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阿弥陀仏の四十八願というものを静かに自分独り朗読致しますとこれは余所事ではない自分の願いである。
自分の願いではあるが、自分の個人的願いではない。
現実の中に迷うて居るところの衆生の一人として、衆生全体を荷なって起つところの大精神というものがこの四十八願というものである。(曽我量深)

上の文章は、真宗大谷派の碩学曽我量深師(1875―1971)の言葉ですが、これを理解するには少し専門的な説明が要ります。

お釈迦様が説かれたとされる多数の経典の中で、親鸞聖人が、

「これこそが真実の教えである。
 お釈迦様がもっとも説きたかった経(出世本懐経)はこれである」

とされたのは『大無量寿経』
(だいむりょうじゅきょう通称『大経』)というお経です。

『大経』には、西方浄土の主である阿弥陀仏が、昔「法蔵
(ほうぞう)」という名の菩薩(ボサツ・修行者)であった時、「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」という師の前で、衆生(しゅじょう、一切の生きとし生けるもの)を救うために、自分の国を作って、その国にあらゆる衆生を生まれさせたいと思う、といういわゆる「建国」の願いを起こした、と説かれています。
そして法蔵菩薩はさらに、その国をどんな国にしたいのか、その国の主として自分はどんな仏になりたいのか、そしてどんな修行をした者をその国に生まれさせたいかを考え、四十八の具体的な願いを建てて修行し、その結果、極楽(安楽)という国を完成し、自身は「阿弥陀仏」
(アミダ・無限の寿命を持ち、無限の光を放つ仏)という仏に成った、と説かれています。

そして、その四十八の願の中の本願(根本・中心)とされるのが、第十八番目の、「南無阿弥陀仏」と称える者を必ず浄土に往生させずにはおかないと誓った願、いわゆる第十八願、「念仏往生の本願」です。

親鸞聖人はこの物語を「正信偈」に、
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
普放無量無辺光 無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
(法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、 諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、 無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
 五劫、これを思惟して摂受す。
 重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。 
 あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、 清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、 超日月光を放って、塵刹を照らす。
 一切の群生、光照を蒙る。)
と書いておられます。

そして、その四十八の願の中の本願(根本・中心)とされるのが、第十八番目の、「南無阿弥陀仏」と称える者を必ず浄土に往生させずにはおかないと誓った願、いわゆる第十八願、「念仏往生の本願」です。
あらゆるものを助けたいという阿弥陀仏の願いを信じて念仏するという簡単な行であるから、あらゆるものがそれを行じて浄土に生まれることができるというのです。

以上のことを頭に入れて曽我先生の文を読んでみましょう。

『大経』に説かれる阿弥陀仏の四十八願、つまり「一切の生きとし生けるものを助けたい」という仏様の大いなる願いとは、単なるお経の中の話ではなく、他でもない「自分の願いである」。
しかしそれは「自分の願いではあるが、自分の個人的願いではない」。
つまり四十八願とは、私達皆が抱いているのだけれども、そんなものがあることすら気が付かない私達の「本当の願い」、種々の日常的な欲求、願望に振り回される中で見失っているけれども、私達の心の、身の奥底で間違いなく働き、私達を動かしている「願い」、そしてそれは自分一人の個人的な願いではなく万人の、全人類共通の「願い」を言い当てたものである、と曽我先生は言われるのです。

でもそんな「願い」が本当に私達の中にあるのでしょうか。

つい最近、私はあるマンガを読みました。それは、ギラン・バレー症候群という難病に侵されたある若い女性マンガ家の闘病記(『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』/作・たむらあやこ)でした。

ギラン・バレー症候群とは、細菌やウイルスの感染をきっかけに、抗体が自分の神経を攻撃してしまう病気(自己免疫性疾患)で、神経が攻撃されることで感覚障害や筋力の低下・麻痺などが起こり、これを施せば完全に治るという決定的な治療法がない難病だそうです。

日本全体では年間で約2000人程度の人が発症し、大抵の場合は3〜6カ月以内に回復するそうですが、髄膜炎と共にこの病気を併発した作者の場合は重症で、あっという間に寝たきり状態になりました。
限られた治療法も効果がなく、全身の痛みや吐き気に悩まされながらもリハビリに取り組んでいたある日(発病から1年数か月後)、主治医から
「これ以上、良くなることはない」
との宣告を受けたそうです。

その時の心境を作者はこう語っています。
(いやそうだ…
 私が先生でもそう言うわ…
 お医者さんは医学的見地に立った事実しか言わないからな…
 むやみに期待を持たせるようなこと言えないって言うし…
 でも…
 事実って冷たい……
 つらい…
 突き放された感じする……)
それでも気丈に、
「私は大丈夫、受け入れますから」
と母親に宣言した直後、作者は心の中で自問自答を始めたそうです。
(どうする?もう諦めるか?
 ここで諦めても誰も文句言わねーぞ?
 まてまて…
 諦めるのは簡単だが、その先も長いぞ!
 たしかに病気のせいにして投げやりに生きるのはたやすい…
 しかし!すぐ死ぬ病気じゃないから下手すれば80、90歳まで生きる。
 その場合一番損するのは自分だ!
 60年間も自堕落に人を妬み嫉み生きたいか?
 ノー。)
次に作者は自分にこう問いかけます。

(どうしても諦めたくないものは何だ?
絵です!)
現在マンガ家になっていることから知られるように作者は子供のころから絵を描くことが大好きで、実際、友人から「美大に進んだら」と言われるほどの腕前でした。
発病して絵が描けなくなったと気づいた時には他のどの肉体的機能が失われた時よりも大きなショックを受けたそうです。

(なら、まず絵を描けるようになるのを目指そう!
 そして細々とでも絵で仕事になる道を探ろう!
 時間ならいっぱいある。)
そう決心してリハビリを続け、最初は指で、次にボールペンで、やがて筆で絵を描けるようになり(ここまでで発症から4年)、病院のリハビリ室に飾ってもらうことに始まり、やがて依頼を受けてペットの肖像画や法廷画を描くようになり、そして友人からの

「マンガ描きなよ!
 珍しい病気だから、励まされる人いっぱいいるよ!」
という勧めを受けて
(マ、マンガかぁ… 
自分の闘病記なんて思ってもみなかったけど… 
もう〔発病前のように〕看護師としては人を支える手伝いはできないからな…… 
マンガだったら違う形で一瞬でも支える手伝いができるかもしれない……)
とそこからさらに6年。
マンガの緻密で繊細な技法を駆使できる筋力を10年かけて身につけて闘病記を描き上げたそうです。

もちろん、その10年間、作者は必ずしも順調に回復してきたわけではありません。

発病して3カ月経った頃、24時間続く全身の激痛と吐き気に消耗して、付き添いの母親に、
「明日までに1コも症状良くならなかったら……殺してほしい」
と懇願したそうですし、退院後数カ月して激しい体調の悪化に襲われた時には、「再発」の恐怖に震え、
(またあの苦しみを一からやるとなったらどうしよう…
 もう耐えられる自信ない…)
「1回目は何が起きるかわからないから耐えられたけど……2回目は何が起きるかわかるから、耐えられないっっっ!!」
と文字通り泣き叫んだそうです。

それでも作者はこう言います。
(「もし病気にならなかったらどんな人生だったろう……」ということをたびたび考える。
 しかし、何回考えても、今よりくだらない人間だったと思う。
絵もこんなに描かなかったはずだ。)
そしてまた、こうも言われます。
(病気して良いことも悪いこともあって、何でも無駄じゃなくて、何でもありがたくて
…そう思えるようになっただけでも成長できたと思う、自分なりに。
また明日から丁寧に、ただ生きていこう。)
私は「婦人会だより」2月号でこう書きました。
「転ぶ」の言葉だけでは表現し切れない程の深刻な体験であっても、人はそこから起き上がろうとします。
人はそれすらも単なる悲劇としてだけで終わらせたくはないのです。
そこに私は
「たとえどんな出来事に出遭っても私は自分の人生を空しいまま終わらせたくはないのだ」
という執念にも似た人間の根源的な願いと、
「それこそがお前の真の願いである。
 どうかその願いを満足させてくれ。
 そのためにこそ仏法を聴聞して、あらゆる悲劇から何かを学び、糧とし、悲劇の《意味》を転じて、起き上がり続ける人生をこそ歩んでくれ」
と命じてくださる釈迦・弥陀二尊の悲心とを感じずにはいられないのです。
と。

阿弥陀仏の四十八願」とは、私達自身の奥底からそれぞれに湧き上がってくる「折角の人生を諦めてくれるな」という呼びかけであります。
そして、お釈迦様の説法(経典)とはそれを仏様の願いだと言い当て、それを満足するための「智慧」を得ることを勧めたものなのではないのか。
こう私は考えるのです。    
 
(『西念寺婦人会だより』2017年5月号に掲載)

【参考文献】
たむらあやこ『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』(講談社・2016)

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