法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「西念寺婦人会だより」2019年1月〜12月分
 

 
 2019年3月発行 掲載分

人生に失敗がないと
人生を失敗する

         (斎藤茂太)

                 

今月は山門に、精神科医であり、随筆家でもあった斎藤茂太さん(1916〜 2006)の言葉を掲示しました。

この言葉を

「人生で大きな失敗をしないためには、小さな失敗はたくさんした方がいい」

と受け取った方もおられるようです。

確かにそう受け取ることも可能です。
しかし、よく読んでみてください。
「人生に失敗がない」人間がはたしてこの世にいるでしょうか。

生まれた時から完璧な人間なんていません。

「生きている。証拠に今日も恥をかき」

という言葉すらあるように、人が生きていけば普通は必ず「恥をかく」こと、つまり「失敗」が付きものです。
人生はまさしく失敗の繰り返し。
長い人生にはそれこそ無数の失敗があるはずなのです。

つまり「人生に失敗がない」とは、「失敗を失敗として受け止めることができない」ということではないでしょうか。

「失敗」を自分の責任として認め、受け入れ、そこから何かを学び取っていく。
それができてこそ人間の成長もあると思うのですが、厄介なことにそれがなかなか難しい。
プライドやら何やらあって、他人のせいにしてみたり世の中の動き、時代のせいにしてみたりと、失敗を自分の失敗として、自分の責任において受け止めることが簡単にはできない。
でもそれができなければ、他に責任転嫁ばかりしていれば当然周囲はそっぽを向きますし、一向に進歩のない人だとさじを投げられてしまう。
結局は自分の人生そのものを失敗してしまう。

この言葉からはそんな「警鐘」が読み取れます。

私も自分が人並みに、あるいはそれ以上に失敗を繰り返してきた人間だと思っていますが、そのほとんどは人間関係の中での失敗でした。

しかし、それらの失敗から私なりに学んだことは、

「『正しいことを言えば、人は皆ついてくるはずだ』と思うのは大きな間違いだ」

言葉を換えれば、

「『人間、話せばわかる』とは限らない」

ということです。

きれいな言い方をすれば「人間に夢を描きすぎていた」と言えますし、きつい言い方をすれば「所詮は世間知らずの若造が甘っちょろいことを考えていたにすぎない」とも言えるでしょう。
つまり、「人間がどういう生き物であるか」が私にはわかっていなかった、ということなのでしょう。

お釈迦さまがご存命の頃、古代インドの強国コーサラの都シュラーヴァスティー(サーヴァッティー、舎衛城)で次のような出来事があったそうです。

ある日、国王パセナーディと王妃マッカリー夫人が王宮で語らっていました。
王が王妃に質問をします。

「妃よ、そなたはこの世の中で自分以上に愛しく、大切に思える者がいるか」
(お前はこの世で誰を一番愛しく、大切に思っているのか)

と。 ここで王妃が「大王さま、それはあなたでございます」とども答えれば、王も「そうであろう。愛(う)い奴じゃ」とご満悦だったかもしれませんが、王妃の答えは違いました。

「大王さま、いくら考えてみても、この世の中で私は自分以上に愛しく、大切に思える人はおりません」

あまりに正直で率直な返答に驚く―あるいは不快の思いを抱いたかもしれない―王に向かって王妃は言葉を続け、こう尋ねます。

「大王さま、あなたはいかがでございますか。
あなたは自分以上に愛しい、大切の思える方がいらっしゃいますか」

それに対して王もこう答えます。

「妃よ、実は私もそうだ。
いくら考えてみても、この世の中で自分以上に愛しく、大切に思える者はいない」 

妻や夫、あるいは自分の子供たち、恋人、かけがえのない家族や友人を愛しい、大切だと思わないわけではないけれど、それ以上にこの自分自身を愛しい、大切だと思ってしまう。

この事実に驚いた王は祇園精舎にお釈迦さまを訪問し、事の次第を話します。
これに対してお釈迦さまは次のように答えられました。

「どの方向に心で探し求めてみても、自分よりさらに愛しいものどこにも見出さなかった。
そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。
それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」と。
(人間というものはみな自分が一番愛しく大切なものなのだ。
それをエゴイズムということはできるけれども、あながちに否定することはできない。
それは良いとか悪いとかではなく、人間はそのようなものとして生きているのだ。
自分が自分を愛しく思うように、他の人もまた自分が愛しい。大切である。
だからこそ、他を尊重し、いたずらに害してはならない)

英語にも、

Every family has own problems to solve.
(どの家族にも人に言えぬ悩みが等しくあるものだ)

という諺があるそうですが、人はみなそれぞれの事情、問題を持ちながら一生懸命に生きている。
そしてその根っこには自分自身を愛おしいと思う思いがある。
だからこそ、その思いに想像力を働かせ、その思いを尊重して、あえてそれを傷つけるような振る舞いをしてはならない。
自分の「正しさ」を他者に押し付けてはいけないのだ、と。

私たちは、お釈迦さまがこの言葉をパセナーディ王、自国の国民の生命・財産を自由にできる、その生殺与奪の権を握っている国王、時には他国の国民のそれさえをも握り得る大国の王に語っていることにも注意する必要があるかも知れません。
つまり、治世者に対する統治の大事な心掛けを説く言葉として。

また、お釈迦さまは、「自己を愛する人は、他人を害してはならない」ともおっしゃっています。
「他を害さない」こと、他者を尊重していくことが自分を本当に愛し、大切にしていくことにつながるのだ、と。

「人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない。
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ。……
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない。
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね」
               (SEKAI NO OWARI「ドラゴンナイト」)

(『西念寺婦人会だより』2019年3月号に掲載)

〈参考文献〉
岩波文庫『ブッダ 神々との対話―サンユッタ・ニカーヤT―』(中村元訳・1986)


 
2019年10月発行 掲載分
 
業を果たす

 人は
  出会いによって育てられ
  別れによって深められる

去る8月7日、8日の二日間、広島県庄原市の西願寺にお伺いしてきました。

西願寺の現住職・寺川大雅氏は私の大学の先輩であり、その御縁でここ数年は西念寺の報恩講に法話講師としてご出講いただいていますが、今回はそれとは少し趣が変わって、ゼミの同窓会ということでお伺いしました。

前住職の寺川俊昭師は私の大学院時代のゼミの指導教授で、ゼミの卒業生一同で先生のお顔を拝すべく、20数名が大挙して今回ご自坊に参上したという訳です。

昭和57年(1982年)に大学院に進学し、平成3年(1991年)春に米子に帰ってくるまでの足かけ10年もの間、私は先生から懇切にご指導をいただきました。
その膝元を離れてから早や30年近い月日が流れてしまいました。

折しもその二日間は西願寺の「盂蘭盆会・うらぼんえ」(「原爆死没者・戦没者追弔会」を兼ねる)で、7日の午後に一座二席、8日の午前も一座二席、午後には一座一席の法座が組まれており、同窓生の中から5名が一席ずつ法話を担当することになっていました。
一番近くの米子からの参加ということで、私は最終日の午後、最後の一座を担当することとなり、約一時間お話させていただきました。

   
   
   
 
恩師のご自坊で法話をさせていただく。
30年前には想像もできなかった話で、大げさに言えば「今生の誉れ」と言ってもいいような出来事でしたが、その場に立った私からすれば、晴れがましさよりはむしろ寂しさが勝った気分でした。

私が感じたその寂しさとはズバリ、

「ああ、先生もお歳を召してしまわれたなあ」

ということでした。

当然と言えば当然の話です。
一別以来30年近くも経っているのですから。
先生も、そして私も、その分だけ歳を取っているのです。

まして昭和3年(1928年)生まれの先生は今年91歳の御高齢。

「親鸞聖人のお歳(数えの90歳でのご入滅)を越えました」

とはおっしゃるものの、ご持病もあり、肉体的な衰えはいかんともしがたいものがありました。

ただ、そんな体調の中でも先生は、初日(7日)の法座後、参加者20数名全員の近況方向を聞かれ、ご自身の現状と心境について長時間お話になりました。

「目が駄目になってしまって本が読めなくなったのが何より辛い。
……こんなにも辛い思い(老・病)をくぐらねば業を果たしていけないものですかね。」

長年大学の教員を勤めてこられた方ですから、仕事とか趣味とかという言葉ではとても言い足りないほど、読書は先生の人生において必須不可欠な生業(なりわい)であったはずです。

また、先生のおっしゃられた「業を果たす」とは要するに、死ぬ、命を終えるということです。
老いと病いによる不自由さを抱えながら、それでもまだ死ねない。
「生きる」という務めを終えることができない。
この世で果たすべき何かしらの「仕事・役割」がまだ残っている。

学部時代の指導教授であった鍵主良敬先生(仏教学)はそれを端的に、

「『借り』を返し終えないと死ぬこともできん。」

とおっしゃっておられました。

また、あるご門徒さんは、人工透析の治療を始めるに当って、

「後の者に『手本』を見せてやらねばなりませんからな。」

とおっしゃいました。

いずれにしても生身を持って生きる人間の生の厳しさ・哀しさという他はありません。

   
 
   
 


ただ、先生はお話の最後に門下生一同に対して

「皆様方、それぞれの業をどうか存分にお果たし下さいますよう、あらためてお願い申し上げます。」

とおっしゃられました。

「それぞれの業を存分に果たす」とは、それぞれがこの世の、それぞれの生きる場所において、今この時、自分が与えられた「役割・責任」を、自分の個性・長所を生かした自分なりのやり方で、おのれを尽くして精一杯果たしていく、ということではないでしょうか。

先生のこのお言葉を聞いて「さしあたり自分が業を果たすべき場所はどこか」と考えた時、自分が担当する翌8日の法座こそがそれだと思い当たりました。

若き日に先生によって「基礎」を作っていただいたこの私が、膝元を離れてからの約30年間の「一人歩き」の成果を発揮すべく、精一杯お話しさせていただきましたが、果たしてその「結果」はどうだったのでしょうかね。(笑)

(『西念寺婦人会だより』2019年10月号に掲載)



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