視聴覚ライブラリー 真宗大谷派 西念寺  
 
 

親鸞聖人750回御遠忌法要団体参拝旅行 (2)
(2011年5月25日〜26日)

 

5月25日、26日の両日、宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要への団体参拝のため、住職・前住職・前坊守を含む西念寺門徒総勢51名が上洛 、併せて初夏の京都を楽しんでまいりました。
 
 
 

【5月26日(木)・旅行第2日目】

 朝9時に宿舎を出発し、川端通を北上して岡崎公園内京都市美術館の「親鸞展」へ。
 鴨川の対岸にはすでに「床(ゆか)」がしつらえられており、「京の夏」近しを思わせる風景でした。
 (途中、バスのマイクを拝借してバスガイドの真似事までしてしまいました。)

 


「親鸞展」チケット
 

 


京都市美術館正面

(当然のことながら展示物は撮影不可。、建物の外観のみUPします。)


 こちらでも本山誘導員の方々が大勢活躍しておられました。
(皆さん御遠忌後に「燃え尽き症候群」にでも陥らなければよいのですが………(-_-;))

 たくさんの展示物の中で、親鸞聖人の吉水時代の勉学ノートと言われる『阿弥陀経註』が印象的だったという声を多く耳にしました。

 「親鸞展」鑑賞の後はすぐ近くの東本願寺岡崎別院に移動。

 
     
 この「岡崎別院」の地は、親鸞聖人が29歳から35歳まで(吉水修学時代)に住まわれ、60歳代前半で京都に帰られた頃もしばらく住まわれた草庵のあったところと伝えられていますが、江戸時代半ばまでは何もない竹藪であり、「親鸞屋敷」と呼ばれていたそうです。
 享和元年(1801)、東本願寺第二十代・達如(たつにょ)上人により、この地に「岡崎御坊」として創建され、明治9年(1876)に「岡崎別院」と改称されたそうです。

 二重の屋根と角柱が特徴の「草庵造り」の本堂に上がり、住職の導師で正信偈(同朋奉讃)のお勤め、輪番さんのお話を聞き、聖人ゆかりの「鏡池」「八房の梅」の説明を受けた後、庭園を案内していただきました。


「鏡池(姿見の池)」

建永2年(承元元年‐1207)2月、越後(現在・新潟県)への流罪と決まった聖人が出発に際し、 姿を映して名残を惜しんだ池と伝えられています。

 


聖人お手植えの「八房の梅」
 


 茶室「翠雲亭」や朱塗りの「必度橋」のある庭園を案内していただいている最中、思わぬものを発見。
 

 永年、別院に隣接する大谷専修学院の院長を務められ、卒業生を始め多くの人々に多大な感化を与えられた元院長・信國淳(あつし)先生 (1904―1980)の碑でした。

 碑文は次の通り。

「われら
 一向に念仏申して
 仏天のもと
 青草びととなりて
 祖聖に続かん
          淳」

 

信國先生の直筆

 


裏面の「由緒書」は前院長竹中智秀先生の文
 


 御遠忌参拝旅行としてのスケジュールは一応ここまで。

 岡崎別院を後にした我々一行は、この後、漬物屋さんでのお土産購入、伏見での昼食を経て、米子へと無事帰ってきたのですが、伏見では思わぬ歴史上の遺構が私たちを待っていてくれました。

「親鸞聖人750回御遠忌法要団体参拝旅行(おまけ)」につづく
 


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