三つ子の魂……
「栴檀は双葉より香ばし」といった諺もあるように、英雄・偉人にはとかく幼少期の「伝説」がつきものですが、実は親鸞聖人にもそれがあります。
親鸞聖人(幼名・松若丸)が最初に話した言葉が「南無阿弥陀仏」であったというのがそれです。
おおもとの出典が何かまでは私も知らないのですが、吉川栄治の小説『親鸞』にも確かこのエピソードが取り上げられており、 本願念仏の仏者親鸞聖人ならばさもありなんというような「伝説」ではあります。
私も以前は、「そんな馬鹿な話があるかい。おおかた親鸞聖人が有名になった後にできた話だろう」と思っていましたが、実は最近、「案外事実に近い出来事を伝えている話かも知れないな」と考えるようになりました。
もちろん赤子が最初に話す言葉が「南無阿弥陀仏」であるわけはありません。
しかし、皆さんもご覧になったことはありませんか?幼児(おさなご)がすぐそばの大人の口ぶりを一生懸命復唱しているのを。
自分の子どもが私や坊守の口調を口真似しているのを見た時、私は「もしかしたらこれが伝説のもとではないか?」と閃いたのです。
聖人の故郷は京都の郊外日野の里(現京都市伏見区日野)ですが、その地には薬師如来を本尊とする有名な法界寺があり、そこには聖人の一族日野氏によって寄進された阿弥陀堂(本尊・阿弥陀如来)があります。
折しも末法思想の流行した平安時代の末期です。幼い聖人も当然両親に連れられて参拝したでしょうし、両親が合掌し念仏する姿を見て、わけもわからぬままに一緒に念仏を口ずさむということもあったのではないでしょうか。
聖人の第一声がお念仏であるという「伝説」は、実は聖人の家庭環境が湛(たた)えていたその宗教的雰囲気を、いわゆる信仰心の篤さを伝えているものではないでしょうか?
私がこのように考えるようになったのは、実は法座に参られたご門徒の口から、
「自分の幼い頃は1日が朝、蒲団の中で祖父母がお仏壇でお勤めをする声を聞くことから始まった。」
「お勤めをしてからでないと朝、ご飯を食べさせてもらえなかった。」
といった昔話が語られるのをしばしば耳にしたからです。
幼い頃、わけもわからず眼に(耳に)していた祖父母の姿が、数10年を経て後、自分を仏法聴聞の道に誘(いざな)っている。
「三つ子の魂百まで」はまさにこのことですね。
ただ残念なことに、戦後、家族の形態が変わったことによって、お仏壇のない家庭、お祖父さんお祖母さんのいない家庭ばかりになってしまいました。
今の子どもたちはお祖父さんお祖母さんのお勤めする姿を眼にする機会も、お仏壇を眼にすること自体も、めったになくなってしまいました。
いたずらに「昔は良かった」などと言うつもりは毛頭ありませんが、お仏壇でお勤めをするその姿、「背中」によって確実に伝えられてきた「何か」がうまく伝わらなくなってしまったことだけは確かではないでしょうか。
(4月11日)
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