法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2002年5月〜6月分)
 

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臘扇忌百回忌によせて

 6月6日は明治36年(1903)に結核のため数えの41歳で亡くなられた清沢満之先生のご命日(臘扇忌)で、100回忌にあたる今年は、全国各地で記念法要が勤修されています。

   「清沢先生終焉記
      明治36年6月1日
 清沢先生三河大浜西方寺に在り。予(注・原子広宣)之に侍す。」

(3日午前7時の大量の喀血より病状急速に悪化。午後10時、翌4日午後10時にほぼ同量の喀血あり)
「10時に至り又昨夜程大喀血ありたり。此の時予は到底駄目なりと思いぬ。医師も来たれり。かくて喀血納まれり。
 此の時予曰く、「先生今度はどうしても死し給うべし、言い残すことなきや。」
 先生曰く、「何もない。」
 先生唯だこの一語のみ。」

(5日夕刻)
「かくする内、予、過日来の看病の疲労の為め鼻血出づ。先生の勧め給う儘に2階に行きて眠る。此の間、松宮夫人及びかぎさん、先生に侍せらる。
 12時半頃に松宮夫人予を起し給う。直ちに先生の室に行く。
 時に先生呼吸苦しげに、前にある松宮夫人と予との面を見つめ、苦笑しつつ終に呼吸絶えぬ。
 この時一家皆な室に集まりて蚊帳の外にありたり。
 6日午前1時也。」
                     (『清沢満之全集』(法蔵館)第8巻より抜粋)

 侍者原子広宣氏によって記された清沢先生の臨終の情景ですが、寺川俊昭先生は、この清沢先生の最期の「苦笑」を、

「清沢先生は「ニッコリ」と微笑んだつもりであったのだろうが、苦痛のためにそれが歪んで、周囲の人には「苦笑」に見えたのだろう。
 清沢先生は、「言い残すこと(思い残すこと)は何もない」(自分のなすべきことは全てなし終えた)と、微笑んで死んでいかれたのです。」

と教えてくださいました。

 私はこの清沢先生の臨終を思う時、「完きニルヴァーナ(涅槃)に入られた(再び迷いの生存に戻ることがない)」と称えられた釈尊のご入滅の情景を想起せずにはいられません。

「心の安住せるかくのごとき人はすでに呼吸がなかった。
欲を離れた聖者はやすらいに達して亡くなられたのである。
ひるまぬ心をもって苦しみを耐え忍ばれた。
あたかも灯火の消え失せるように、心が解脱したのである。」
            (『ブッダ最後の旅 ―大パリニッバーナ経―』(岩波文庫))

 この詩は釈尊の入滅の際にアヌルッダ尊者が詠じたものと伝えられていますが、私は清沢先生のご最期もまた、この詩を捧げられるのにふさわしいものであると信じます。

清沢満之(法名・信力院釋現誠)
明治36年6月6日寂

合 掌

(6月6日)

 
 

「物事は決めつけてはいけません」
             (当山第13世・ 含雄)

 先日(5月30日)、雲因地区の巡回同和研修会に参加した折に、ある参加者の方から教えていただいた私の祖父の言葉です。
 私の祖父は昭和39年(1964)に亡くなっていますので、祖父のことはほとんど記憶にないのですが、その方は、生前の祖父から、いわゆる同和教育に関連してこの言葉を聞かされたそうです。

 この言葉を私は、

人に対して安易な「レッテル」貼りをするな!

ということではないか、と受けとめています。

 私たちが知らず知らずのうちに口にする言葉の中に、

「あの人は○○だから△△△な人だ」

というのがあります。

 ○○の中には、それこそ「性別」だったり、「職業」だったり、「出身学校」だったり、「出身地(国)」だったり、「人種」だったり、「身体的な障害の有無」であったり、実にさまざまな言葉(分類)が入ります。
 「あの人は○○だ」と言うだけならさして問題はないのですが、厄介なことにその○○には必ず△△△というイメージがくっついてくるのです。
 この△△△というイメージのくっついた○○というのを私は「レッテル」と呼ぶのです。

 私自身のことを例にとれば、「お坊さん(僧侶)」という「職業」に付随するイメージに「お酒が強い」「呑んべ」というのがあります。

「あの人はお坊さんだから酒が好きなはずだ」

 ところが実際の私は普段ほとんど呑みませんから、「ぼんさん=酒呑み」だというレッテルは正直迷惑な時もあります。

 もてなすつもりで準備してくださったお酒にほとんど手を付けないということもしばしばですから、「水臭い」「折角準備したのに」と不愉快に思われた方もおられたかも知れません。
 (「ワシの知ってる和尚さんはよく呑みなさるから」というよくわからない勧め方をしてくださった方も中にはいらっしゃいますが……)

 そうなると、

「あの人はお坊さんなのに(お坊さんのクセに)、酒好きではない」
        (=変わった人。接待のしがいがない人)

ということにさえなってきます。

 ということはその人は、その人の持っている「お坊さん」のイメージ(典型・ステレオタイプ)を通して私を判断しているのであって、実際の私を見ていない、ということになるのではないでしょうか。(「お坊さん」には「うわばみ」もいれば、当然「下戸」もいるはずですから)

 これと同じことがいわゆる「差別」の問題にも言えるのではないでしょうか。

「あの人は部落出身者だから……」
「あの人は身障者だから……」
「あの人は女性だから……」
「あの人は黒人だから……」etc

 部落出身者だろうが、出身者でなかろうが、身障者だろうが、健常者であろうが、女性だろうが、男性だろうが、黒人だろうが、白人であろうが、「こわい人」もいれば、「こわくない人」もいる。「良い人」もいれば「悪い人」もいる。「仕事のできる人」もいれば「できない人」もいる。「家事の得意な人」もいれば「苦手な人」もいる……。
 それが「事実」というものではないでしょうか。

 自分の持つイメージ・先入観で「その人」を判断して、「その人」自身を見ないこと。
 さらに言えばその先入観によって「その人」に不利益を与えること。
 これを「差別」と言うのではないでしょうか。

 物事は決めつけてはいけません。
 物事は「ありのまま」に見なくてはなりません。

(6月4日)

 
 

一夜明けて

 当HPの「お知らせ」やBBSで告知していました真宗大谷派京都教区因伯組主催の「雲因地区同朋大会 親鸞講座」が昨日(5月25日)行なわれました。
 当日は100名以上の聴衆が来場され、盛会裡に日程を終えることができました。
 主催者側の1人として、聴衆各位、また関係各位の御尽力に心より御礼申し上げます。

 主催者側の立場からすれば、駐車スペースに問題があったにもかかわらず会場の収容能力ぎりぎりの参加者があったこと、講演後の質疑応答の時間だけでは足りずに行事終了後にまで講師の駒沢 勝(こまざわ・まさる)先生のもとに数名の質問者が押しかけた(?)こと、会場の設営や撤収、スケジュールの進行にも(私のデジカメの電池が切れていた!ことを除いては)目立ったトラブルもなかったこと、などから見て、一応「成功」と言って良いのではないかと思います。

 しかし、私はあえて「成功(不成功)」という言い方はしたくないのです。

 主催する側としては、どうしても聴衆の多寡やスケジュールのスムーズな消化をもって「イベント」の「成功・不成功」を見てしまうのですが、本当の意味での「成功・不成功」はそんなところにはないのではないでしょうか。

 今回の「親鸞講座」は「一般市民を対象とした仏教講演会」という位置付けですので、「成功」という言葉を用いるのならば、たった1名でも良いから、今回の催しで初めて「親鸞」という人に、その教えに興味を持ったという人が生まれてこそ、あるいは、全くの初心者ではないにしろ、日頃良くわからなかったことが今回の講座で初めてわかったという人があってこそ、「成功」と言えるのではないでしょうか。(「そういう事例が今回はなかった」と言っているわけではありませんが)

 今回、スタッフの1人として参加して、いかに自分が「参加人数の多寡でもってものごとの成否を計る」といった皮相的、数量的思考から離れられないかを再確認しました。
 現代の資本主義社会を動かしているのは間違いなく、こういった人を「人」としてでなく、「数」としか見ない「統計」的思考法なのでしょう。

 このようなモノの見方の上で、

「俺があれだけ努力したから、これだけの「人数」が集まった」
(俺があれだけ努力したのにもかかわらず、これだけの「数」しか集まらなかった)

と、自分のわずかばかりの労力とその成果に執われ一喜一憂しているのが、まぎれもなく「私」という存在なのです。

蓮如上人曰く
「一宗の繁盛と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁盛に候う。」(『蓮如上人御一代記聞書』)

(5月26日)

 
 

無慚無愧

 しかし、前回・前々回のように書き込みながら、その実、書いたことで満足してしまっている自分、どこかで、反省している「謙虚な自分」を誇示しようとしている自分、つまりは全く反省なんぞしていない「自分」があるわけです。

 私の「自己反省」なんぞ所詮はその程度のものです。

無慚無愧のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀回向の御名なれば
 功徳は十方にみちたまう

蛇蝎奸詐のこころにて
 自力修善はかなうまじ
 如来の回向をたのまでは
 無慚無愧にてはてぞせん(「愚禿悲歎述懐和讃」)

(5月16日)

 
 

耳の痛い話
              ―昨日に続いて―

 昨日紹介した鈴木章子さんの詩よりももっと厳しい、耳の痛いひと言を発見。

「ある人が言いました。
 高い演壇に立っている人は、舌だけは極楽へ行くのだそうでございます。
 それ以外は地獄行きだそうです。」
   (石上善應「仏はひとり我がために法を説きたまう 続」(『在家仏教』02年6月号))

(5月10日)

 
 

御 遺 言

 ある方のHPに触発されて、鈴木章子さんの『癌告知のあとで』(探究社・1989)をひもときながら、「今月の法話」を何とかアップしました。

 学生時代以来の一夜漬け体質と言えばそれまでですが、法座や原稿締切りが迫ってこないと真宗聖典やら参考図書やらを開かないというのにはどうにも困ったものです。

 1番肝心なのは自分自身が仏法を聴聞すること、「聞法者」であることのはずなのに、締め切りに追われての「泥縄」では本末転倒もいいところ、ただの「教化者」―知識(教義)の一方的な伝達役―と批判されても致し方ありません。

 そんな私に鈴木さんが遺してくださった詩2編を紹介します。

   坊守

 私のうぬぼれが
 如来様に背を向け
 門信徒の方々と
 対座させています
 御同行 御同朋
 如来様の御前
 ただ
 私もあなたも
 一方向でありました

   住職

 子は親の背を見て育つというが
 門徒の方々は
 仏と対座する
 住職の背を見て
 育つのではないでしょうか

 住職の座は
 如来に背を向ける
 最も危険なところに
 あるようです

(5月9日)

 
 

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