「西念寺婦人会だより」2005年1月〜6月分 |
2005年2月発行 掲載分 | |
「苦しみの中でも幸せは見つかる」 昨年の暮れ、『日本海新聞』「人(ひと)」欄(2004年12月22日付)に、横浜甦生(こうせい)病院の医師、小澤竹俊(おざわ・たけとし)さんが紹介されていました。 記事によれば、小澤さんは「苦しみの中でも幸せは見つかる」と題して全国の学校で講演し、ホスピス医として多くの患者を看取った経験から、 「お金や出世が第一という人も、命が限られた苦しい状況に向き合うと目に見えないものが大切になる」 と語っておられるそうです。 そして、 「(引用者注:そんな苦しみの中でも)周囲の人との関係性を通じて、自分のかけがえのなさに気付き、生きる理由が見つかる」 と、友人との絆、伴侶の支え、家族の思い出……といった「関係性」の重要さを指摘しておられるそうです。
この記事を読んだ時、私はちょうどその頃再放送していたTVドラマ「Dr.コトー診療所」(フジテレビ系)を思い出しました。 産婆として長年、島の赤ん坊を取り上げてきた老女「ウチさん」 (内つる子(千石規子))が一刻を争う重病で診療所に運ばれて来る。設備の整った本土の病院での手術を勧める医師に、老女は「島で死にたい。早く(死んだ)爺さんの所へ往かせてくれ」と訴える。夫に先立たれて以来、高齢の身を独り島で暮らし(息子とその家族は本土に居住)、今また重病に冒された老女。 「もう疲れた。この辺で終わりにしてくれ」と生きる気力を失った老女に、自分という存在のかけがえのなさを教え、生きる理由を与えたものは、まさしく小澤先生の言われる「関係性」―「ウチさんを死なせない」という医師の思いであり、老女自らがその人生において(産婆として)築き上げてきた島民との信頼関係―だったのではないでしょうか。
生きることに傷ついた時、人は往々にして自分の存在の無意味さを訴えます。 しかし、自分がこの世に在る「意味」とは、本当は自分では決められないし、決めてはならないものであって、人と人との交わり、つまりは「関係性」の中でおのずと与えられてくるものではないか、と私はかつてこの「法話」(2003年5月)に書きました。 そして今回、このドラマを見て新たに気が付いたことは、生きる「意味・理由」とは決して生きる「前提」ではなく生きた「結果」である、ということです。
疲れた時、傷ついた時、人は往々にしてそれを生きる「前提」にしてしまいます。 私たちは、「意味」があるから、「価値」や「資格」があるから、生きるに価する場所だから生きるのではありません。 自分のかけがえのなさや生きる理由とは、生きる「前提」として初めからあるのではなく、生きた「結果」として、言葉を換えれば、ひたむきに生き 、責務を果たしてきたことへの「ご褒美」として与えられるものではないでしょうか。 次の詩はそんな人生の「不思議さ」を歌っているようです。 私は眠り夢見る、 (「西念寺婦人会だより」2005年2月号掲載) |
2005年3月発行 掲載分 |
「選ばず、嫌わず、見捨てない心」 先月ご紹介した小澤竹俊医師(横浜甦生病院ホスピス病棟長)の著書『苦しみの中でも幸せは見つかる』(扶桑社)を早速読みました。 「周囲の人との関係性を通じて、自分のかけがえのなさに気付き、生きる理由が見つかる」と『日本海新聞』の記事にもふれられていましたが、小澤先生はこの本の中でも「関係性」 (友人との絆、伴侶の支え、家族の思い出等々)をキーワードに様々な事例を紹介しておられました。
末期の肺がんのためもう治療方法がないと宣告されたAさん(60歳代前半)。 しかし、ホスピスで暮らす中でAさんの考え方は次第に変化していきます。 「 もし、楽に逝(い)かせてくれるのなら、もう十分に生きたし、苦しまないのなら死にたいと思いました。そう感じる人もいると思います。でも、こうしてホスピスにいると、あのとき安楽死を選ばなくてよかったと思います」当初、
と考えたAさんが、
病棟スタッフとの関係の中で、
と思えるようになったというのです。 これは、『役に立つ人間にだけ存在価値がある』というAさんのそれまでの人間観・人生観、言わば「思い込み」がひっくり返されたことを意味するのではないでしょうか。 同様の「思い込み」は私たちにもあります。そして、患者を支える側のはずの小澤先生の中にもそれがあったのです。 病棟には実に様々な患者さんが居られ、Aさんのような例もあれば、スタッフの誠意が通じない、精神的な苦痛をうまく取り除けない例、中にはドロドロしたトラブルが持ち込まれる例さえあるそうです。 そんな時、先生もまた、
と無力感に苛まれ、
と苦しみ、時には、
と患者さんを責める気持ちが湧いてきたりもしたそうです。 しかし、その無力であることの苦しみを通して先生は
ことに気づかれたそうです。 共に苦しむスタッフや多くの患者さんとそのご家族、そして先生自身のご家族の優しさの中にある 自分に気付き、「ホスピス医として勉強してきたにもかかわらず、ある患者さんの前では何もできない無力な私」をも「私の目には高い価値があり、尊い」と認めてくれる神様の存在に出会って (先生はキリスト教徒です)、
と許される思いを感じられたのだそうです。 役立たずの自分には生きる資格がない。 一見真面目な人生観であるがゆえに私たちは根深くこれに執(とら)われており、自分に対してよりもむしろ他人に対してしばしばこれを押し付けます。 しかし、生きる資格など本来決められるものなのでしょうか。いったい誰にそれを決める、それこそ「資格」があるのでしょうか。 それが単なる「思い込み」「決め付け」に過ぎないことを教え、役立たずの私、無力な私を「そのままでよい」と丸ごと包もうとして下さるのが「阿弥陀如来の本願」なのではないでしょうか。 「思い込み」に執われた私たちに、「目覚めよ」「それから手を離せ」と、周囲の人の言葉を通して、人の言葉にまでなって、智慧の光で照らして下さる。 竹中智秀先生は「本願」を次のように説かれます。 「選ばず、嫌わず、見捨てない心、一緒に生きようとする心が本願です。」人間関係の中で「選ばれ、嫌われ、見捨てられ」、「いるのにいないことにされて」傷つき、ついには自分で自分を「選び、嫌い、見捨てていく」。 そんな私たちに対して「あなたはそこにいたのか」「私が見ている」「一緒に歩こう」と働きかけて下さる心なのだ、と。 (「西念寺婦人会だより」2005年 3月号掲載) 〈参考文献〉 |
2005年5月発行 掲載分 |
「無縁の大慈悲」 前回ご紹介したように、小澤竹俊医師(横浜甦生病院ホスピス病棟長)はご著書『苦しみの中でも幸せは見つかる』の中で、ご自身の内面の葛藤(求道の歩み)を語っておられます。 「ホスピス医としての長年の勉強・経験にもかかわらず、ある患者さんには何の力にもなれない」という無力感の中で「医師として患者の前に立つ資格が自分にはないのではないか」とまで考えた先生は、やがて「患者さんとその家族を支えよう、支えなければならない」と苦しむ自分自身が実は周囲の優しさに支えられているという「事実」に気づかれます。 「無力な自分」という苦しみを通して初めて「周囲から支えられている自分」が見えてきたと告白された後、先生はこう続けられます。
小澤先生に限らず、私たちは自分一人の力、自分一人の度胸、知恵才覚で自分の人生を切り開いていける、乗り切ってもいけるはずだと考えています。 しかし、そのような人生観はいつか必ず行き詰まるのではないでしょうか。 また、自らの力を過信している間は決して気づくことができないこともあるのでしょう。
無力な自分、愚かな自分がそのまま(無条件無資格のままで)大きな愛情(赦し、慈悲)の中にあることに気づき、それが見えないまま生きてきた自分の「思い上がり」を知るという「目覚め」を通して、それまでとは違う形で目前の現実に対処していく道が開けてくるのではないでしょうか。 小澤先生のご本を読みながら、私は昔見たTVドラマのワン・シーンを思い出しました。
「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出」ながら、「手柄を立てる」どころか悄然と帰ってきた男を、妻は、故郷はそのまま迎え容れてくれたのです。
わが身一つを、自分の人生そのものを持て余すこの私に、「我をたのめ、必ず助くる」と願いをかけ、その救いを誓って下さる心。
の弥陀の誓願と仰いできたのでしょう。 法然上人は、
と説かれましたし、良寛さんは
と歌われました。 では、そのような仏さまの「無縁(=無条件無資格)の大慈悲」が私たちに注がれていることを私たちは一体どうして知ることができるのでしょうか。 西元宗助先生が曽我量深(そが・りょうじん)・金子大栄(かねこ・だいえい)両先生に「無縁の大慈悲とは?」と質問なさった時のことを語っておられます。
私たちに「南無阿弥陀仏」という六字の名号(言葉)が与えられているということ自体がその証明であり、「南無阿弥陀仏」という言葉こそが、「我をたのめ、必ず助くる(阿弥陀仏に南無せよ)」という仏さまの呼びかけを私たちが聞き、その呼びかけに「阿弥陀仏に南無します」と応えて、新しい歩みを開かれていく唯一無二の「鍵」である。
(「西念寺婦人会だより」2005年5月号掲載) 〈参考文献〉 |
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