「西念寺婦人会だより」2003年1月〜6月分 |
2003年2月発行 掲載分 | |
人間を 本当に自覚させるのが 仏教であります。 (蓬茨祖運) 東本願寺出版部発行の小冊子『今日のことば《第45集》』(2002)掲載の箕輪秀邦(みのわ しゅうほう)先生の1文に蓬茨祖運(ほうし・そうん 1908〜1988)先生のこんなエピソードが紹介されています。 「かつて、仏教系の保育園の保母さんたち(今は保育士と言いますが)の研修会に講師として出席された蓬茨祖運先生に、1人の保母さんがこんな質問をしました。
質問を受けた蓬茨先生は、しばらく黙った後、『私が答えを出す前に、ここにお集まりの皆さんはどうお答えになるか、少し意見をお聞きしましょう』と言われ、数人に意見を聞かれました。
など、いろいろな答えが出されました。 しばらくして、先生はこう言われました。
あまりにも虚を衝(つ)いた答えだったので、皆、ぽかんとしてしまいました。 その後、先生がどんな説明をされたか詳しくは忘れました。しかし、〈うそを言ってごめんなさい〉という明快なことばだけは、今でも鮮明に心に焼きついています。」 このエピソードについて箕輪先生は、 「愛するものの死に際して、『どうかあの世で幸せに暮らしてください』と願うことは、人間の情としては間違いであるとは言えないでしょう。 として、「天国へ行った」のひと言で近しい者の死を片付けてしまう私たちの在り方、「死」を極力遠ざけ、見ないよう見えないようにしている私たちの日常意識を暴いた(自覚せしめた)出来事として紹介しておられます。 しかし、このエピソードを読んで私はこうも考えました。 自分がもしこの保母さんと同じ立場に置かれたとしたら、おそらく同じようにふるまったでしょうし、同じような質問をし、先生の答えに同じように唖然としただろうと思います。 それはおそらく、私たちと蓬茨先生とでは、言わば見えているものが違っていたからではないでしょうか。 ふりかえってみると、先生に対する保母さんの質問は「こんな時はどう言ったらいいか」という、言わば「答え方」を尋ねたものでした。 それに対して蓬茨先生は、その保母さんの子どもに向う「姿勢」そのものを問題にされたのではないでしょうか。 箕輪先生もおっしゃっていますが、死んでいった者に対して、「どうかあの世(天国)で幸せに暮らしてください」と願うことは、人間の情からすれば自然なものであり、けっして間違いだとは言えない。それどころかむしろ非常に暖かいものであるとは言えます。 蓬茨先生は、それらもろもろの事柄を「皆さんの答えは全部間違いです」の言葉に込めて指摘してくださったのではないでしょうか。 私自身、幼い子どもからの突然の質問に答えに窮する場面がよくありますし、「相手は子どもだから…」と適当に答えている場合も多々あります。そして、それらの質問の中に、(死んだらどうなるのかな)(おとうさんが死んじゃったら二度と逢えないのかな)といった不安をこの子も感じ始めたのかな、と思えるものがだんだん混じってきました。
これらの「問い」を私に与えてくださった蓬茨先生のエピソードでした。 (「西念寺婦人会だより」2003年2月号掲載) 〈参考文献〉 |
2003年3月発行 掲載分 |
私は浄土へ往く。 君はどうするか?君も私と一緒に往くか?…… しかし、それは君自身の決定すべき問題だ。 とにかく私は浄土に往く。(信國 淳) 先月の「法話」では、保育園で飼っていたウサギが死んだ際に「天国で幸せになれるように祈りましょう」と言ったことを子供から「嘘つき」と非難された保母さんの、「こんな時はどう言えば良いのでしょう」との質問に対して、「『嘘をついてごめんなさい』と素直に謝れば良いのです」と答えられた蓬茨祖運(ほうし・そうん)先生のエピソードを紹介しました。 結論から言うと、私は「天国に行った」という答えも決して間違いではないと思います。 ただし、答える人が本当にそう確信しているのでありさえすれば。それが自分自身の人生をかけて見つけだした答えでありさえすれば、ですが。 古い経典(『箭喩経(せんゆきょう)』)の中に、「霊魂と肉体は一つのものか、別々のものか」(死後の霊魂が存在するかしないか)という弟子の質問に釈尊が黙したまま答えなかった、という記述があります。
という「箭(や)の喩え」で解説しておられます。 仏教が「来世」を説かないわけではありません。 しかし、それらはただいたずらに来世を説くのではなく、あくまで現世の行為の果報として説かれるのであって、未来という形を通して逆に現在の自分の生き方が照らし返されてくる、というのがその本来の意味なのです。 死後の世界を云々することよりも、むしろ問題は今現在の毒矢に刺された―煩悩に狂わされた―自分自身の生きざまではないのか。 釈尊は、今現在の自分を問うことのない質問に対しては何ら答える必要はない、答えればかえって害を生む、と沈黙を守られたのではないでしょうか。 初めの問題に戻れば、子供から「嘘つき」と呼ばれないためには、何よりもまず自分自身の人生と真剣に向き合うことが必要ではないでしょうか。
そのような真剣な問いをくぐった上で見出した「答え」(人生の意味)であるならば、それが他人から見てどんなに馬鹿らしく非科学的に聞こえようとも決して間違いではないし、たとえ「嘘つき」だと言われようが自信を持って「あなたはどう生きるの?」と問い返すことができると思うのです。 冒頭に挙げた「今月の法語」は元大谷専修学院院長の信國淳(のぶくに・あつし)先生が、その師池山栄吉先生に初めて出会われた夜、昂奮覚めやらぬまま奥様に語られた言葉だそうです。 全文を挙げれば次の通りです。
(先生のこの言葉を読んで『歎異抄』第2章の親鸞聖人の述懐、
を連想される人も多いのではないか思いますが。) 信國先生はこの時、ご自身の人生を「浄土に往く」人生だと決定されたわけですが、それは自分の意志や努力で選び取ったというよりも「念仏して浄土に往く人」池山先生との値遇を通してはからずもたまわった、予想もしない形で与えられたものだったのではないでしょうか。 私たちは自分の人生は自分の力で作り上げるものであり、そうできるものだと思って生きています。 その「痛み」を通して、私たちに如来の本願との出遇いが起きる。 (「西念寺婦人会だより」2003年3月号掲載) 〈参考文献〉 |
2003年5月発行 掲載分 |
人、「使命」あり。 先月号の「西念寺婦人会だより」では、故太田受宣氏の『生き生きとした老後を送るために』(法蔵館)の中から、自殺を考えた人たちが、特別養護老人ホーム「光寿苑」(住職註・太田氏が生前苑長を勤めていた岩手県の施設)の車椅子のお年寄りたちの何げないひと言、与えられた1日を精一杯受けとめ喜んでいるその言葉によって救われていく、というエピソードを紹介しました。
このエピソードを目にするまで、、私にとって「光寿苑」におられるようなお年寄りは、ただただ気の毒な、正直に言えば「ああはなりたくない」存在でしかありませんでした。 近頃では「ピンピンコロリ」という言葉があるそうで、死ぬ直前まで健康でピンピンして寝たきりにならず、人様の世話にはならず、そして最期はそれこそコロリと逝く、という意味だそうです。 それではなぜ私たちはこんなにも歳を取ること、健康を損なうことに脅えなければならないのでしょうか。 人に迷惑をかけたくない、自分の始末は自分で付けたい等、いろいろと理由は考えられますが、つまるところ、人から「厄介者」扱いされたくない、「役立たず」呼ばわりされたくない、というのが1番の理由ではないか、と考えます。 家庭や社会の中で自分ならではの役割、仕事がちゃんとある。 今日の不況で多くの人たちが職を失っています。 人は「意味」を求める生き物です。 しかし、「生きる価値・意味のあるなし」を口にする私たちの、人生を眺める「眼」(モノサシ)ははたしてそんなに確かなものなのでしょうか。 私たちが簡単に口にするこの「役に立つ、立たない」とか、「生きる価値がある、ない」とかは、本当は決して自分で決めることができない、いやむしろ決めてはならないものなのではないでしょうか。 何がどう「役に立つ」のか、何がどう「価値・意味がある」のかなど、本当はわかっていないにもかかわらず、私たちは往々にしてそれをわかったことにしてしまっています。 人生は、人の世は、人間の頭の中で考え組み立てた通りのものでは決してありません。 人は独りで生きているのではないのですから、自らの与えられた人生、境遇を精一杯生きているのならば、そしてそれを喜ぶことができたならば、人と人との交わりの中で、おのずと何らかの「役割」が与えられてくるのではないでしょうか。 精神分析医V・E・フランクルはこう語ります。
この「人生が私に期待するもの」こそ、人々との交わりの中で要請された、人生における新たな役割ではないでしょうか。 本当は、この世に無駄ないのち、無意味な人生など1つもないのではないでしょうか。 要は、それに気づくかどうかではないでしょうか。
それが親鸞聖人が「阿弥陀仏の本願」として教えて下さった私たちにかけられた「願い」、あるいは私たち自身の―決して自覚されることのない、私たちの奥底からの―「叫び」なのではないでしょうか。
(「西念寺婦人会だより」2003年5月号掲載) 〈参考文献〉 |
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