法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2008年1〜12月分)

 

 
 

今様・正信念仏偈!?


 この9月から地元新聞2紙(日本海新聞、山陰中央新報)を始め、全国各地の新聞で五木寛之氏の小説『親鸞』の連載が始まりました。
 一読した限りでは、親鸞聖人の忠実な「伝記」と言うよりも、あくまで聖人をモデルとした「小説」、といった印象なのですが、それなりに毎朝楽しみに読んでいます。

 さて、作中、 当時の世相を表すものとして、庶民の間で大流行していた俗謡、「今様(いまよう)」がしばしば登場します。
 時の権力者後白河法皇(1127-1192)もその 熱烈な愛好者で、自ら『粱塵秘抄』を編纂したほどの入れ込みようでした。
 また、聖人の祖父で「放埒(ほうらつ)の人」とされた日野経尹(つねまさ)も、作中では今様の名手として紹介されていました。

仏は常に在(いま)せども
 現(うつつ)ならぬぞあわれなる
 人の音せぬ暁に
 ほのかに夢に見え給う

弥陀の誓いぞ頼もしき
 十悪五逆の人なれど
 ひとたび御名(みな)をとなうれば
 来迎(らいごう)引接(いんじょう)うたがわず

 この「今様」、現代風、当世風、今風という名が示す通り、当時の流行歌だったそうですが、聖人が生涯にわたって作られた膨大な数の「和讚」もこの影響を受けているそうです。

弥陀成仏のこのかたは
 いまに十劫(じっこう)をへたまえり
 法身(ほっしん)の光輪(こうりん)きわもなく
 世(せ)の盲冥(もうみょう)をてらすなり

 どちらも日本人には親しみやすい七五調の四句構成。
  しかも「和讚」(聖人直筆)には、右側に振り仮名を付け、難しい漢字には左側にその意味を注記(左訓)し、さらには発音のアクセントを示す四声点(圏発・けんぽつ)が付けられているという、徹頭徹尾読む人の便宜を考えたものになっているそうです。
 親しみやすく 誰でもが口ずさめる「歌」にすることで、念仏の教えに日常的にふれることができるように、という聖人の創意工夫の賜物なのでしょう。(松野純孝『ゐなかの人々と親鸞』参照)

 また、お釈迦さまが法を説かれたのは当時インド・ガンジス河中流地域で日常語として一般的に用いられていた古代マガダ語によってであって、 雅語(がご・神聖な言語)とされたヴェーダ語(バラモン教の聖典ヴェーダに用いられ、上流の知識階級にのみ伝えられ、低い階層(シュードラ・奴隷や不可触民)に聞かせてはならないとされていた。当然一般庶民には理解不能)は決して用いられませんでした。
 それどころか、ヴェーダ語で法を説くように要請した比丘を叱りつけ、「ヴェーダ語で法を説く者は処罰する」とまで言われ、各地方の庶民の日常語で法を説くことを堅く 命じられたとのことです。(水野弘元『経典はいかに伝わったか』参照)
 

 


「太子和讃」
(龍谷大学図書館蔵)
 


 さて、蘊蓄(うんちく)はこのくらいにして、ここからが本題。

 本山では七百五十回 御遠忌ソングが決定したとのことですが、どうせ“現代風”にというのなら、いっそのこと“ラップ”というのは如何でしょう。

 では、軽い「お遊び」ということで……

きみょー、むりょーじゅにょらーい。 なむー、ふかしぎーこおー。

終わりなきいのちの願い。限りなきひかりのほとけ。
僕らはこのほとけのこころを、世界でただひとつの真実のもの、うそいつわりでないもの、裏切られないもの、世界で一番尊いものと信じ、仰ぎ、そして身を任す。

ほーぞーぼーさー、いんにーじー。ざいせーじざいおーぶっしょー。

昔、ひとりの僧がいた。
彼の名は「ダルマカーラ」。

「法の蔵」という名をもつ彼はかつてある国の王だった。
「争いのない国を願う」彼の心はいつも悲しかった。
争いを止めるために必要なものはより強い力(ちから)、武力(ちから)、権力(ちから)……。

平和のために血を流し、怖れと憎しみを身に浴びて、彼はひとりの仏に会う。
仏の名は「ローケーシュヴァラ・ラージャ」。
「世に自在である」という名の仏の言葉にふれ、彼は国を捨て、位を捨て、家を捨て、民を捨てた。

とーけんしょーぶーじょーどーいーん、こくどーにんでんしーぜんまーく。

(……ここらが限界。以下、続く。 ……かもしれない

 ……ちと、羽目をはずし過ぎたか、……(-_-;)

 そこのアナタ、そう目くじらを立てないで。……m(_ _)m

(12月13日)

 
 

忙中閑有り
          
― 「師走」の風景 2態 ―

 

われら鳥取県民の心の依処  秀峰「大山(だいせん)

(12月7日撮影)

 
 

境内の「紅葉」 

「裏を見せ 表も見せて 散るもみぢ」
                        (大愚良寛)

(12月5日撮影)

 
 

前言撤回


 ……嘘なんかつくつもりじゃなかったんです。(;´д`)
 もちろん騙そうなんて考えてたわけじゃありません。
 でも、結果的には……(-_-;)

 始めてしまったんです。
  今年も……。

 そう、『バケツ稲づくり』を!!

 あんなに、「今年はもうやらない」と宣言していたのに……。

  小学生の娘が学校の『田植え体験』から帰って、

「苗や種モミ、余ったから欲しい人にはくれるって。」

と言っても、

「要らない。
 やらないから、絶対にもらってくるんじゃないぞ。」

ときつく言い聞かせていたのに……。

 ふと気が付くと、娘の部屋に水につかった『種モミ』が……。

 しかもすでに『発芽』している。 (ToT)

 
 
 
 仕方がないので去年使ったバケツに土を入れ、肥料もアレコレ混ぜ込んで、準備完了。
 充分過ぎるほど育ったのを見計らって 、娘と一緒にバケツに植えました。(この辺はもはや手慣れたものです。)
 
     
 
 『裏・住職日記』の方で「今年は『米』はやらない」とコメントしていましたが、やらないのは、『米作り』ではなく、『米のブログ』だった、ということにしておいて下さい。m(_ _)m

(6月30日)

【P.S】
 ところで、某掲示板で「 西念寺さんのHPの隠れファン」と言って下さった奇特なアナタ(そう、アナタです)、お宅のイネちゃんはお元気ですか? 

 
 
 
【追 記】

 今夏の炎天にも耐え、バケツ稲、無事、出穂(しゅっすい)。

 (9月2日)

 
 

朋(とも)あり。遠方より……
       

 

 同門の先輩であり、かつ心許せる法友であるMr.ぎぶそんさんが ご本(左・画像参照)を出されました。所属寺院の記念事業の一環だそうで、当方にも一冊贈って下さいました。 \(^o^)/

 早速拝読しましたところ、まさしく「暮らしの中で真宗を語る」とでも言うべき内容で、お念仏の中で日暮らしするとはどういったことなのか、きわめて素朴かつ具体的に、ぶっちゃけて言えば堅苦しくも抹香臭くもなく、語られてありました。

 再読三読するうちに、行間からは、

「○○君、自分(注・関西弁で二人称「きみ」「あなた」を表す)なあ、いったいどんな関心で、いったいなんのために仏教 (真宗)を学んどるんや?」

といった、著者の肉声が、それこそ独特の関西弁のイントネーションで聞こえてくる気さえしてきました。


 中でも印象に残ったのは、下記の「真宗王国X ―与わったもの―」という一文でした。

真宗王国X ―与わったもの―
 私はご門徒から、よくほめられます。[あんた、ええ声してるね」「お経、ほれぼれするわ」「お説教、おもしろうて、よう分かったわ」。そんなことを言われているうちに、私はテングになっていきました。
 そんなとき、あるお婆さんが私に言いました。「あんたに与(あた)わったもんやね」。頭をガツンと叩かれたようでした。私にすでに与えられているということは、私の努力とか修行によって獲得したものではない、ということです。
 お婆さんの言葉は、何をうぬぼれてるんや」と私に聞こえました。」
                                (『スカッと念仏 ―モヤモヤが消える―』25頁)

 なぜこの一文かと言えば、たまたま私自身が「3月の法話」で、

「身も心も、私の全体が祖先からの贈り物、賜りもので出来上がっていると言えます。」

と書いていたからでもありますが、いつのまにか、それを「忘れて」しまっている自分に気がついたからです。

 ガツンとやられた自分が、そう気づかせてもらったはず自分が、元の木阿弥というか、いつのまにか「自分はエライ、スゴイ」に戻ってしまっている。
 気がつけば、「与(あた)わったもん」ではなく、自分の 「手柄(努力の成果)」としての「ええ声」、「おもしろくて、よくわかるお説教」……、に逆戻りしている。
 そして、心の中は「ワシがこんだけ努力して、苦労しとんのに、それをお前らときたら……」と周りに対しての愚痴やら憤りやらで一杯。

 また、「気づかせてもらった」どころか、「自分はそのことに気づいた。気がついたんだから自分はエライ。」と、折れたテングの鼻が今度は別の形で伸びて始めているのです。

 私たちの「我執」、「自力の執心」、「ワシが、ワシが……」の根性はそう生易しいものではない。
 だからこそ

「教えを聞くしかないんだ 。
 自分だけが救われていない人間だ
 自分こそが聞かなければいけない人間なんだ。 」

なんですよ、ねっ。河合さん。

「   蓮と鶏(にわとり)

 泥のなかから 蓮が咲く。
 それをするのは 蓮じゃない。

 卵のなかから 鶏(とり)が出る。
 それをするのは 鶏じゃない。

 それに私は 気がついた。
 それも私の せいじゃない。
               (金子みすゞ)」

 ……ハッ!!!(;゜Д゜)

 ……今「気がついた。」!!
 そういえば、まだ本の「礼状」送ってない。
 やばい、完全に「忘れて」た。
 ……(‐__‐ゞ)

 ……m(_ _)m ペコリ (この場を借りて、)ありがとうございました。

(5月21日)

 
 
 

ふと見ると
       

 


境内の「椿」がシャッターチャンス。

早速パチリで、即アップ。

(4月3日)

  思えば、この1枚から新企画「花ブログ」がスタートしたのでした……。
 

 
 

桜の思ひ出
           
― 「ホームページ開設秘話」
                                     と、いうほどのものでもありませんが ―

 私の住む米子市の近郊にちょっとした桜の名所があります。
 市内からクルマで約30分ほど走った南部町の法勝寺川土手に は約2kmも続く桜並木があって、満開の時分には見事な景観となります。

  今から7年前のちょうどこの時季に、ツレアイとまだ幼かった長男・長女の家族4人で桜見物と洒落込みました。
  河原でシートをひろげ、途中のコンビニで仕入れてきたお弁当で昼食を、というその時、小学校高学年とおぼしき男の子が2人、近づいてきました。

「 すみません。ちょっといいですか。」
「 ?……いいですけど、何。」
「 小学校の授業なんです。取材させてください。
 えっと…、どちらからこられました。」
「 米子から……」

 「取材」も終わり、

「何に使うの?
 壁新聞?」

と聞いたこちらの質問にかえってきた答えは、

「 いいえ、学校のホームページに載せます。」
(絶句。……じ、「時代」だ。)

 私が当ホームページの開設を決意した瞬間でした。

  あれから7年、増えたのは歳と家族とシワの数。
 減ったものはと言えば髪の毛の量と……(以下、自粛)

 今年は子供たちを連れて久しぶりに花見にでも出かけてみようか……。
(でもアイツらのことだ、「桜なんか見てもつまらない」という返事がかえってきたりして……(‐‐;)

(4月1日)
 

 


というわけで、法勝寺川土手ではなく、
近所の公園の桜の画像をアップ。
 


【追 記】

  タイトルの割にはちっとも「色気」のある話にならないのはなぜだろう……?

 それと最近、トップページのカウンター数が急増しているような気がするのですが、錯覚でしょうか。
 それとも、もしかしたら コ レ のせい……?

 
 

謹 賀 新 年

    「道」

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が道となる
その一足が道である
わからなくても 歩いて行け
行けばわかるよ

                 (清沢哲夫『無常断章』より)

        旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2008年1月1日)

 
 

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