「西念寺婦人会だより」2012年1月〜12月分 |
2012年2月発行 掲載分 | |
現在(いま)を生きる
監督として手がけた39本の劇場映画を始め、生涯に数多くの作品を世に送り出した岡本監督が自らに課していた信条が、副題に挙げた「『抽斗(ひきだし)』で勝負するな」だったそうです。 ここで言う「抽斗」とはタンスや机のそれで、衣類や様々な品物がたくさん仕舞い込まれていることから転じて、「臨機応変に活用できる、隠れ持った多様な知識や豊かな経験のたとえ」( 『大辞泉』)を意味します。映画監督で言うならば、長年の監督生活で蓄えた経験や知識、映画作りのノウハウなどを指し、作品をたくさん撮れば撮るほど自分(抽斗)の中にそれらが蓄積されていきます。 しかし、岡本監督は「それを使うな(既得の知識や経験に頼るな)」と言われたわけです。
とよく口にされていたそうですが、だからこそ39本もの、それも戦争映画・時代劇・サラリーマンもの・アクションといったバラエティに富んだ、ジャンル(分野)に縛られない作品を作り続けてこられたのでしょうし、亡くなられる直前まで次回作 (山田風太郎原作『幻燈辻馬車』)への準備を怠ることがなかったそうです。 とは言え、「言うは易し、行うは難し」です。 映画がヒットすればするほど、評判が良ければよいほど、それを忘れて違うものに挑戦する。 また、監督自身が冒険したくても周りがそれを許さないような場面もあったでしょう。 何より自分自身が、絶えず新しくなっていかなければならない。 |
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これは何も映画づくりに限った話ではありません。 ただ、人間年齢をとればそれなりの「抽斗」を持ちますし、それを頼りにもします。 「いまどきの若い者は……、それに引き換え自分らの若い時は……」と言っておけばある意味楽ですらあります。 でもそれは本当の意味で生きていることにはならないのではないでしょうか。 以前「住職日記」で紹介した話ですが、ある人が自分が、
と紹介されたのを聞いて、
と怒られたそうです。 「間違った経歴を伝えたわけでもないのにどうして ?」と不審に思ったところ、その人曰く。
昨年の宗祖親鸞聖人750回御遠忌に併せて開催された『親鸞展』(京都では聖人直筆の『教行信証』
(国宝坂東本)が展示されていましたが、全編にわたっておびただしい推敲の跡がありました。 |
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これも「住職日記」に載せた話ですが、以前、山門に、
という一文を掲示したところ、
と尋ねられたことがありました。 確かに「これまで(過去)」によって「いま(現在)」が、そして「これから(未来)」も決まってしまいます。 しかし、「これから」の自分の生き方一つで、過去の出来事のもつ「意味」は変わっていきますし、変えることもできるのではないでしょうか。 どんなに輝かしい過去があっても、今が惨めであったならば、それは自分を苦しめるものでしかありませんし、どんなにつらい過去であっても、今が幸せならば、あの経験があったからこそ、今のこの私がある」と思えるのではないでしょうか。 肝心なの「現在(いま)をどう生きるか」なのです。 (『西念寺婦人会だより』2012年2月号掲載) |
〔お・ま・け〕 |
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同席の某氏 |
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2012年9月発行 掲載分 |
一期一会
「一期」も「一会」も、もともと仏教に縁の深い言葉で、「一期」とは、人が生まれてから死ぬまでの間、つまりは「一生」を意味します。 つまり「一期一会」とは、
という意味の言葉です。 もともとは茶道の世界で大切にされてきた言葉で、
という「心得」、あるいは「覚悟」を表すのだそうです。 私は、この言葉を知らなかったわけではありませんが、今回あえて取り上げたのは、最近この「一期一会」を 痛切に感じる機会があったからなのです。 それは、この8月に開かれた母校の同窓会でした。 高校卒業から5年ごとに開かれてきた会も7回目、ちょうど35年目の同窓会で、幹事さんの尽力の甲斐あって会場は満杯。約90名が集まりました。 集った人たちはみな笑顔で、それぞれの席で談笑し合い、ひと段落つけば席を変え、相手を変えて昔話に、あるいは現状報告にと花を咲かせていました。 私も、この年齢になってみると、
と心から思いますが、最初からこうだったわけではありません。 石川啄木(1886―1912)に、
という歌がありますが、若い頃には競争意識ばかりが先に立って、在学中にはそれこそ
だのと下らない理由で腹を立て、卒業直後には「誰それが頑張っている」という評判を聞いても、
と、素直に「頑張れ」と思えなかったものですが、お互いにひと歳とってそれなりの曲折を経てくれば、ただ、ただ懐かしく 、嬉しい。 同じ時代を過ごしてきた、同じものを見、同じようなことを感じ考えてきた「連帯感」というやつかなとも思いましたが、参加者の楽しそうな顔を見ているうちに、こんなことが頭をよぎりました。 それは、
というものでした。 まだそれほど目立ちはしませんが、『同窓会名簿』の私たちの「期」に
もすでに数名の物故者が載っています。 もしかしたら、出席者の中にも一病を抱えながら参加した人もあったかも知れません。
と笑顔で別れたものの、本当に元気で出席できる保証などどこにも、誰にも、他でもないこの私自身にも、「ない」と言わざるを得ません。 だからこそみんな、
それが会に参加した同級生たちの、30数年を経たからこその、人生の酸いも甘いも辛いもそれなりに味わってきたからこその、誰しもの思いではなかったか、と思うのです。 お盆(旧暦)には、故人を偲んで多くの方々がそれぞれのお家のお墓に、西念寺の本堂にお参りになられました。 肉親を亡くした方からは、
いう声をよく耳にします。 一期一会……。 出来るならば、今すでに出会っている人たちとの、そしてこれから新しく出会う人たちとの出会いを少しでも大切にしていけたら。 (『西念寺婦人会だより』2012年9月号掲載) |
2012年10月発行 掲載分 |
「当たり前」は「当たり前」ではない 先月の「婦人会だより」に私は「一期一会」(いちごいちえ)という題の一文を載せました。 今年の夏に開かれた高校の同窓会で感じた、「この会もまた『一期一会』の―今日のこの出会いが一生でただ一度の出会い。ここで別れたらこの人たちとも二度と会うことがないような―貴重な場所かも知れない」という思いを認(したた)めたのですが、私がそのように感じたのも「自分の死」というものを意識せざるを得ない年齢になったことと無縁ではないと思います。 2500年の昔、インド・クシナガラのサーラ双樹の下で、死を目前にしたお釈迦さまは、つき従ってきた弟子たちに対して 「さあ、比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。 と説かれました。 この「形あるものは滅びゆく」「諸行(しょぎょう)は無常である」とは、言い換えればつまり
ということです。 ただ、この「諸行無常」ですが、
と聞けば私たちはどんな反応を示すでしょうか。 一つは、
というものです。 もう一つは、
と、時には他人の都合や迷惑をかえりみないやりたい放題の生き方を選ぶという反応です。 織田信長は、
という幸若舞の『敦盛』を愛唱していましたが、その信長が自身の理想実現(天下布武)のためにどれだけ多くの人を殺したでしょうか。 しかし、これらの反応は本当の意味で自分の死を実感しているのではない、あくまで頭で考えた死に対してのものだったのではないでしょうか。 本当の意味での「諸行無常」とは
ということへの目覚めではないでしょうか。 癌のため32歳の若さで亡くなった医師の井村和清(1947〜 1979)さんは、遺著『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の中で「あたりまえ」という詩を記しておられます。 そして、癌の肺への転移を知り「歩けるところまで歩いていこう」と決心したその時、「世界が輝いて見えた」と記しておられます。
これは決して特殊な状況下に置かれた人間の異常な体験なのではありません。 死を覚悟して故郷カピラバストゥを目指して旅を続けておられたお釈迦さまもまた、その途上に立ち寄られたヴァイシャーリーの町を出発する際、
という述懐を残しておられます。 死を前にしたお二人の眼には、「無常」の生を懸命に生きるあらゆる命の、苦しく悲しく切ない営みが、この上なく尊く美しく、そして愛おしく感じられてならなかった、ということではないでしょうか。 諸行無常と知ること、「当たり前」が本当は「当たり前」でないと知ること、そこに本当に自分自身の命を、そして他人の存在をも尊重して生きていける道があるのではないか、と私は思うのです。
《参考文献》 |
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