法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「西念寺婦人会だより」2002年2月〜5月分
 
2002年2月発行 掲載分
 
 

当たり前…?

感謝の生活とは、
  「世の中に、当たり前は、1つもない」
          と、気付いていくこと。

 性質(たち)の悪いウィルスの悪戯でしょうか、先月中旬から上半身の筋肉痛に悩まされて、いまだに両手が使いづらくて仕様がありません。
 思い通りに動いてくれない自分の身体に、ついつい愚痴がこぼれます。

  「身体が言うことを聞いてくれない…」
  「身体が自分の身体でないみたい…」等々。 

 しかし、冒頭の「言葉」に出遇った時、私はふと気がついたのです。
 もしかしたら私は大きな勘違い、まちがいを犯しているのではないか、「当たり前」でないものを「当たり前」だと思い込んでいるのではないか、と。

 私がこぼした2つの愚痴は、それぞれ、ある「思い込み」を表しています。
 前者は、自分の身体が思い通りに動くことが当たり前であるという思い込みですし、後者は、自分の身体は当然「自分のもの」であるという思い込みです。後者の「自分のもの」であるという思い込みから前者の「思い通りに動くはず」という思い込みも生まれてきているのでしょう。

 仏教には「諸法無我(非我)」という教えがあります。
 この「無我」はよく「無私(私心が無い)」と勘違いされますが、そうではなくて、「諸法(あらゆるもの)は我が無い(我ではない)」という意味です。

 この「我」はあらゆるものの根源にある永遠不変の実体・主体(例えば霊魂)という意味で、古来から常・一・主・宰の四義で説明されてきました。
 「無我(非我)」とは、この世のあらゆるものはまわりのどんな変化にも左右されない独立した(一)常住不変(常)の実体(我)をもたないし、そのおおもとにそれを所有し(主)支配する(宰)ような主人・主体(我)をもたない、という意味になります。

 これを先程の「自分の身体」云々の文脈に戻すと、

「私の身体(いのち)は本来私のもの―私の頭や意志に服従するもの―ではない。」

ということになります。

 にもかかわらず私たちは自分の身体、手足を自分の自由にできる「持ち物」と考えています。

 故太田受宣氏(1948〜1997)の講演録『生き生きとした老後を送るために』(法蔵館・1999)にこんなエピソードが紹介されていました。

 太田さんは生前、特別養護老人ホームを経営なさっており、入所者の中には中風で片手が動かなくなった人も何人かおられたのですが、動かない方の手をじっと見ている人と、ごくまれに動く方の手を見ている人とがいらっしゃったそうです。

 動かぬ手を見ている人の心中は、
 「(動いて当たり前のはずの)自分の手はなぜ動かなくなってしまったのか?」
 「(手も動かせない)自分はもうおしまいだ」
というもので、そんな思いに閉じ篭ってしまったその人の周りには誰も近づかず、しまいには見舞い客さえ来なくなったそうです。

 それとは反対に、動く手を見ている人は(長い間無理ばかりさせたのに文句も言わずに働いてくれて、しかもまだ動いてくれている)と、自分の手足におわびとお礼を言っておられるのだそうです。
 「ああ、お前さんたちに難儀ばっかりかけて、申しわけない」
 「ありがとう、せめてあと1年、たのむな」と。

 そこには、本来自分のものでないもの(身体・いのち)を私有化してやまない私たちの根深い迷いに対する懺悔(さんげ)と、そんな私たちをも支え生かしめているいのちそのものの働きへの目覚め、感謝と讃嘆(さんだん)とがあります。

 世を拗ね、人を恨み、自分自身を呪いながら、仏法に聞き尋ねた道程(あゆみ)の精華なのでしょう。

 最後に金子みすゞさんの詩を1編紹介します。

  蓮と鶏(にわとり)

泥のなかから
蓮が咲く。

それをするのは
蓮じゃない。

卵のなかから
鶏(とり)が出る。

それをするのは
鶏じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

(「西念寺婦人会だより」2002年2月号掲載)

〈参考文献〉
太田受宣『生き生きとした老後を送るために』(法蔵館・1999)
上山大峻・石川教張『金子みすゞ 祈りのうた』(JULA出版局・2001)
金子みすゞ『金子みすゞ童謡集 明るいほうへ』(JULA出版局・1995)

 
 
 
2002年3月発行 掲載分
 
 

「諸行は無常なり」。だからこそ…

    さあ修行僧たちよ。お前たちに告げよう、
       『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
       怠ることなく修行を完成なさい』と。(釈尊・最後の言葉)

 先月の「法話」に載せた「当たり前…?」という原稿に、学生時代の先輩が「感想」を寄せてくださいました。
 先輩はその最後に「蛇足」としてこんな言葉を付け加えてくださいました。

「(人生において)当たり前のことは1つある。
 それは、いのちあるものは滅び、かたちあるものは、くずれる。」

 この言葉を端的に言い換えれば、まさしく「諸行無常」となります。

 『平家物語』冒頭の有名な1節、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に代表されるように、私たち日本人は古くからこの語に親しんできました。
 しかし、私たちがこの「諸行無常」をまぎれもない人生の真実として切実に感じる機会は、何と言っても近親者の死なのではないでしょうか。

 親しい者との別れに出遭った時、私たちの心は乱れ、悲しみに包まれます。
 しかし、その悲しみの次に、あるいは同時に私たちの胸中を訪れるものは、「明日はわが身」という想いではないでしょうか。

 私たちはそんな思いをかかえて葬儀につらなりながら、帰宅と同時にその思いを無理にも振り払って(忘れて)、多忙な日常へと立ち戻ります。
 なぜそうするのかと言えば、「諸行無常」という事実の前では、それまでの人生で営々と築き上げてきたものすべてが無(ゼロ)になるということを、私たちが実は知っているからではないでしょうか。
 知っているがゆえに、その無常の事実を直視し続けることに私たちは耐えられないのでしょう。

 自分の営為が老・病・死の現実の前に虚しく滅び去ってしまうと思うからこそ、私たちは「人間、若いうちが華」、「健康が1番」、「人間、死んだらしまいや」、あるいは「何をどう頑張っても人生所詮は虚しいだけだ」等の愚痴をこぼすのでしょうし、昨今「短い人生、面白おかしく、やりたい放題やった方が勝ちだ」という刹那的な人生観がはびこるのも無理からぬように思えます。

 私たちは人生の厳しさの前にしばしば躓き、人生の虚しさ、無意味さを訴えます。

「自分なんか生きていても仕様がない」
「自分なんて居ても居なくても関係ない」

 このようなつぶやきは一見自分の人生とまじめに取り組んだ末の言葉のようですが、実は非常に傲慢な物言いなのではないでしょうか。

 このような考え方からは、私たちが「罪悪の身」※であること、ものの生命(いのち)を食べて生きている、食べずには生きられない身であるという事実が完全に見落とされているのではないでしょうか。

 朝昼晩と生命を食べ、人々の生命の営みに支えられて生きているというそのこと自体、すでに私たちにはある「責任」が課せられていると言えるのではないでしょうか。
 「責任」、それは言わば与えられた自らの生を誠実に生き、自らの生命を本当に意味あるものとして燃焼し尽くすという責任ではないでしょうか。

 故長川一雄先生(元大谷専修学院々長)の口ぐせは、「食べ物はみんな成仏させてやらなくてはいけません」だったそうですが、その言葉は言い換えれば「私には成仏する責任がある。そうでなければ私に食べられた無数の生命に対して申し訳ない」ということではないかと思います。

 私たちは自分のために犠牲になった無数の生命から「成仏せよ」―「あなたのその生命を充全に活かせ」と願われているのではないでしょうか。
 そして、その願いとは阿弥陀さまが生きとし生けるものにかけた願い―「本願」と1つなのでしょう。

 「今月の言葉」は、80年の生涯をクシナガラの沙羅双樹の下でまさに終えようとするお釈迦さまが弟子たちに向って発せられた最後のお言葉です。

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。(〓諸行無常、だからこそ)怠ることなく修行を完成なさい。」

 私たちは無常の生を生きている。だからこそ、限られたその生を本当に生き尽くす「道」を求めなければならない。
 私たちにとって必ずしも明らかではないその「道」を捜し求めよ、そして歩め、と釈尊は2500年後の今もなお私たちに呼びかけてくださっているのではないでしょうか。

  ※罪悪深重

 私はこんにちまで
 海の 大地の
 無数の生きものを食べてきた
 わたしのつみのふかさは
 底しれず
             (榎本栄一)

   鰯

 私は 何匹かの
 鰯を食べた
 鰯のいのちは
 私のいのちと いっしょになって
 ややこしい 人間世界を
 ぐるぐる 泳ぎまわる
             (榎本栄一)

   くらし

 食わずには生きてゆけない。
 メシを
 野菜を
 肉を
 空気を
 光を
 水を
 親を
 きょうだいを
 師を
 金もこころも
 食わずには生きてこれなかった。
 ふくれた腹をかかえ
 口をぬぐえば
 台所に散らばっている
 にんじんのしっぽ
 鳥の骨
 父のはらわた
 四十の日暮れ
 私の目にはじめてあふれる獣の涙。
                  (石垣りん)

(「西念寺婦人会だより」2002年3月号掲載)

〈参考文献〉
中村元訳『ブッダ最後の旅 ―大パリニッバーナ経―』(岩波文庫・1982)
榎本栄一『煩悩林』(真宗大谷派難波別院・1978)
榎本栄一『群生海』(同上・1974)
『現代詩文庫・石垣りん詩集』(思潮社・1971)

 
 
 
2002年4月発行 掲載分
 
 

お釈迦さまのご遺言

 先月の「法話」で紹介した釈尊、お釈迦さまの最後の言葉、

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
 怠ることなく修行を完成なさい。』

ですが、私は長い間この1文が納得できないでいました。

 と言うのは、第1句の「もろもろの事象は……」が第2句の「怠ることなく……」にスムーズに続かないと思っていたからです。
 第1句の「もろもろの事象は過ぎ去る」ですが、こんな言葉を聞かされた人が本当にこれから一生懸命に修行しようという気になるでしょうか。
 大抵の人はむしろそれならば修行なんか無駄だ、やめてしまおうと考えるのではないでしょうか。

 自分や他人の老・病・死の姿や愛別離苦の現実を眼にした時、私たちは何ともやるせない気持ち、脱力感に襲われます。

(どれだけ頑張ったって、努力したって結局は虚しいだけじゃないか。)

 それは、無常の現実の前には自らが築き上げたもの、あるいはそのための努力そのものまでもが「無意味」になってしまう、と感じるからではないでしょうか。
 このことから知られるのは、私たちが実は自らの人生の確かな「意味」、1つ1つの営みの「意味」を求めて生きている存在であるということです。

 私たちは誰もが皆、自分の人生が実りあるものであって欲しいという願いを胸に懐いています。たとえどんなに苦しい人生であっても、最期には「生まれて来て良かった」「良い人生だった」と満足して死んでいきたいのでしょう。
 しかし、その願いは外界の思い通りにならないさまざまな事柄(その代表が自分自身の「死」です)によっていつも妨げられている、と私たちは考えます。

 でも本当にそうでしょうか。

 私たちの寿命が仮に200年300年あるとしたら、いつまでも若く健康だとしたら、私たちは自分の人生を慈しむとか、自分の人生を大切にしたいとかいった思いを懐くでしょうか。
 私たちは、限りある人生だと、いつか必ず死なねばならないことを知っているからこそ、前に述べたような切ない願いを懐くのではないでしょうか。

 そして、どうすれば自分の人生を本当に大切にすることができるのか、実りあるものにできるのかを、私たちは実は知らないのではないでしょうか。

 だからこそお釈迦さまは、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。(だからこそ)怠ることなく修行を完成なさい。」と述べて、自分が限りある人生を生きていると知ることを抜きにして「本当の生き方」が始まるということはないのだよ、と諭してくださっているのではないでしょうか。

 「本当の生き方」と書けば何か特別な生き方のようですが、ひと言で言えば「現在ただ今なすべきことをしなさい」ということではないかと思います。

 こう書くといかにも単純そうに聞こえますが、過ぎた日々を悔やみ、まだ来ぬ明日を憂いて、「今現在」を本当に生きるということのないのが私たちではないでしょうか。

 『法句経』にはお釈迦さまのこんな言葉があるそうです。

 まだこない未来にあこがれて、とりこし苦労をしたり、過ぎ去った日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦(あし)のように痩せしぼむ。
 過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。
 過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。(『仏教聖典』)

 肝心なのは「今現在のこの苦しい状況の下で自分に何ができるのか、自分は何をすべきなのか。」という問いを発することではないでしょうか。
 そしてその問いに対して先人は「腹が決まれば方向はおのずからさだまる」と、そしてさらに「どんな苦しいことも受ける決心ができたら、愚痴などいう暇もなくなる」と語っています。

 心臓手術を受けたある学生さんが手術前の心境を振り返って次のように語ったそうです。

「主治医が、両親と僕に術式を説明した時、この手術の成功率は、95%です、といった。すると失敗率は5%か、その5%に僕が入るかもしれない、と思った時、頭から血が引いていった。両親の顔を見るとやはり青かった。これはいけないと思って、一生懸命に明るく振る舞った。……
 手術の前の晩に、父親から手紙が来て「回りの人のことを考えて、明るく振る舞う。そういうお前を私は誇りに思う」と書いてあった。
 それを読んだ時、父さん母さんを困らせないように手術に臨もうと腹が決まりました。」(『新・みちしるべ ―釈尊・十大弟子より―「はたらき(神通)」』)

(「西念寺婦人会だより」2002年4月号掲載)

〈参考文献〉
中村元訳『ブッダ最後の旅 ―大パリニッバーナ経―』(岩波文庫・1982)
『仏教聖典』(仏教伝道協会・1973)
『新・みちしるべ ―釈尊・十大弟子より―「はたらき(神通)」』(2002)
『新・みちしるべ ―釈尊・十大弟子より―「ときかた(説法)」』(1998)
(以上、仏教伝道協会・さんぽうの会)
V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社・1993)

 
 
 
2002年5月発行 掲載分
 
 

今を生きる 日々是れ好日

 昨年の2月頃のことです。
 あるお宅のご法事にお参りした際、お勤めが始まって20分程たった頃に数名の方がおずおずと仏間に入って来られました。
 「大事なご法事に遅刻とは…」とその時は思ったのですが、よく聞いてみると、その日の朝に起きた地震のためにJRが途中から徐行運転になり、やっとの思いでたどり着いたとのことでした。
(当時は一昨年10月の烏取県西部地震から日も浅くて、余震のたびに列車がストップしていたのです。)

 この出来事を通して気がついたのですが、ご法事に限らず、私たちが何気なく立てている予定どこそこの場所に何日何時に集合してこれこれの行事を始めるが滞りなく行なわれるというのは実は凄いこと、大変なことなのではないでしょうか。

 予定通りに事を始められたということは、何よりも参加者全員が、地震や事故に、そこに集まることを妨げる出来事に遭わなかったということです。 
 もっと言えばそれは、朝、みんなの「目がさめた」ということです。
 今朝いつも通りに目がさめた、今日も生命があった、というそのことがなければご法事に出席するということもあり得ないわけです。

「明日もまた同じように目がさめる。
 明日も今日と同じような1日が待っている」

 私たちはこれを当然のことと考えていますが、目がさめることを当り前だ思って暮らしている私たちの心は結局、「あれが足りない」「これが余計だ」というグチしか生み出していないのではないでしょうか。

 乳癌のため早世された鈴木章子さん(1941〜1988)にこんな詩があります。

   おやすみなさい

 「お父さんありがとう
 またあした
 会えるといいね」
 と手を振る
 テレビを観ている顔を
 こちらに向けて
 「おかあさん ありがとう
 またあした
 会えるといいね」
 手を振ってくれる
 今日1日の充分が
 胸いっぱいにあふれてくる(『癌告知のあとで』)

 その頃鈴木さんは、ご主人の体を少しでも休ませるためにと、ご主人とは別の部屋で眠っておられたそうで、寝室に向う際にご主人とこんな言葉を交わしながら1日を終えておられたのです。

 「おとうさん、(今日1日)ありがとう」
 今日1日の生命を私は精一杯、大切に生きました。

 「またあした会えるといいね」
 「縁起でもない」かも知れないけれど、明日の朝、私の目がさめなくても一つも不思議ではない。まさしく「死の縁無量」のいのちを私は生きているのだから。

 そして目がさめた時には、
 「お母さん会えたねえ」
 「お父さん会えたねえ」
 「お母さん、今日も会えてよかったねえ」
 「お父さん、今日も会えてよかったねえ」
 今日も生命がもらえた。「今ゼロであって当然の私が今生きている」(「変換」)ことへの、生かされていることへの喜びと感謝。

 鈴木さんはこう語っておられるのでしょう。

 ただ、そのようにして始まる1日に特別な何かが待っているわけではありません。
 待っているのは家事に追われるごく普通の主婦の日常でしょう。
 癌になる前には、そんな日常は時に退屈で、「いつまで続くのか」とのグチの種であったかも知れません。

 しかし、目の前の家事なら家事と取り組む、心を込めて勤めることこそが私が生きている「証し」。それができるということが自分が生きている証拠であり、それをすることこそが私が「生きる」ことなのだ。
 鈴木さんはこう思っておられたでしょうし、そのような鈴木さんにとって何気ない日常の風景は文字通り輝いて見えていたのではないでしょうか。

   今

 私が
 主人が
 子供達が
 この茶の間で
 しゃべり
 笑っている
 何千回とくり返された情景が
 今 不思議で
 あしたにでも
 壊れてしまいそうで
 だきしめたくなります

 そしてそれを鈴木さんに気づかせてくれたものが、他でもない「癌」だったのでしょう。

「私はこの癌は、「章子、目覚めよ!何をしている。章子、目覚めよ!」と、み仏様が私のほっぺたにビンタをくれた音だと聞かせていただいております。」
「ビンタ一つ私にくれて、私に、「目覚めよ!このような充足がこの世にあるんだぞ。どうか章子、章子の華を咲かせてくれ」ということで、この癌をくれたんだと思います。」(『還るところはみなひとつ』)

(「西念寺婦人会だより」2002年5月号掲載)

〈参考文献〉
鈴木章子『癌告知のあとで ―私の如是我聞―』(探究社・1989)
鈴木章子『還るところはみなひとつ ―癌の身を生きる―』(東本願寺・1989)


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