住職日記   真宗大谷派 西念寺
 

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住職日記
  ~ご院家さんのひとり言(不定期更新)

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善慧房証空上人のこと

 
 
私、昨年の1月から、直七大学のZoom講義「証空思想の解明」(中村玲太講師)に参加させていただき、法然上人の弟子のお一人善慧房証空上人(浄土宗西山義の祖)の思想について教えていただいているのですが、これがまあ目からウロコ、従来抱いていた証空上人のイメージが大きく変わりました。
 
 
 【 善 慧 房 証 空 上 人】
 
“正像末の三時はいずれも末法”
“聖道門の悟りも他力無くしてはあり得ない”……etc
……証空上人(1177~1247)って結構大胆、と言うか、ラディカルな思想家だったんですね。(^-^;A
(まあ、承元の法難・嘉禄の法難の際にはあわや流罪、というスレスレまで行ってますから、考えてみれば、「穏健派」であるはずもないわけなんですが……)
「法然房は諸行の頸を切り、弟子の善慧房は諸行を生け捕りにす」(行観『選択本願念仏集秘抄』)
だとか、覚如『口伝鈔』が伝える親鸞聖人吉水時代の「体失・不体失往生の論争」だとか、はたまた承元の法難(建永2年、改元して承元元年・1205年)の際には慈円僧正に泣きついて(注:あくまでも私の想像です。(^_^;))、嘉禄の法難(嘉禄3年・1227年)の際にも弁明書を提出して2度とも流罪を免れるなど、当時の貴顕とうまく結びついて、法然上人の教えを薄めて(=変質させて)浄土宗の延命を図った人、というイメージを持っていた(勝手に作り上げていた)のですが、盛大な勘違いだったかも。(;-ω-)
承元の法難の折、
「我、首を斬らるるとも、この事を言わずばあるべからず(たとえ斬首の目に遭おうとも、私は念仏による救済を説かずにはおれない)」(『法然上人伝記』)
と言い切った法然上人といい、自分を殺しに来たかも知れない山伏弁円の前に
「左右なく出(いで)会いたまう(無造作に姿を現した)」(『親鸞聖人伝絵』)
親鸞聖人といい、一宗一派の祖として名を残すような当時の仏教者はやはり「気骨」というか「肝っ玉」というか、「覚悟」が違いますね。
……あ、証空上人も一応は武家の出、ということになるのかな?(村上源氏の加賀権守・源親季の長男、久我(源)通親の養子)
 (3月20日)


 

謹 賀 新 年

 
 
岩もあり 木の根もあれど さらさらと
       たださらさらと 水の流るる
                  (甲斐 和里子)
 
 
 
 《ダイヤモンド大山(2022年10月14日ドローン空撮・©日本海新聞社)》
 
 
   旧年中の御厚誼に深謝しつつ、本年も宜しくご指導の程お願い申し上げます。
 
 (2023年1月1日)
 
 
 
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