(じょうど-さんぶ-きょう) 三部経とは三経ともいい、経典の中から三部を選んだものをいう。例えば浄土の三部経とは大無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の3つをいう。 |
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大無量寿経(だい−むりょうじゅ−きょう) | |
2巻。三国魏の康僧鎧(こうそうがい)の訳と伝えられる。無量寿経、双巻経ともいう。阿弥陀仏と極楽浄土を説く経典で、中国・日本の浄土教では観無量寿経(観経)、阿弥陀経(小経)とともに浄土三部経の1つにかぞえ、大経とも呼ぶ。 昔、ある国王が世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して法蔵(ほうぞう・ダルマーカラ)比丘(びく)と名のり、諸仏の国土を見たうえで、五劫の間思惟して、もっともすぐれた浄土を荘厳(しょうごん)する清浄の行を選びとり、四十八願をおこして兆載永劫(ちょうさいようこう)の修行をした結果、今から十劫の昔に成仏して無量寿仏となり、現在も西方十万億の国土をへだてた安楽国土にいて衆生を教化すると説く。そしてその国土のすぐれたありさまを述べて浄土往生を勧め、阿弥陀仏の救いの慈悲を信ずることを強調する。 |
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観無量寿経(かん‐むりょうじゅ‐きょう) | |
1巻。無量寿観経、十六観経とも称し、略して観経という。劉宋の良耶舎(きょうりょうやしゃ)の訳(元嘉年間424―53)。西方極楽浄土へ往生する方法を説く経。 インドの摩掲陀(マガダ)国の太子阿闍世(あじゃせ・アジャータ シャトル)が父王頻婆娑羅(びんばしゃら・ビンビサーラ) を幽閉し、母后韋提希(いだいけ・バァイデーヒー)をも殺害しようとした 王舎城(おうしゃじょう)の悲劇を主題として、現世の苦悩を除いて極楽浄土に往生する方法が十六種の観法にまとめて説かれる。この十六観により極楽世界の様相を心の対象として観想するが、はじめの十三観には浄土の具体的な荘厳、阿弥陀仏のすがたなどを想い浮かべるという観法を説き、のちの三観には衆生がそれぞれの性質や能力に応じた修行により極楽に生まれるさまを説く。とりわけ、下品下生(げぼんげしょう)の衆生(しゅじょう)が南無阿弥陀仏を唱える声明念仏によって往生を遂げると説く点に大無量寿経との関連性が見られる。 |
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阿弥陀経(あみだ‐きょう) | |
1巻。後秦の鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳(弘始4年402)。浄土三部経の1つで、小経、四紙経ともいう。 仏陀が誰からも問われないのに自ら進んで舎利弗(しゃりほつ)によびかけ、極楽浄土と阿弥陀の所在を説き、その名を解釈し、浄土のありさまや阿弥陀仏の徳をたたえて、浄土に生まれるには一心に念仏せよとすすめ、六方の諸仏がこの仏陀の説を証誠(しょうじょう)して念仏の衆生を護念することを述べ、五濁(ごじょく)の世の難信の方であると説く。 |
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(『総合仏教大辞典』(法蔵館・1987) 「三部経」「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の項より抜粋引用) |
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