今月の法話   真宗大谷派 西念寺
 
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阿弥陀様はお念仏の中に

さびしいとき

わたしがさびしいときに よその人は知らないの

わたしがさびしいときに お友だちはわらうの

わたしがさびしいときに お母さんはやさしいの

わたしがさびしいときに ほとけさまはさびしいの

(金子みすず)


1.「父親ロス」の到来


みなさんは「○○ロス」という言葉をご存じでしょうか。

英語の「loss(喪失・失うこと)」を語源とし、自分にとって大切だったものや夢中になっていた対象が終わったり、いなくなったりしたときに感じる「強い喪失感」や「虚無感」を指す言葉だそうです。
「○○」の部分に入るのは、対象となる人(突然引退した推しの芸能人)やモノ、作品名(人気ドラマ・アニメのタイトル)などで、「ペットロス」といった言葉もその範疇に入ります。
そしてこの「ロス」の状態になると、心にポッカリ穴が空いたようになり、無気力感や悲しみに襲われるのだそうです。

3年前の春、私は父を喪いました。

ただ、私が父の死に抱いた感慨は、
「この人は生き切った。
 この世で為すべき事を為し終えて、燃え尽きたのだ。」

でしたので、大きな悲しみはあったものの、自分には「父親ロス」は来ないものと考えていました。ところがそれから約1年後、一周忌の頃にこれが到来したのです。

(なんだかわからないがとにかく寂しい。
 やる気が出ない。)

いったいこの寂しさは何だろう、と考えたところ、晩年の父が自分にとってどんな「存在」であったのか、に思い到りました。

若い頃はともかく、晩年の父は私にとって、私の存在を受け止めてくれる人、私の苦労を理解し認め、「頑張れよ」と背中を押してくれる人であったように思います。

仕事から帰宅した私に父がいつもかけくれていた

「お疲れさん。
 最近結構忙しそうだが、あんまり無理をするなよ。」
といった言葉が、いまも懐かしく思い出されます。


  2.『あなたに褒められたくて』(高倉健)

俳優の故高倉健さんに『あなたに褒められたくて』というタイトルの本があります。

刺青を背負った任侠映画のポスターの、踵(かかと)に貼った肌色の絆創膏にただ一人気づいて、
「アッ、あの子、またあかぎれ切らして、絆創膏貼っとるばい」

と心配してくれた母。
そのお母さんこそが名優高倉健の「原動力」だったそうです。

「頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。
 自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います。」
「肌色のバンドエイドで隠してる踵のあかぎれを見つけてくれる、たった一人の人はもういない。
 お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青(ほりもの)を描(い)れて、返り血を浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸せの黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、三十数年駆け続けてこれました。
 別れって哀しいですね。
 いつも―。
 どんな別れでも―。
 あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。」
人が人生を懸命に生き抜いていくのには、私にとっての父、高倉さんにとってのお母さんのような存在が必ず必要なのですね。

そして私にとってのそんな存在が父の他にもう一方おられました。
それが5年前に亡くなられた大学院以来の恩師です。

学問研究の分野にとどまらず、私の人生観、生き方にまで大きな影響を与えて下さったこの方は、帰郷以来数年に一度会えたかどうかの状態であったにも関わらず、その訃報に接した時、私は想像以上の、自分でも驚くほどの衝撃を受けました。
お声を聞けば、それが電話を通してであっても、私の背筋は真っ直ぐに伸び、「迂闊なことは申し上げられない」という緊張が電話の切れるまで続きました。
けれども、私が何か「成果」を上げれば、誰よりも先に報告したい。
そんな先生でした。

私の人生における「お手本」でもあった二人が相次いでいなくなってしまったのですから、私が
「ああ、私の人生において『褒めてもらいたい人』がいなくなってしまった。
 いったい私はこの先、何を励みに頑張ればいいんだろう。」

といった「ロス」状態に陥ったのも無理からぬことではあったのです。

   
   
 
   
  『あなたに褒められたくて』(高倉健)
   
 

   3.「如来言葉となりて我を救い給う」(曾我量深)

そんな精神状態の中で臨んだ父の一周忌。
法要後の会食の挨拶でそんな心境を吐露したところ、親戚のご住職から、
「阿弥陀(如来)様がいらっしゃいます。」
(あなたは一人では無い。
 阿弥陀様が一緒に居て下さる。
 寂しがる必要は無い。)

との言葉を頂戴しました。

正直、
(真宗寺院住職の回答としては満点だが、模範解答過ぎないか?)

と思わないわけでも無かったのですが、

「『阿弥陀様がご一緒』とはいうけれど、その阿弥陀様はどこにおられるのか?」

とあらためて考えてみたところ、

「他でもない、私が称える『南無阿弥陀仏』という念仏の声の中にいらっしゃるのだ。」

と思い到り、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と数度お念仏するうちに、不思議と寂しさは消えていき、不思議と元気が湧いてきました。

注意していただきたいのは、私はここで「念仏は寂しさを消してくれる不思議な『呪文』である」と言おうとしているのではありません。

親鸞聖人のご和讃には、

「十方微塵世界の
  念仏の衆生をみそなわし
  摂取してすてざれば
  阿弥陀となづけたてまつる」 (『浄土和讃』)

とあります。

また『歎異抄』には、

「誓願の不思議によりて、 たもちやすく、 となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束あることなれば」

とあります。

つまり、私の寂しさをよくよくご覧(理解)になって、それの根っこ・原因(迷い)を知らしめんがために、自らが「言葉」―たもちやすく、 となえやすき「南無阿弥陀仏」の名号―となって一切衆生(いっさい・しゅじょう、すべての生きとし生けるもの)の迷いと苦しみに同伴して、呪文と誤解されることも恐れず、その煩悩(ぼんのう)の汚泥に共に塗れていこうと決断された仏様が阿弥陀仏である、ということです、

冒頭に挙げた金子みすずさんの詩「さびしいとき」
わたしがさびしいときに よその人は知らないの
わたしがさびしいときに 友だちはわらうの
わたしがさびしいときに お母さんはやさしいの
わたしがさびしいときに ほとけさまはさびしいの

の「私がさびしいときに、仏様はさびしいの」の一節がよくそれを伝えていますし、生きた言葉(名号)を通して触れたその崇高な精神(本願)に勇気づけられて、私たちは人生の寂しさに耐えていくことができる。
これが親鸞聖人が私たちに伝えようとされた「教え」ではないでしょうか。

そして、その「仏様」の心(阿弥陀仏の本願)を伝えようとして下さった親鸞聖人もまた、私たちの寂しさに寄り添って下さる方として仰がれてきたのです。


  4.「恋しくば南無阿弥陀仏をとなうべし
         我も六字のうちにこそ住め」(伝親鸞聖人作)


この歌は、親鸞聖人が関東での教化を終えて京都に帰られた後、わざわざ上洛して「お傍に置いて下さい」と懇願したお弟子(信願房)に対して、

「あなたは関東に戻ってお念仏を広めなさい。」

と諭して贈った歌だと伝えられています。

聖人は和歌を好まれなかったと言われますから、おそらくは後世の偽作だとは思いますが、いかにも聖人が作られそうな歌であり、この歌を作っても不思議ではない方として聖人が仰がれていたことが窺われます。

「私に会いたいと思うならば、南無阿弥陀仏と称えるが良い。
 私はあなたの称える南無阿弥陀仏の声の中に棲んでいる。」
 (つまり「いつもあなたとともに居る。」)

この歌はまた、身体は京都と関東に離れていても心は一つ、私とあなたは同じ阿弥陀仏の本願を憶い念じる信心で結ばれ、いのち終われば同じ阿弥陀仏の浄土へと生まれていく兄弟―「同朋(どうぼう)」「同行(どうぎょう)」―であるとも歌っています。
聖人から「同朋」(とも)と呼ばれた信願房の喜びはいかばかりだったでしょうか。

……私の称える「南無阿弥陀仏」の中にも親鸞聖人は、父は、恩師は、阿弥陀様とともに住んでいて下さるのでしょうか。

   
  (『西念寺だより 専修』第51号に掲載)
 
  《参考ウェブサイト》
『親鸞聖人を尋ねて』(企画・制作 真宗教団連合)
「二十四輩|第十三 信願 慈願寺(鳥山)」

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