二筋の水が「菩薩とその母の体を元気づけた」とあります。
このことから推するに、釈尊の出生は実は大変な「難産」だったのではないでしょうか?
その証拠に母マーヤ(摩耶)夫人は産後1週間で亡くなっています。
ルンビニーの園で仮死状態で生まれてきた赤子に周囲が必死で蘇生術を施し、やっとのことで赤子は息を吹き返した。
私はそんな情景を想像してしまうのです。
「自分の誕生が母の命を奪った。
自分が生まれて来なければ母は死なずに済んだのではないか?」
このことが少年シッダールタの心に暗い影を落とし、その後の「出家」へと繋がっていったのではないでしょうか?
少年時代の釈尊は内省的で物静かな、物思いに耽りがちな王子であったとも伝えられています。
王族として出席した農耕祭の折、耕された土から顔を出した虫が小鳥に食べられ、その小鳥がより大きな鳥に襲われる「食物連鎖」の様を見て、
「哀れ、生き物は皆食(は)み合う。」
と王族の義務を途中放棄して立ち去ってしまったという逸話からも、よく言えばデリケートな、悪く言えば線の細い少年であったとも思われます。
後年、釈尊は人間が誰一人避けることのできない苦しみ(四苦八苦)の1つとして「愛別離苦」(あいべつりく、愛する者と別離しければならない苦しみ)を説かれます。
また、それらの苦しみの原因には「諸行無常」―この世のすべてのものは移り変わり、生じたものは必ず滅していく―の現実があることを見抜かれました。
「愛別離苦」の哀しみと「諸行無常」のこの世の厳しさ・苦しさを、誰よりも強く深く感じながら育っていった少年ゴータマ・シッダールタ。
それこそが後の大聖、仏陀・釈迦牟尼世尊だったのではないでしょうか?
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