法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2013年1〜12月分)

 

 
 
            年末回顧(その2)

 今年6月15日の「西念寺婦人会総会」ではちょっと変わった「企画」が実現しました。
 例年だと「総会事務」(会計報告・予算審議等)の後は「法話」(だいたいは住職の……)だったのですが、今年はなんと「エレキ紙芝居」の上演が行われました。
 なぜこんな企画が実現したのかというと……。(長くなりそうなのでできるだけ手短に)
 米子市淀江町福岡に、7世紀後半から11世紀初頭まで存在した古代寺院「上淀廃寺」跡があります。
 「三塔一金堂」型式西側に金堂、東側に南北に3つの塔を持つ(ただし北塔は計画のみで終わった可能性あり)という他に例を見ないユニークな伽藍配置の「上淀廃寺」なのですが、これに目を付けたのが日頃「歴史資産を活用した地域振興」を目論んでいる「県立むきばんだ史跡公園」のむきぱんだ所長こと中原斉さん。(実際の「上淀廃寺」の発掘調査にも携わったバリバリの考古学者ですが、これがナント住職の中学高校の同級生)。
 住職の従弟である「紙芝居師」のゴロ画伯こと松村宏氏と組んで、“上淀廃寺誕生秘話”の「紙芝居」を制作・発表したのですが、その彼から住職に「ぜひ、お寺の本堂で上演したい」との申し入れがあり、「それならば6月下旬の婦人会の総会で披露を」と応えて実現に至りました。
 さてこの“上淀廃寺誕生秘話”ですが、「上淀廃寺」は当地の渡来系氏族を壇越(だんおつ)として天武天皇12年(683年)頃に創建されたとみられていますが、正式な寺院名は不明でその「縁起」も失われています。
 ところが一方で、『大山寺縁起』『朝妻縁起』といった古文書によると、地元の豪族「朝妻氏」の娘「玉清姫」が都に上って文武天皇の后となり聖武天皇を産んだとされています。(聖武天皇の実際の母は藤原不比等の娘宮子ですが、重度の心的障害のため、聖武天皇誕生36年後に初めて息子と対面できたといいます。)
 文武天皇は后「玉清姫」のために和銅元年(708年)伯耆国に「朝妻寺」を建立。
 「玉清姫」の没後、聖武天皇は行基に命じて千手観音を作らせ「夕陽山朝妻寺」(後の「玉簾山清見寺」)の本尊とした、と記されているそうです。(以上、ぱんだ所長のレクチャーより)

「白鳳の精華・上淀廃寺について」を語る中原斉所長。
 この「玉清姫」伝説を題材に、国家の安寧を祈って奈良東大寺の大仏を建立した聖武天皇の胸中には深く仏教に帰依した義母玉清姫の面影があったという一大歴史ロマンとして出来上がったのが“上淀廃寺誕生秘話”エレキ紙芝居「ふるさとの大仏さま」なのでした。
(まあ関係者の間では、出雲大社の「縁結び」に対抗する“玉の輿”伝説として独身婚活女性にアピールしようという腹積もりもあったそうですが……)

「ふるさとの大仏さま」熱演中の松村ゴロ画伯。
 そして、「せっかくの機会だからぜひ、これも」と住職のリクエストに応えて上演してくださったのが感動巨編「キンモクセイの薫るころ」。(正直、泣けました……)

  「キンモクセイの薫るころ」の一場面。
 そして、最後のシメは住職の役目、ということで、
 聖武天皇は『詔(みことのり)』の中で自らを「三法の奴(やっこ)」(仏法僧の召使い)と呼ぶほど深く仏教に帰依し、また、「責めはわれ一人にあり」と国を襲った不幸や災厄のすべてを自分の責任とされた。
 大仏建立はそんな聖武天皇が、互いに争い憎み合い殺し合うような当時の政治情勢の中で、仏の慈悲の下で皆が和合し尊重し合い助け合いながら生きていく世の実現を目指したものではなかったのだろうか。
 東大寺は「華厳宗」、つまり『華厳経』の教えに基づく寺であるが、「華厳」とは「雑華厳飾(ぞうけ・ごんじき)」という言葉の略で、「雑華」、それこそ「名もない花」である人間一人一人がおのれの分を尽くしながら協力して仏の身を飾っていく、という精神を聖武天皇は仏教から学ばれたのではないか……。
というようなことをお話して「まとめ」と致しました。(「蛇足」だったかなぁ……(^_^;))
                                    (12月19日)                
 
 
 
  年末回顧(その1)

 ふと気が着けば12月も半ば。
 今年は「年頭のあいさつ」以後「住職日記」をまったく更新していないことに気づいて愕然!(これでは1年間サボりっ放しだったことになってしまうではないか!!)
 実は昨年秋からfacebookを始めていて、日常的なことはそちらにアップしていたら、1年がアッという間に過ぎていった次第。
 ひたすら惰眠を貪っていたわけではない「証拠」をこれからいくつか紹介致します。
 まずは、
   現在の「西念寺」の風景
 
 
   
《 新築の「山門」。「掲示板」も新設。》 《塀を改修。自動車通行の便のため角を落としました。》
   
 
   
 《境内山門脇に自転車置き場を新設。》 《 境内全体に砂利を敷き直しました。》
   

 昨年の夏前から11月末まで「山門」の新築並びに塀の改修工事を行い、本年3月に境内の整備工事を行いました。
(当時の工事の「模様」はfacebook「真宗大谷派 西念寺」のページでご覧になれます。)
 一昨年夏に門前の駐車場(元菊屋ビル)が整備されたことと併せて、西念寺並びに法勝寺町商店街は現在旧景を一新しております。
                                     (12月16日)
 
 


謹 賀 新 年


死のうは一定
  偲び草には何をしよぞ
     一定 語りおこすよの

人は必ず死ぬのだから、 「しのび草」―思い出すためのよすが―として私はこの世で何をしようか。
  もし何か確かな「しのび草」をこの世に残すことができれば、あとに残った人はきっとそれをよすがに私のことを思い出し、語ってくれる のではないだろうか。

(織田信長愛唱の「小唄」)

旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2013年1月1日)

 
 


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