法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2005年1〜6月分)
 

2004年1〜12月分 現在の「日記」 2005年7〜12月分

 
 

近況(心境)報告
 

  宗祖御流罪時の御心境を憶って

「負けてなお  意気昂然と  胸を張る
               選びし道に   悔ゆること なし」
(自製)                                               

〜おまけ〜

「我、事において後悔せず」
           (吉川栄治『宮本武蔵』)

(3月29日)

 
 

本当の「財産」!?
 

 著書『バカの壁』が大ベストセラーとなった解剖学者の養老孟司(ようろう・たけし)氏(北里大学教授・東京大学名誉教授)の文にこんな1節がありました。

 私の母は、自分の身についたものだけが財産だといっていた。
不動産もお金も、地位も名誉も、墓にもって入れない。
ところが身についた技は、その人かぎりのものである。
だから医者になれといわれて、私は医学部に入った。
医者にはなりそびれたが、それでも身についたものだけが財産だと、いまでも思っている。
虫をとること、ものを書くこと、それだけは身についているといえるであろう。……
 最近本が売れたが、本を書き出して20年、そういうこともあると知った。
2年前に死んでいれば、これほど本が売れることはなかった。
戦後の日本と同じで、働いていたら、いつの間にか儲かったのである。
遅れてきたバブルである。
そんなものは「ない」と同じであろう。
本人は儲かろうが儲かるまいが、いつも同じことをしていただけである。
これからも「同じ」ように働いて死ぬであろう。
私も日本人なのである。(「幸せって何だろう」(『読売新聞』2004.1.1)

≫自分の身についたものだけが財産だ

 う〜ん、たまたま寺に産まれ落ちたというだけのことで、あたかも自分が特別な存在か何かのごとく思い違いをしている「どこぞの寺のアホ住職」に聞かせてやりたい。

 エッ、
≫「どこぞの寺のアホ住職」
って誰かって?

 それはモチロン……

ワタクシのことですがな(自爆)

(3月24日) 

 
 

遺産なき母が 唯一のものとして
        残してゆく『死』を 子らは受取れ
                  
(中城ふみ子)

 

 人の死、ことに肉親の死という出来事は、時として人に自分の人生そのもの、生き様そのものに対する「問い」を突きつけてくるもののようです。

 以下は私が今まで出遇ったご門徒の述懐です。

「おばあちゃんが亡くなって初めて『自分は何のために生きているんだろう?』と、ふと考えた」

「生きてる間は喧嘩ばかりしていたけれど、こうして遺影に手を合わせていると、『この人がいたからこそ今の私がこうして生きているんだな』とあらためて思った」

「息子はかわいそうな子でも、不幸な子でもありません。……
立派な子です。」

「御院家さん、今日一日ですよ。
 今日一日、今日一日を大事に生きなければいけませんな。」

「死は決して不幸ではない、と思います」

「あなたが発病して、それから、初めて本当の夫婦に成れたような気がします」

「(母が突然に亡くなったことで)何か一杯宿題をいただいたような気分です」

…………

(3月24日) 

 
 

異文化衝突!?
 

 少し前の話になりますが、米国のスペースシャトル『コロンビア号』が大気圏突入後に空中分解し、7人の宇宙飛行士が死亡するという事故がありました。 (2003年2月1日午前9時00分頃(米国東部時間))

 ちょうどその頃、NHKで『まんてん(満天)』という宇宙飛行士を目指す若い女性を主人公にした朝の連続テレビ小説を放送していました。
 事故のあった翌日、番組の最後で「コロンビア号乗組員のみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。」というテロップが流されました。

 実は私はそのテロップを見て大変に「違和感」を覚えたのです。

 なぜ私が「違和感」を覚えたかといえば、そこに用いられた哀悼の言葉が「ご冥福をお祈りします」であったことと、その言葉が送られた相手、つまり遭難した宇宙飛行士 が全員「外国人」だったことに対してです。

 「冥福を祈る」とは日本人が弔意を表す際のいわば常套句で、弔電や公共放送にも多く用いられる、私たちにとっては耳慣れた言葉です。

 しかし、この言葉は(私たちは普段深く考えないで使っていますが)、字書によれば、

めい・ふく【冥福】
 《名詞》@……A死後の幸福。また、死後の幸福を祈って仏事をいとなむこと。追善。

めい・ど【冥土・冥途】
 《名詞》仏語。死後、死者の霊魂がたどっていく道。亡者のさまよい行く世界。地獄、餓鬼、畜生の三悪道など。よみじ。黄泉。冥界。冥路。

めい【冥】
 @光のない。くらい。やみ。A道理にくらい。おろか。B心の奥そこ。奥ふかいC目に見えない。神仏の働きについていう。
 D死者の行く世界/冥界、冥鬼、冥土、冥福、冥路/

(以上、『日本国語大辞典』(小学館))

とあり、同じ字書に、

「冥途に至りて、罪を勘へて、牛の身に成らむとす」(『今昔物語』)
「今は冥途にて罪人共が冥官※1に逢へる心地ぞせられける」(『平家物語』)
「めいとに行むかひて、炎魔の庁にめされぬ」(『宇治拾遺物語』)
「めいど如何、冥途也、黄壌、黄泉なといへる同事也。歿後の生処いまださだまらざる中有※2(ちゅうう)の程をさす歟(か)」(『名語記』)
 

といった用例が紹介されていました。

 したがって、「冥福を祈る」という言葉は、その語源から見れば、

故人は生前仏教に縁もなく、煩悩に振り回され罪を犯すばかりの人生を送り、その結果、死後、 悟りの世界である浄土に生まれることなく、愚かにも亡者として地の底の真っ暗闇の世界(冥土) をさまよい、閻魔等の冥官の裁きを受け、やがては地獄、餓鬼、畜生といった境涯に生まれ苦しむはずであるから、残された者の務めとして せめて故人の 冥福を祈り、少しでもましな境涯に生まれ変わらせるべく追善の仏事を怠りなく営む所存である。

という意志を示すものであり、これを故人、あるいは遺族に対しておくることは、ある意味大変に「失礼」な 行為であると言えます。

 それでもこれが日本人に対して用いられたのであれば、現代日本の宗教事情からすれば、まあ致し方ないとも言えます。
 しかしその時犠牲になったのは全員が「外国人」。
 国籍も文化も違う、つまりは信仰する宗教も、それに伴う「死生観」も完全に異なるこの人たちを追悼するのに、「冥福を祈る」というこの言葉は果たして適切なのでしょうか。
(ちなみに7名の国籍はアメリカ人が5名、イスラエル人、インド人が各1名とのことでした)

 「あなたの肉親は生前の行いが悪くて冥土に行っているだろう……」と言われたら普通遺族は激怒します。
 あなたはいったい何の権利があって勝手に決め付けるのか、と。

 もっともNHKに抗議が行ったという話も聞きませんから、国外向けに放送する際にはテロップを入れなかったか、おそらくは「God bless them.(神の祝福を)」とでも翻訳したのでしょう。

 だとすれば、この「冥福を祈る」という言葉は実は事故の犠牲者やその遺族に向けた言葉ではない、ということにな らないでしょうか。

 では、いったい誰に向けての……?

 阿部勤也氏の『日本社会で生きるということ』(朝日新聞社・1999)を読んでいてその答えが見つかりました。

「日本人が生きている生活空間の実質というものは、あえて言えば「社会」ではないということなんですね。……個人が社会を変えるんだという原則が、一応あるのがヨーロッパ流の近代社会なんですね。日本の場合はどうもそうなっていない。つまり「個人」と社会」の間には、もう1つ媒介項があって、それが「世間」というものだと、私は考えています。」
「つまり、日本人は「個人」として「社会」を構成しているのではなくて、身内は一蓮托生であります。日本の「個人」は「世間」のなかにおいて初めて「個人」であって、その「世間」からもし容認されなければ、追い出されてしまう。追い出された時には、日本人の生活は大変苦しく、悲劇になります。「世間体」という言葉がありますが、私たちはいつもそれを恐れているわけで、よくよく自分の心底というものを探ってみる必要があります。」(以上、前掲書)

 つまりはあのテロップは、事故の犠牲者や遺族に対する弔意の表明ではなかった。
 NHKを取り巻く「世間」、視聴者である国民や放送業界といった「世間」に対しての―「何らの弔意も示さないのは冷たい」と「世間」から後ろ指を刺されないための―「私共は今回の事故を深く悼んでおります」という表明だった。
 一見国際社会の一員として弔意を表しているようでありながら、実はまことに「日本」的な、日本の社会構造を象徴するような行動だった。

 こう考えるのは、「根性ワルの真宗坊主」のうがち過ぎた見方なのでしょうか……。
 (私が「根性ワル」であることは認めますが……)

(2月14日)

※1冥官(みょうかん)

〈めいかん〉とも読む。冥府(めいふ)の役人をいう。……

※2中有(ちゅうう)

〈中陰・ちゅういん〉ともいう。前世での死の瞬間(死有・しう)から次の生存を得る(生有・しょうう)までの間の生存、もしくはそのときの身心をいう。その期間については、7日、49日(七七日)、無限定などいくつもの説がある。今日、死後7日ごとに法要を営み、四十九日を〈満中陰〉とするのもそれらの説に基づいて起こった習慣である。……しかし、仏教の学派では中有を認めないものも多い。 

(以上、『岩波仏教辞典』(岩波書店))

 
 

「人のフリ見て、わがフリを知る」
               (河合 清閑)

 前々回の「日記」(1月19日付)で私は、

「まず、自分が人の話をしっかり聴くことで、他者との人間関係ができてくる」

という中学生に対する小澤竹俊氏の「励ましの言葉」を紹介しましたが、この言葉は裏を返すと、

「人の話を聴くことができない者は、他者との人間関係を壊していく」 

という「教訓」、「戒め」として理解することもできるようです。

(こういった場合、壊れていくのは当事者間の関係だけでなく、往々にして、周辺の人たち同士の関係もまた損なわれていきます。
 そして、それにもかかわらず当の本人は壊している自覚がないどころか、壊れていることにすら気付いていない、という例が多いようです……)

 ただ、前々回私が、

「私たちは声高に自分の意見を述べること、言い換えれば自分を主張することのみに精一杯で、人の声に耳を傾けることができない生き物、もっと言えば人の話を聞くことなど大嫌いな生き物 になっているのかも知れません。」

と書いたように、「人の意見など聞く必要もない、自分の意見が通 りさえれば良い」という「根性」は、この私の中にも間違いなくあります。

 周囲がどんな目で自分を見ているかも知らないで、「やっぱり私が出ていかなくては……」とひとり悦に入っている 「裸の王様」。
 そんな状態に自分が今陥っていないという保証はどこにもありません。

「聴聞(ちょうもん)は、他人ごとを 自分のことだと教えてくれる。」(篠 直)
                         (真宗教団連合「平成17(2005)年版法語カレンダー」参照)

 自分が普段身近な人たちの話をどれだけ真剣に聴いているか。
 こと家族、特に連れ合いの話を、となると……

 正直、全く自信はありません。m(_ _)m

(1月24日)

 
 

昔話、もしくはザンゲ話 (……って、またですか?)
 

  前回の「日記」(1月19日付)で「あらゆる学びは模倣(真似)から始まる」と書いた時、今から20年ほど前の出来事を思い出しました。

 私の大学時代に「教行信証講読」という授業がありました。

 今年度はA教授が『教行信証』(きょうぎょうしんしょう/親鸞聖人の主著・ライフワーク)の「教巻(きょうのまき)」を担当。B助教授は「行巻 (ぎょうのまき)」の担当。C講師は「信巻(しんのまき)」……といった具合に何名かの先生方が担当され、 学生は自分の時間割やらアルバイトやらの都合に合わせてその内の1つを選択するといった具合だったのですが、その中に大変にユニークと言うべきか、「超」厳しいと言うべきか、とにかく他の先生方とは一風変わった授業方式をとっておられる先生が いらっしゃいました。

 他の先生方は「講読」とは言っても、先生自らがその「巻」の主題や内容について話される「講義」が中心だったのですが、その先生の授業は文字通り「読む」、ひたすら学生に『教行信証』の本文を音読させる、というものでした。

 毎時間出席を取り、学生1人1人に原文漢文に訓点(くんてん・返り点や送り仮名)を付したもの (下部画像参照) を読ませ、年数回、読み進んだ箇所のすべての原文とその書き下し文(総ルビつき)を書き写させてレポートとして提出させるというその授業は、授業の度ごとに出席者数が減少してい き、最終的には学生の大半が落伍していくというハードなものでした。

 最後まで乗り切った学生はそれこそ大したものだったのですが、ちなみに私も2回ほどチャレンジ(受講登録)し て結果、評点K(途中棄権)。
 完走者があったかどうかは未だ確認しておりません……。(ええい、この軟弱者!!)

 しかし、当時は「学生イジメ」(失礼!)としか思えなかったこの授業、今にして思えば実は大変重要な、意味のある授業だったのですね。

 昔は学問といえば「韋編三絶※1・読書百遍意自ずから通ず」とばかり 、とにかくまず「素読※2」 することから始まっていたのですから、その先生は「変わっていた」わけではなくて、むしろ「伝統的な」手法を堅持しておられたわけです。
 百聞は一見に如(し)かず、で他人の解説を聞くばかりでなく、とにかく自分の目、口で直に読まなければお話にならないわけですから。
 あの授業は実は学生に「原典」に慣れ親しませるための「親心」だったのですね。

 日ごとに積もる『真宗聖典』のホコリを横目に、「もっとまじめに勉強しとくんだった」と後悔する昨今。
 臼井元成先生、怠惰な受講生で誠に申し訳ありませんでした。m(_ _)m

(1月21日)
 

『教行信証』原文

【『教行信証』原文(真蹟坂東本)】


※1韋編三絶(いへんさんぜつ)

い‐へん【韋編】
 (竹簡をなめしがわの紐でとじたのでいう)書籍の革綴。
 ―三たび絶つ[史記 孔子世家
 (孔子が晩年、『易(えき)』を好んで読み、ために書籍の革綴が3度も切れた故事から)読書に熱心なこと。

※2素読(そどく)

そ‐どく【素読】
書の意義を解することなく、ただ文字だけを声を立てて読むこと。 

(以上、新村 出編『広辞苑』(岩波書店))

 
 

「きく(聴・聞)」の効用

 満2歳を迎えた末娘は目下日本語習得の真っ最中。

 たどたどしい口調ながら、「いつの間にこんな言い回しを覚えたのか」と周囲を驚かせ(笑わせ)ることもしばしばですが、よく見ると、私や連れ合いの発した言葉(主に単語)をしきりに復唱しているのです。
 成程、学習の第1歩は何事も模倣、真似から始まるのだな、と改めて感心しました。

 ある字書によれば「まねぶ(真似ぶ)」という古語があり、それが「まなぶ(学ぶ)」の語源 、もしくは同源(同じ語を起源としてもつ語)であると紹介されていました。

まね・ぶ【学】
 @他の者の言ったことやその口調をそっくりまねて言う。口まねして言う。A……
 B手本にしてまねる。ならう。
 C学問や技芸などを、教えを受けて身につける。まなぶ。ならう。

まな・ぶ【学】(「まねぶ(学)」と同源)
 @ならって行う。まねてする。
 A教えを受ける。習う。
 B学問をする。物の理を修めきわめる。……
{語源説}
 (1)マネブの転。マ(真)から出たマネブ(擬)の転。……
 (4)マネ(真似)から出た語。……

(以上、『日本国語大辞典』(小学館))

 そう言えば、子供の頃習っていた書道もまず「臨書(先生の手本を書き写すこと)」から始まりましたし、あらゆる武術の鍛錬は「型」から入るそうです。

 ただ、模倣するためには対象をしっかり観察しなければならない。目を凝らし、耳を澄まさなければなりません。

 相手の声に耳を傾けるためには、準備としてまず「自分の口を閉じる」必要がありますが、実は、私たちにとってそれが一番困難なことではないかと思うのです。

 私たちは声高に自分の意見を述べること、言い換えれば自分を主張することのみに精一杯で、人の声に耳を傾けることができない生き物、もっと言えば人の話を聞くことなど大嫌いな生き物 になっているのかも知れません。

 真宗は聞法、仏法聴聞ということを大切にしてきました。
 世間一般で考える「行」(具体的実践)と言う観点からすれば、むしろ聞法(念仏の謂れ―阿弥陀の本願とその成就―を聞く)こそが真宗の唯一の「行」であるとも言えます。
 断食、座禅といった肉体を責め苛む行にくらべたらいかにも簡単そうに思えますが、もしかしたら「きく(聴・聞)」という行為そのものが、私たちが考えている以上に(人間にとっては)困難で、しかも重要な ことなのかも知れません。

 小澤竹俊医師(横浜甦生病院ホスピス病棟勤務)は、「苦しんでいる人の前で私たちにできることは?」という問いに対して、

「ホスピス では、苦しんでいる人に安易に励ますことはしていません。そのかわり、ていねいに苦しんでいる人の話を聴いていきます。」

と答えられました。
 死に至る病に苦し む人は、「がんばってね、すぐに元気になるから!」と「励ましてくれる人」ではなく、おもしろい話やおかしな話で「笑わせてくれる人」でもなく、話もせず、何もかまってくれない「そっぽをむいている人」でもなく、無条件で自分の話を「聴いてくれる人」をこそ、「私のつらい気持ちを理解してくれた」理解者として認めてくれるのです、と。(以上、ウェブサイトOzawa.M.D.参照)

 また、ある講演会では、中学生の発した「(自分と周りの人との)すべての関係性が絶たれてしまったら?」という質問に対して、

「まず、あなたが人の話をしっかり聴くことで、関係ができてくるのでは」

と答えられたそうです。(『日本海新聞』2004年12月22日付「人(ひと)」欄参照)

(1月19日)

【追 記】

 ちなみに私は小学校時代、通知表では必ず「落ち着きがありません。人の話をよく聞きましょう」という先生のコメントを頂戴していましたし、書道にいたっては「個性的な字(注:お手本を無視した字)」と評されていました。(恥)
 そして現在、小学生になった息子を見ていると、「嗚呼、こいつは間違いなく俺の息子だ……」と溜め息をつきたくなる時があります。(泣)

 げに恐ろしきは「遺伝子」の力なり……!?

 
 

謹 賀 新 年

私は眠り夢見る、
生きることがよろこびだったらと。
私は目覚め気づく、
生きることは義務だと。
私は働くすると、ごらん、
義務はよろこびだった。
                     (タゴール)

        旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2005年1月1日)

 
 

2004年1〜12月分 現在の「日記」 2005年7〜12月

 

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