法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2018年1月~12月分)
 


真宗本廟報恩講法話



去る11月21日、「2018年度 東本願寺(真宗本廟)報恩講」において、住職が本山御影堂で約15分間の「報恩講法話」をさせていただいた折の写真です。
1995年(平成7年)以来、何と実に23年ぶり、2回目のお役目でした。
23年前の装束は黒衣・墨袈裟でしたが、今回は間衣・輪袈裟・道中袴。
装束も変わりましたが、何より写真のCD・動画のDVDがもらえました。
何せ前回は、同行者にフィルムカメラと小型のカセットレコーダーで記録してもらいましたからね(笑)

 





 
 

(11月22日)
 
 
 

私家版『超訳・歎異抄』

【現代語訳】

「何だかよくわかんね~んだけどさ~、オレさ~、「法然」とかいうボンさんにあってさ~。
 なんて言うのかさ~、……感動?そうそれ!!
 何かめっちゃくちゃ感動しちゃってさ~。
 今までオレ、あ~だこ~だとグジグジしてきたんだけどね。
 ああ、オレって結局「この言葉」が聞きたかったんだ。
 それも「この人」、この「法然」っていう人の口から聞きたかったんだなあ~って思って~。
 オレ、今までこんな気持ちになったことなんかないんだけどね。
 何だかこの人にはずっとついて行きたいと思えたんだよね~。
 いや、別にさ、わかってもらえなくてもいいんだけどさ、この気持ち。」
【原 文】
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
 念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。
 たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。……
 このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々」


え~っと、あくまで「私家版」ですので、そこのアナタ、そんなに目くじらを立てなくても……(^-^;A

「宗教とは、生涯を尽くしても悔いることのない、ただ一句の言葉との出会いである」  (金子大栄)
(11月3日)
 
 
 
五劫思惟阿弥陀如来像
                「アフロ仏」と「痩せ仏」 

『大無量寿経』には、阿弥陀仏が因位の法蔵菩薩(覚りを開く以前の修行者としての名)であった時、自分がどのような仏に成りたいのか、自らの国土をどのような世界・浄土にするのか、何の行によって生まれることが出来るようにするのか、つまり生きとし生けるものをもらさず、本当に救うにはどうしたら良いのかを五劫という長い時間、考えに考え抜いた末、「四十八の大願」を起こした(五劫思惟・ごこうしゆい)という物語が説かれています。
その思索中のお姿を現したものが、いわゆる「五劫思惟阿弥陀仏」像で、近年そのユニークな風貌から奈良県五劫寺や金戒光明寺の「アフロ仏」(五劫思惟の間に螺髪(らほつ)が伸びすぎて髪型がアフロヘア―のようになってしまった姿の法蔵菩薩像)が注目されているのですが、ところがどっこい、富山市辺りには思索に没頭するあまり骨と皮だけになってしまった姿の法蔵菩薩像、いわゆる「痩せ仏」が多数存在するそうです。

 
        
 
      【奈良市・思惟山五劫院】            【京都市・金戒光明寺墓地】

 
       
 
    【富山県・門徒宅内仏脇掛】            【鹿児島県・薩摩細布講】

 
私なんぞはむしろ「痩せ仏」の方にこそ、「法蔵菩薩の御辛労」が偲ばれますがね。 

(10月4日)
 
 

親鸞聖人のまなざし

「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。
 ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。
 まず、「善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、
 信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。
 さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。」
                    (親鸞聖人『末燈鈔』第6通)
臨終来迎往生臨終に阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩等の聖衆の来迎(のビジョン)を見ることができてこそ極楽浄土に生まれられる、逆に言えば、畳の上(当時は板の間)で安らかに死を迎えることができなければ死後は間違いなく悪道に堕ちるが「常識」の時代に、往生を決めるのは尋常(平時)の信心・念仏であって「臨終の善悪は問わない」というのは、畳の上であろうが、飢え死であろうが、感染症で河原に棄てられて死のうが、津波に呑まれようが、土砂崩れで生き埋めになろうが、合戦で首を落とされようが関係ない。
人の死に様は「無常の世の習い」に過ぎない、と。
それもその酷たらしい死に様や遺骸を眼にしたであろう人たちに向かって言い切るんだから、親鸞聖人という人はどれだけアナーキーな、もしくは底抜けに優しい人だったんだろう?
……などと考える今日この頃。
現代(いま)で言うならさしずめ、死に方一つでその人の人生全体の価値・意味を、それもその人以外の人間が勝手に決めるな、ということなのでしょうか?
 
 (9月24日)
 
 

阿弥陀仏の存在証明

「歴史上の人物である釈迦牟尼仏に対して、大乗経典に登場するいわば神話・物語上の架空の存在である阿弥陀仏の『実在』を証明するものは何か?と言えば、まぎれも無く、阿弥陀仏の本願を憶念して苦難の人生を生き抜いた無数の念仏者の上において、である。」
そんなことを考えながら、彼岸会法座にお参りのご門徒衆と「正信偈」をお勤めしていたら、何のことはない、親鸞聖人は既にそう仰っていましたわ。
本願成就の文、『経』に言わく、
諸有衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
至心に回向せしめたまえり。
かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せん。
ただ五逆と誹謗正法とをば除く、と。已上
           (親鸞『教行信証』「信巻」引用『大無量寿経』)
『無量寿経』に云うがごとし、
「もし我成仏せんに、十方の衆生我が名号を称せん、下十声に至るまで、もし生まれずは正覚を取らじ」と。
かの仏、いま現にましまして成仏したまえり。
当に知るべし。
本誓重願虚しからず、衆生称念すれば必ず往生を得、と。
                   (「行巻」引用善導『往生礼讃』)

 (9月21日)
 
 
 

御 報 告

住職の論文
「親鸞の『即得往生』観
    小谷信千代氏の『現世往生説』批判に対して
が『中外日報』(ちゅうがいにっぽう、京都に総本社を置く中外日報社が発行する宗教専門紙)の5月2日号に掲載されました。
現在学界では、宗祖親鸞聖人(1173〜1262)の往生理解に関する「論争」が行われており、当時(というか現在でも)臨終に西方極楽浄土に生まれることを意味した「往生」の語に、親鸞聖人がどのような新しい「意味」(想い)を込めたのか、について学術的に考えてみたものを投稿、掲載していただきました。

 
 
 

現在、『中外日報』のウェブサイトでも読むことができます。
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2018/0502.html

(5月2日)
 

【追 記】
上記の論文、「小谷先生の何を批判しているのかよくわからない」等の感想がありましたので、若干それに加筆・訂正を施したものを「法話ライブラリー」に新たにアップしました。
http://www.sainenji.net/kiyou014.html

 (12月4日) 
 
 


御 礼

去る4月28日(土)夕刻に行われました西念寺特別講座「やまとのこころ」(協賛・西念寺婦人会)、無事終了いたしました。
当日は50名ほどの方がお見えになり、盛況でした。

 
 
facebook上でライブ動画
https://www.facebook.com/gessui.kuroda/videos/1722115174539768/
も配信され多くの方に視聴していただきました。
たくさんの「お捻り」も頂戴し、演者2名もさぞかし美味しい打ち上げのお酒が呑めたことと存じます。(笑)

 
 
多数のご参加の皆様、ありがとうございました。
また、裏方のボランティアとして奮闘してくださいました坂口妙子さん、錦織小百合さんにもこの場を借りて御礼申し上げます。
                       
 
(4月29日)
 
 
 
 

 

西念寺行事のお知らせ

西念寺特別講座(協賛・西念寺婦人会)
「やまとのこころ」(琵琶演奏とエレキ紙芝居上演)

【 日時 】  4月28日(土)
         〚開場〛午後4時半
         〚開演〛午後5時
【 会場 】  西念寺本堂
《 土 佐 琵 琶 》  黒田月水さん
《エレキ紙芝居》  ゴロ画伯(松村 宏)

※入場料は無料です。(ただし「お捻り」は大歓迎)
※一般の方の入場も歓迎いたします。
※お車の方は、西念寺門前駐車場、境内、もしくは市役所等の有料駐車場をご利用ください。
 

(4月4日)

 
 


謹 賀 新 年

新しき年のはじめの初春の
    今日ふる雪の いや()吉事(よごと)
                       (大伴家持
仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべし
                       (親鸞聖人)


旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2018年1月1日)

 
 

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