「住職日記」(2009年1〜6月分) | |
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街角の風景 |
皆生温泉の街角で見つけた自動販売機。 町おこしの一環で「弓ヶ浜(ゆみがはま)三聖人」として地元出身の有名な芸術家(表現者)3人を似顔絵で描いたものです。 上から映画監督の岡本喜八(鳥取県米子市出身・1924−2005)。 続いて漫画家の水木しげる(境港市出身・1922− )。 一番下が写真家の植田正治(境港市出身・1913−2000)。 と、これだけなら別に何と言うこともないありふれた街角の風景。 |
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自販機前面の岡本喜八監督の右横に小さなサイズで描かれているのが彼の自画像。 (コ レ コ レ) 高校卒業後、進学のために上京。某新聞社(美術部)勤務を経て独立し、フリーのイラストレーター・風刺漫画家として活躍中の現在(いま)も故郷を忘れず、ジゲおこしのプロジェクト(NPO法人喜八プロジェクト)に協力してくれたというわけです。 |
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自販機設置当初は地元マスメディアに取り上げられたりもしたのですが、「現物」を見るのは
私もこれが初めて。 今更ワタクシごときが申し上げることではないかも知れませんが…… 業界ならびに地元の皆様、
(5月4日) 《松村宏関連ウェブサイト》
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オマケ |
(12月26日) |
牡丹四態
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(4月30日) |
『夢の記』
という夢です。 さて、この「夢」、いったい何を意味しているのやら……。 「教えのみが残る」と言われた「末法(まっぽう)」の時代も終わりを告げて、いよいよ「教えすらなくなる」とされる「法滅(ほうめつ )」、「経道滅尽(きょうどうめつじん)」の時代の到来でしょうか……※。 って、何をいまさら……かな。(苦笑)
……さて、いったい「誰」のことでしょう?(謎) (2月15日)
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五木寛之氏の新聞小説『親鸞』
ではここ数日間、磯長(しなが)の太子廟参籠から比叡山に戻った範宴(はんねん・19歳、後の親鸞)が、1日3000回の五体投地
(ごたいとうじ)を
連日繰り返し、その中で仏の姿や仏国土のありさまを観ようとする「好相行(こうそうぎょう)」に取り組む場面が描かれています。
この「仏とは何か?」という問いに対して、予想に反する形で答えを与えてくれたものが29歳の時の法然上人との、その教言―「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」(『歎異抄』)―との出遇いではなかったのでしょうか。
普通一般からすれば、「仏」と言えば私たちは「仏像」に代表されるような視覚的イメージのそれを連想します。
曾我量深師(1875−1971)は、1956(昭和31)年渡米した際に、東本願寺ロサンゼルス別院輪番夫人の質問に答えて次のような言葉を揮毫しておられます。
また、通常「真宗の本尊」観を表すとされる蓮如上人の次の法語
も、見方を変えれば、まさしく「(真の)仏とは?」という「問い」に対する「答え」として了解できるかも知れません。 |
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(1月21日) 【追 記】
(1月28日) |
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市内某デパート立体駐車場屋上から撮影。 ボケボケなのは「天候」のせいです。 (1月21日) |
謹 賀 新 年
旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。 (2009年1月1日) |
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