法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2014年1〜12月分)
 
 
 

 御 礼 並びに ご 報 告

「西念寺山門落慶記念並びに歴代住職年忌法要」
                        の円成について

                           西念寺住職・総代一同
 

去る10月23日、「西念寺山門落慶記念並びに歴代住職年忌法要」が厳修されました。
心配された空模様も前日の荒天から一転して秋晴れとなり、大阪市園徳寺様、松江市西光寺様、湯梨浜町勝福寺様、広島市円光寺様、雲南市宗専寺様、境港市真光寺様のご出仕、総代・評議員・婦人会役員を始めとする多数の御門徒方の参詣のもと、滞りなく円成(えんじょう 大法要の終了)いたしました。
一昨年暮に再建がなりました山門の「落慶」、並びに開基(かいき 初代住職)釈教専(きょうせん)師の四百回忌、第12世如実院釈経道(きょうどう)師の百回忌、第13世聞光院釈含雄(がんゆう)師の五十回忌という歴代住職三師「年忌」の節目に当たり、「法要」をお勤めし、松村宏氏によりますエレキ紙芝居「西念寺縁起〜教専の道〜」、上場顕雄師によります記念講演「教如上人と信長・秀吉・家康」を拝見拝聴し、文禄2年(1594)の西念寺創建当時の時代について学ばせていただきました。
初代教専師以来、418年にわたる歴代ご住職並びに御門徒の方々のご辛労に思いを馳せ、西念寺護持への思いを新たにする御縁となりました。
また、法要後、全日空ホテルで催された「記念懇親会」にも多数ご出席をいただきました。「颯」連の中学生諸君によります「米子がいな太鼓」、五光クラブの皆さんによります「南京玉簾」の上演に興じながら、和やかな懇親の時間を持つことができました。
以上、法要の厳修にご尽力いただいたご門徒の皆様への御礼旁々、謹んでその円成をご報告させていただく次第であります。
                                    
 合 掌
 
(10月30日)
 
 

  西念寺山門落慶並びに歴代住職年忌法要のお知らせ


御門徒の皆様におかれましては、日頃西念寺護持・興隆のためご協力いただき誠にありがとうございます。
さてこの度、一昨年暮れに再建がなりました西念寺山門の「落慶記念法要」、並びに西念寺歴代住職3師の「年忌法要」を下記の通り勤修致します。
皆様、多数御参詣くださいますようご案内申し上げます。

                 
 【  日  時  】  10月23日(木)午後1時〜4時
 【  会  場  】  西念寺本堂
 【  法  要  】  西念寺山門修復落慶
             西念寺開基  釈教専法師 400回忌
             第12世住職  釈経道法師 100回忌
             第13世住職  釈含雄法師 50回忌
 【エレキ紙芝居】  「西念寺縁起 〜教専の道〜」
                      松村  宏 氏
 【 記 念 講 演 】   「教如上人と信長・秀吉・家康」 
                      上場 顕雄 師
                                           以 上

 (9月1日)
 
 

 
スカッ!!と念仏


風変わりな表題に驚かれた方もおられるかと思いますが、実はこれ、ある本の「タイトル」なのです。

学生時代、私は寺川俊昭先生(広島県庄原市・西願寺)のゼミに所属していたのですが、そのゼミの先輩である河合清閑氏がこのほど本を出版なさいました。
その「タイトル」が、

河合清閑(真宗大谷派本光寺僧侶)著
    『スカッ!!と念仏
        親鸞が教えてくれる11のヒント』
             (文芸社・本体1,200円+税)

 

なのです。

もともとは著者が所属・勤務する石川県小松市本光寺の「住職在職25周年記念事業」で自費出版されたもので、以前、この「住職日記」「朋(とも)あり、遠方より」(2008年5月21日)でもご紹介したのですが、今回、大幅な加筆・修正の上、東京の出版社から出版されることになったわけです。

全11章からなるこの本は、「念仏」「親鸞」とあることからわかるように、いわゆる「仏教書」なのですが、著者自らが、

仏教というと、お年寄りが暗い部屋で仏壇に灯をともしてチ〜ン。
なにか、抹香くさい、古めかしい、葬式仏教、意味のよく分からない長いお経、正座で足がしびれるなど、あまりステキなイメージは浮かびません。
たしかに仏教は、そういう面もあります。
ところが、私が出会った仏教は、まったく違う顔を持っていました。
私の悩みに対応してくれるのです。私と向き合って、一対一で対話してくれるのです。
                                         (「はじめに」より)

と書いておられるように、決して抹香臭く、古めかしいだけの本ではありません。

もともとは寺院の出身ではない著者が大谷大学に進み、善き師と出会い、「真宗王国」と呼ばれる北陸の地で暮らすことになる中で出会ってきた仏教、「私の悩みに対応してくれる」「私と向き合って、一対一で対話してくれる」仏教との出会いの「感動」について書かれたものです。

以下、住職の心に特に留まった文章を2編ほど紹介します。
いずれも著者が出会われ、「親鸞聖人の教えが息づいている」と感じられた日常の中の言葉にまつわるものです。

教えが息づく―
大阪から小松に来て6年。「北陸は真宗王国」ということは大阪でも耳にしていました。
小松に来て、町の御講などが多く、各家庭のお仏壇は大きいので、「さすが」とは思っていました。
しかし、老婆の悲痛なつぶやきに「真宗王国」の本当の意味を実感しました。
「会うもんに、会わんならん」。
50歳代の長男を亡くした老婆が、うめくように言われました。
私は感動して鳥肌が立ちました。
その言葉は、真宗の教えの要と思われるからです。
『歎異抄』の
「念仏者は無碍の一道なり」
に通じる言葉だと直感しました。
いつも除災招福を願ってやまない私です。
ところが、会いたくない災いに会ってしまったとき、「会わなければいけないものなんだ」と災いも福も自分の人生の大切な出来事として引き受けていく、覚悟の告白でしょう。
さらに驚いたのは、この言葉は小松の年配の方なら誰でもよく口にすると知ったときです。
つまり日常の会話の中に、親鸞の教えが息づいているのです。

まことの知見―
「ええもんに悪いもんが付く」
小松の年配の方々と話していますと、何気ない言葉に感動します。
これは『歎異抄』の
「善悪 の二つ総じてもって存知せず」
通じるように思われます。
人間が考え出した善とか正しいというようなことは、その裏側に必ず悪とかウソがひっついている。
たとえば環境問題を考えれば、かつて人間が利便を追求し、これがあれば幸せになれるとつくられたもの。電気とか車とか、日常ほとんどのものでしょう。
しかし、それが環境を破壊し人間の生命を脅かしています。
人間の文明とは「正」だけではなく、必ず「負」の面を持っています。
私たちは正の面ばかりを見ています。負の面に目をつぶっています。
ところが「ええもんに悪いもんが付く」という、正負両面を見る「まことの知見」が、この言葉には込められているように思います。

この他にも心惹かれる文章がたくさんあるのですが、それは「現物」をご覧になってのお楽しみということで……。
「ええ本ですから、どうか買(こ)うてあげてくださ〜い。m(_ _)m」

「買うてくださ〜い。m(_ _)m」(著者より)

 (5月8日)
 
 


謹 賀 新 年


ここはもう あともどり できぬ道

   この世で 一ぺんだけ 通る道

(榎本 栄一)

旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2014年1月1日)

 
 

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