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人生に失敗がないと
人生を失敗する

         (斎藤茂太)


今月は山門に、精神科医であり、随筆家でもあった斎藤茂太さん(1916~ 2006)の言葉を掲示しました。

この言葉を

「人生で大きな失敗をしないためには、小さな失敗はたくさんした方がいい」

と受け取った方もおられるようです。

確かにそう受け取ることも可能です。
しかし、よく読んでみてください。
「人生に失敗がない」人間がはたしてこの世にいるでしょうか。

生まれた時から完璧な人間なんていません。

「生きている。証拠に今日も恥をかき」

という言葉すらあるように、人が生きていけば普通は必ず「恥をかく」こと、つまり「失敗」が付きものです。
人生はまさしく失敗の繰り返し。
長い人生にはそれこそ無数の失敗があるはずなのです。

つまり「人生に失敗がない」とは、「失敗を失敗として受け止めることができない」ということではないでしょうか。

「失敗」を自分の責任として認め、受け入れ、そこから何かを学び取っていく。
それができてこそ人間の成長もあると思うのですが、厄介なことにそれがなかなか難しい。
プライドやら何やらあって、他人のせいにしてみたり世の中の動き、時代のせいにしてみたりと、失敗を自分の失敗として、自分の責任において受け止めることが簡単にはできない。
でもそれができなければ、他に責任転嫁ばかりしていれば当然周囲はそっぽを向きますし、一向に進歩のない人だとさじを投げられてしまう。
結局は自分の人生そのものを失敗してしまう。

この言葉からはそんな「警鐘」が読み取れます。

私も自分が人並みに、あるいはそれ以上に失敗を繰り返してきた人間だと思っていますが、そのほとんどは人間関係の中での失敗でした。

しかし、それらの失敗から私なりに学んだことは、

「『正しいことを言えば、人は皆ついてくるはずだ』と思うのは大きな間違いだ」

言葉を換えれば、

「『人間、話せばわかる』とは限らない」

ということです。

きれいな言い方をすれば「人間に夢を描きすぎていた」と言えますし、きつい言い方をすれば「所詮は世間知らずの若造が甘っちょろいことを考えていたにすぎない」とも言えるでしょう。
つまり、「人間がどういう生き物であるか」が私にはわかっていなかった、ということなのでしょう。

お釈迦さまがご存命の頃、古代インドの強国コーサラの都シュラーヴァスティー(サーヴァッティー、舎衛城)で次のような出来事があったそうです。

ある日、国王パセナーディと王妃マッカリー夫人が王宮で語らっていました。
王が王妃に質問をします。

「妃よ、そなたはこの世の中で自分以上に愛しく、大切に思える者がいるか」
(お前はこの世で誰を一番愛しく、大切に思っているのか)

と。 ここで王妃が「大王さま、それはあなたでございます」とども答えれば、王も「そうであろう。愛(う)い奴じゃ」とご満悦だったかもしれませんが、王妃の答えは違いました。

「大王さま、いくら考えてみても、この世の中で私は自分以上に愛しく、大切に思える人はおりません」

あまりに正直で率直な返答に驚く―あるいは不快の思いを抱いたかもしれない―王に向かって王妃は言葉を続け、こう尋ねます。

「大王さま、あなたはいかがでございますか。
あなたは自分以上に愛しい、大切の思える方がいらっしゃいますか」

それに対して王もこう答えます。

「妃よ、実は私もそうだ。
いくら考えてみても、この世の中で自分以上に愛しく、大切に思える者はいない」 

妻や夫、あるいは自分の子供たち、恋人、かけがえのない家族や友人を愛しい、大切だと思わないわけではないけれど、それ以上にこの自分自身を愛しい、大切だと思ってしまう。

この事実に驚いた王は祇園精舎にお釈迦さまを訪問し、事の次第を話します。
これに対してお釈迦さまは次のように答えられました。

「どの方向に心で探し求めてみても、自分よりさらに愛しいものどこにも見出さなかった。
そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。
それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」と。
(人間というものはみな自分が一番愛しく大切なものなのだ。
それをエゴイズムということはできるけれども、あながちに否定することはできない。
それは良いとか悪いとかではなく、人間はそのようなものとして生きているのだ。
自分が自分を愛しく思うように、他の人もまた自分が愛しい。大切である。
だからこそ、他を尊重し、いたずらに害してはならない)

英語にも、

Every family has own problems to solve.
(どの家族にも人に言えぬ悩みが等しくあるものだ)

という諺があるそうですが、人はみなそれぞれの事情、問題を持ちながら一生懸命に生きている。
そしてその根っこには自分自身を愛おしいと思う思いがある。
だからこそ、その思いに想像力を働かせ、その思いを尊重して、あえてそれを傷つけるような振る舞いをしてはならない。
自分の「正しさ」を他者に押し付けてはいけないのだ、と。

私たちは、お釈迦さまがこの言葉をパセナーディ王、自国の国民の生命・財産を自由にできる、その生殺与奪の権を握っている国王、時には他国の国民のそれさえをも握り得る大国の王に語っていることにも注意する必要があるかも知れません。
つまり、治世者に対する統治の大事な心掛けを説く言葉として。

また、お釈迦さまは、「自己を愛する人は、他人を害してはならない」ともおっしゃっています。
「他を害さない」こと、他者を尊重していくことが自分を本当に愛し、大切にしていくことにつながるのだ、と。

「人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない。
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ。……
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない。
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね」
               (SEKAI NO OWARI「ドラゴンナイト」)

(『西念寺婦人会だより』2019年3月号に掲載)


〈参考文献〉
岩波文庫『ブッダ 神々との対話―サンユッタ・ニカーヤⅠ―』(中村元訳・1986)

   
   

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