「住職日記」(2006年1〜12月分) | |
父と娘の信仰談議 ある朝のこと、お内仏にお参りしていた私を見て上の娘(小1)が、
以上、この間仏間から洗面所、そして台所へと、歩きながら、用足ししながらの父と娘の「会話」でした。
阿弥陀さまは「つくりもの」、虚構(フィクション)の「物語」でも、ただの「木像」でもないし、「とにかく無理やりでも信じればいい」というものでもないんだよ。
娘よ。この言葉の意味がお前にもいつか本当にわかる日がくるのかしら。
(9月1日) |
珍説・『清め塩』考 作家嵐山光三郎さんの小説『よろしく』に次のような場面(シーン)が登場します。 主人公(ぼく)が知人の葬儀に参列した帰途、友人の営む焼鳥屋に立ち寄り、まずは一杯、というその直前 、喪服姿をいぶかしがる友人にこう言って「清め塩」を断るのです。
「清め塩』とは読んで字のごとく「清めの塩」。 「ケガレ」とは、
人や動物の死や出産、女性の月経などによって発生する不浄(死穢、産穢、血穢等)で、特に神道においてタブー視(忌避)され、ケガレを負った人間は神域に立ち入ることも祭礼に参加することもできません。 例えば、前年に葬儀を出した家はお正月の門松や注連(しめ)飾りを燃やす「とんどさん」行事に参加できませんし、以前、大阪府知事(女性)が表彰式のために大相撲の土俵に上がろうとして断られた理由もこの神道行事における「ケガレ」
の忌避によるものです。
という「但し書き(禁令)」(正確な文言は覚えていませんが)の木札が掛かっているのを目にして、「いまだにこんなことを言っているのか」と内心驚いた ことを覚えています。 蓮如上人の『御文』にも、
とあるように、仏教にはもともと「ケガレ」や「物忌」の思想はありませんが、明治の神仏分離まで長く続いた「神仏混淆(しんぶつ・こんこう)」のため、仏式の葬礼にまで神道儀礼が混ざり込んだ状態になっているのです。 『日本国語大辞典』(小学館)には「けがれ(る)」の語源説が数多く紹介されていますが、私は「ケガレ」とは「気枯」―「気(生命力)が枯れる(減退する・枯渇する)」ではないかと考えています。
「ケガレ」を発生する出来事(人や動物の死や出産、失火など)によって、その家の人間が意「気」消沈し、元「気」をなくし、時には病「気」となって続けざまに死んでいく。
共同体の存続を脅かした一連の出来事を逆上って見ると、どうやら「あの家」で起きた血や死にまつわる「あの出来事」を発端に始まっている。
だからこそ出産後の赤ちゃんの初めてお宮参りも「忌明(いみあき・いみあけ)」と呼ばれるのです。
「物忌」とは、このような共同体の危機を回避するための、言わば経験から生まれた「知恵」ではなかったのでしょうか。」
また、インドでは現在も右手を「聖なる手」、左手を「不浄の手」として食べ物を持つ手、汚物を取り扱う手として使い分けていますが、衛生的に見ると非常に理にかなっていると言います。 一見古い迷信と思われがちなこれらの習慣も、「衛生」、あるいは「共同体の維持存続」という観点からすれば実は大変に優れた「知恵」、庶民生活の中から発見された「知恵」であり、これがタブー(宗教的禁忌)ということになれば、誰もおいそれと破ることはできなくなります。 このように庶民の知恵から生まれた「物忌」の風習ですが、やがて国家の法令(『延喜式』)にまでなり、「ケガレ」の種類やそれに伴う「忌」の期間までが細かく規定されることになります。
このように考えると「ケガレ」の忌避は言わば当時の最先端の「科学」であったとも言えるのですが、中世日本においては、死に瀕した病人(使用人)が息を引き取る前に家の外に出す、つまり「捨てる」という行為が頻繁に行われたそうです。 また、恒常的に「ケガレ」に触れ続けている人、「ケガレ」を祓い清めることのできない人への蔑視・差別もやがて生まれてきたと言います。(これが現代まで続く部落差別の起源であると言われています。) 「日記」冒頭に引用した嵐山さんの「遺体は汚いものじゃない」という一言には、おそらくこのような「ケガレ」思想への抵抗が込められているものと思われます。
「ケガレ」の忌避とは、現代的な医学知識のない時代にはそれこそ最先端の「科学知識」であったでしょうし、「防疫」等にそれなりに有効でもあったでしょう。 自分の大事な家族、友人・知人の遺体を「ケガレの源」とのみ捉え、その人の死をとっとと忘れてしまいたい、眼前から消し去ってしまいたい「災厄」であるとのみ考える。 そのような「在り方」「生き方」からそろそろ私たちは「卒業」しなくてはならないのではないでしょうか。
(8月6日) |
第1次反抗期 神によって創られた人類最初の男女アダムとイヴが、神から食べることを禁じられていた「知恵の樹(善悪の知識の木)」の実を蛇の誘惑によって口にし、その途端、自らが裸であることに気づき、恥ずかしさからイチジクの葉で腰を隠すようになった。このことから神の怒りに触れた2人は 農耕・出産といった様々な苦しみを与えられてエデンの園(楽園)から追放され、以後人間は神の命に背くという「原罪」によって死という罰を与えられることとなった 、というものです。 学生時代読んだ教育学者の林竹二(1906−1985)先生の著書によれば、この「楽園追放」の 神話は人間が知恵を持つ、自と他を分別し善と悪を分別するいわゆる分別知を持つことによって、世界との一体感を失い、孤独を覚え、死を恐れるようになるという、いわゆる「自我意識の芽生え」を象徴する 物語であるとされていました。 さて、何故こんなことを長々と書いてきたかといいますと…… うちの末娘(3歳)が現在「反抗期」なのです。それも強烈な……
一事が万事この調子。
と、少々疲れ気味デス。 自己主張の始まりのようでもあり、親の愛情を試しているようでもあり、まるで失われつつある「世界と自分との一体感」を必死で取り戻そうとしているかのようでもあります。
自我の確立を強固に要求しつつ世界から孤立することを恐れる。
そう考えると、それはそれで悲しいような、可哀想なような……
と、まあ、今はこうして子育てのネタでぐちっているこの私ですが、あと何年かしたら確実に子供に相手にされなくなっていたりして……。 (1月27日) |
「お経って何が書いてあるの?」(その2) 下の欄(「お経って何が書いてあるの?」)で私は、 ≫経典の現代語訳……、
として「宗門(真宗大谷派)」という集団が組織ぐるみで、その「英知」を結集して(まあ「英知」なんてものがあるかどうかはこの際置いといて)、取り組まねばならない課題をいくつか挙げてみました。 こう書きながらふと、「宗門」の課題はともかく、「私」の課題って何だろうか……と考えた時、妙好人(みょうこうにん)※として高名な讃岐の庄松(しょうま)さん(1798−1871) のこんなエピソードを思い出しました。
新羅の高僧憬興(きょうごう)師による『大経』の注釈書『無量寿経述文賛(じゅつもんさん)』によれば、『大経』上巻は広く「如来浄土の因果」を説き、下巻は 広く「衆生往生の因果」を顕わすとのことですから、庄松さんがたまたま手にした下巻はまさしく
ことを説いた経文であったわけです。
もちろん庄松さんがそんなことを知っているわけはありません。 いずれにしても、げに恐ろしきは「妙好人」の直観力。 とどのつまり「私の課題」とは、具体的に何をどうこうする以前に、
を明らかにすることであり、それこそがあらゆる法務(寺院活動)の一番の根っこになくてはならない、ということなのかも知れません。 (1月24日)
|
「お経って何が書いてあるの?」 あるお宅のご法事での出来事です。 弟(小学校1年生くらい)が、
と聞くと、お兄ちゃん(小学校3、4年生ぐらい)が、
(オ〜イ、しっかり聞こえとるぞ〜。) ……大人になったらわかる、のかな〜?
う〜ん、「宗門」の課題は多い。 しかし、1番の課題はとどのつまり、現代日本からどんどん喪われてしまっている仏教に根ざした生活習慣(例えば朝夕の勤行(おつとめ))、もしくはそこで養われてきた生活感覚(例えば 外国人から逆輸入の形で紹介された「もったいない(MOTTAINAI)」(ワンガリ・マータイ)だとか、「おかげさま で」(ペマ・ギャルポ)だとか)といったものをどう回復していくか、ではないか、と私は考えるのですが……。 (……い、いかん、話がどんどんマニアックになっていく。) (1月24日) |
謹 賀 新 年
旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。 (2006年1月1日) |
Copyright(C) 2001.Sainenji All Rights Reserved.