「西念寺婦人会だより」2002年7月〜12月分 | |
2002年7月発行 掲載分 | |
故郷忘れ難し 人には誰にでもそれぞれに帰りたい場所、戻りたい時代というものがあるのではないでしょうか。 「故郷」と言うと私たちは、具体的な山河や大地、そこに住む懐かしい人たちを連想します。
と詠ったように、現実の故郷が現在の自分を必ずしも心優しく受け容れてくれる場所だとは限りません。 もはやその時代その場所に帰ることはできない。 そのことはいったい何を物語るのでしょう。 ひと言で言えば、そこでなら自分が「安心」して自分で居られた、自分がそこに居ることが無条件で許されていた場所だったからではないでしょうか。 私自身の経験に照らして考えてみると、私にとっての帰りたい「あの頃」の「あの場所」というのは、実は「あの頃」「あの場所」で、優しい人たちの中で自分が自分であることを許され、自分が自分であることに安んじていられた、その人たちの輪の中に帰りたいということではないのか、と思うのです。 もちろん「あの頃」の「あの場所」がひたすら楽で、居心地の良いぬるま湯のような場所であったわけではありません。
と、自分ひとりではけっして気付くことのできなかった私自身の中の思い上がりを厳しく叱ってくれる。そんな場であったように思います。 けれどその場所は同時にそんな裸の自分がそこに居ることを許してくれた、ちっぽけな私を包み込んでくれる暖かい場所でもありました。 そしてその暖かさがあればこそ自分はそのちっぽけな自分を、まぎれもない自分自身として謙虚に受け容れ、自分なりの「分」を全力で尽していくこともできたように思うのです。 私はこう考えます。 その結果私たちは、自分を自分として認め愛することもできないまま、世間の評価だけを唯一の生きるモノサシとして、時には精一杯背伸びをし、時には驕り高ぶり、そして時には―あの宅間守容疑者のように―世の中のすべてを「敵」と恨み呪うだけの一生をおくることになってしまっているのではないでしょうか。 その「魂の故郷」を、私たち真宗の伝統は「阿弥陀仏の本願」あるいは「阿弥陀仏の浄土」と聞いてきたのではないでしょうか。 金子大榮先生は、
とおっしゃいます。 その金子先生に「里帰り」を題材にしたこんな詩があります。
「故郷に錦を飾る」ではないけれど、里帰りの時にはできれば手土産の一つも持ってゆきたい。 しかし本当の「故郷」(親元・浄土)とは、むしろ「手ぶらで帰って来なさい」と私たちを呼び、手ぶらで帰ってきた私たち(子供)をそれこそ「ただいま」(南無阿弥陀仏)の一声で、そのまま無条件無資格に迎え入れてくれるところではないでしょうか。 そして「どっさりの土産」とか「手柄話」(成功・財産・名誉……)にとらわれている私たちに対して、
と、こう諭してくれるのではないでしょうか。 阿弥陀仏の浄土は古来よりいわゆる「死後の世界」として説かれてきました。
いう質問に対して、
と答えていらっしゃいます。(『親鸞と歩む 信の群像』より) しかし、お父様お母様が居られるその場所を、先生は、死んだら誰でもが行くあの世(冥界・霊界)としてではなく、「阿弥陀様の元」である「お浄土」として、我々が念仏してやがてそこに帰っていく魂の故郷として語ってくださっています。 お浄土とは、ただ単に死んでから生まれる世界というのではなくして、父母の懐かしい記憶を通して、現実の人と人との交わりを通して、
と私たちに呼びかけ、働きかけてくださっているのではないでしょうか。 (「西念寺婦人会だより」2002年7月号掲載) 〈参考文献〉 |
2002年9月発行 掲載分 |
「不安は私のいのちやもん」 「今月の法語」は、松本梶丸編著『生命の大地に根を下ろし』で紹介された、石川県金沢市在住の山崎ヨンさん(当時70歳)へのインタビューから頂戴したものです。
私たちの生活を振りかえってみれば、私たちは仕事のこと、家庭のこと、健康のこと、将来のことなど、実にさまざまな「悩み」や「心配」、「不安」をかかえて生きています。 そんな日々の最中に「不安がなくなる」と聞かされれば、「そんなうまい話があるなら……」と飛びつく気持ちもわからないではありません。
私たちが宗教(仏教)に対して抱くよくある誤解は、宗教(仏教)を学べば(修行すれば)、何事にも動じない、どんな時でも怒ったり泣き叫んだりしない冷静沈着な心、いわゆる「不動心」を得ることができる。あるいは「不動心」を得ることが宗教(仏教)の説く「救い」である、というものだと思います。 私たちの心は日がな働きづめに働き、動きづめに動いていますから、時としてそのことに疲れ、静かな穏やかな心でいたいと切実に願うものです。 しかし仮に、この勧誘の人が言ったように、本当に「不安」が、「心配」や「悩み」がなくなったならば、私たちの身にいったい何が起こるでしょうか。 それこそ何にもやることがない。 極端に言えば、自分がこの世に生きている理由、必然性がなくなってしまうのではないでしょうか。 最近新聞に載ったある若いお母さんの投書を読んでなるほどと思ったのですが、その投書によれば、日頃子育てに振りまわされて自分の時間もろくに持てなかったお母さんが、ある日、子供たちがそろって外泊ということになり、思いがけず自由な時間ができたそうです。
お母さんの「想い」はこうだったのでしょうが、「事実」は逆で、悩みやグチの種であるはずの子供にむしろ支えられ励まされ生かされて生きてきたのでしょう。 前出の山崎さんも、かつては障害をもった子のために自分が犠牲になったとわが子を白い眼で見たこともあった、とおっしゃっています。 文字通り「生命の糧」であったにもかかわらず、申し訳ないことに自分はその子を邪魔者扱いしてきた。 そして、「自分の人生」と言うならば、子供の行く末で思い悩むことが「自分が生きる」ことであって、それ以外に「自分が生きる」ということはない。
こう決着することは決して容易な道ではなかったはずです。 しかし、どこまでも「我」―自分の立場を立ててわが子を「不安の種」とのみ見る眼を転じて、「生命の糧」と見る智慧の眼を獲得すること以外に、本当の意味での仏教(真宗)の「救い」はないのではないでしょうか。 (「西念寺婦人会だより」2002年9月号掲載) 〈参考文献〉 |
2002年12月発行 掲載分 |
うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ (良寛) 「今月の法語」は江戸時代の禅僧良寛(1758〜1831)作の1句です。 ちょうど今時分の、晩秋から初冬にかけての落葉の情景を詠んだものですが、良寛さんは風に舞う一枚の紅葉(もみぢ)に託して人間の、おそらくはご自身の一生の有り様を語られたのだと思います。 この句の紅葉の「表」と「裏」から、それこそさまざまな意味を読み取ることが可能です。 ある人はこれを、人生における「正」の局面と「負」の局面と読まれるかも知れません。 また、ある人は、「表」を文字通り表面、世間の常識を守り社会生活を営む私たちの表の顔として、「裏」はさしずめその内面、怒り腹立ち、妬み嫉み、愚痴といった、必ずしも美しいとは限らない私たちの心の動きを読み取るかも知れません。 強風に弄ばれる木の葉のように、私たちが出遭うさまざまな出来事(縁)によって私たちの人生もまたさまざまな姿を現わしてきます。 誰もが「表」ばかりを見、また人にも見せ、「裏」を見ずに、見せずに生きていければ幸せなのかも知れませんが、そういうわけにはいかないのです。 遇縁によって苦しまねばならない者。 このような人間観、人生観はちょっと聞いただけでは何だか暗い、身も蓋もないものと取られがちです。 しかし、仏教はこのような私たちの在り様を決して「悪い」とも「駄目だ」とも言いません。 良寛さんもまた徒らに自分を、人生を嘆いているのではありません。
という歌を詠んでおられるほどです。 (ちなみに良寛さんは禅僧でありながら浄土教・お念仏にも深い傾倒を示され、
等の歌を遺され、現在その墓は隆泉寺(浄土真宗本願寺派・新潟県三島郡和島町大字島崎4709)の木村家墓所内にあります。) 私たちは日々他人の評価に右往左往し、「隣りの芝生」に一喜一憂する人生を送っております。 とある地方に、葬儀に参列した人々が、ご遺体の顔に向って口々に「ご苦労様でした」と声をかけていく習慣があると耳にしました。 (「西念寺婦人会だより」2002年12月号掲載) 〈参考文献〉 |
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