「西念寺婦人会だより」2001年7月〜12月分 | |
2001年7月発行 掲載分 | |
分を尽くして用に立つ 先日ある本(佐々木正『いまを生きるための歎異抄入門』(平凡社新書))を読んでいたら、そこに次のような詩が紹介されていました。
作者はキリスト教の神学者ですので、神に祈るという形を採っていますが、そこでは私達が生きていく上での深い智慧が語られています。 明治期の真宗大谷派の学僧清沢満之(きよざわ・まんし)先生(1863〜1903)にもよく似た表現があって、清沢先生は、
と述べて、「分限(ぶんげん)」(能力の範囲)という言葉を強調しておられます。
それでも何とか形を作って翌日を乗り切ったのですが、我ながら不満の残る出来でした。
その質問に答えながら私は内心恥ずかしさで一杯でした。
情けないやら申し訳ないやらで、穴があったら入りたいような心境でした。
安田理深(やすだ・りじん)先生のお言葉です。 (「西念寺婦人会だより」2001年7月号掲載) 〔参考文献〕 |
2001年9月発行 掲載分 | |
「人の為(ため)」と書くと「偽(にせ)」、偽(いつわ)りとなりますね。 人の為には何もできませんよ。 (『わたしが出会った大切なひと言』より) 先日米子で作品展のあった相田みつをさんの詩です。
ちなみに、作家池波正太郎の言葉に「恩は着せるものではなく、着るものだ」というのがありますが、そういった処世訓、人生訓はともかくとして、「誰々のため」「何々のため」というのがもし本当―「偽」でない―ならば、それに対する見返りは本来必要ないはずです。例えばその行為に対する「ありがとう」「お世話になりました」といったお礼のひと言でさえも。
(「西念寺婦人会だより」2001年9月号に掲載) 〔参考文献〕 |
2001年10月発行 掲載分 | |
「米国同時多発テロ」に憶うこと すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身に引きくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 すべての者は暴力におびえる。すべての〔生きもの〕にとって生命は愛しい。己が身に引きくらべて、殺してはならぬ。殺させしめてはならぬ。 (釈尊『ダンマパダ』) 去る9月11日の深夜、たまたま見ていたTVのニュース画面に、煙を上げるNYの世界貿易センタービルに突如現れたジェット機が激突、炎上するシーンが映し出されました。 あまりの現実離れした光景に一瞬、 「エッ!? 何今の……。見間違いじゃないよね!?」 と、家人と顔を見合わせ呆然としたものです。 その後、ブッシュ米大統領は即座に「報復」を宣言。以後アメリカは着々と戦闘準備を進め、日本も国際世論に乗り遅れまいと早々に自衛隊の後方派遣を決めたのは皆さんのご承知の通りです。 無辜(むこ)の市民を標的とした無差別テロが許せない行為であるのは当然のことですし、自国を攻撃されたアメリカが掲げる「テロの根絶」(卑劣なテロリストを野放しにはしない。テロが今後多発しないよう徹底的に懲罰を与える)という論理も一応理解できます。何より被害者側の感情からすれば無理からぬこととは思えます。 しかし、この報復のための軍事行動が新たな憎悪と報復のテロを生むといういわゆる「暴力の連鎖」を本当に断ち切れる保証があるのでしょうか。誰も断ち切れるとは信じていないのではないでしょうか。(しかも今回の事件以前にすでにテロと軍事行動の応酬があり、今回の事件もすでに「暴力の連鎖」の一環であると言えます。) 冒頭に掲げた言葉は釈尊、お釈迦さまの肉声を伝えるとされる『ダンマパダ(法句経)』の一節です。 伝説によれば、釈迦族の王子ゴーダマ・シッダールタは少年時代、農耕祭の折に、農夫の掘り起こした土から這い出てきた虫を小鳥がついばむのを見て、 「哀れ、生き物は皆食(は)み合う」 と深く憂いたと伝えられています。 また、当時のインドもまた強国が弱国を併呑する弱肉強食の世界であり、釈尊の晩年、母国カピラヴァストゥは隣国コーサラによって滅ぼされます。 そのような争闘の時代のさなかにおいて釈尊は、
と「怨みを捨てる」ことを説かれたのです。
やがて成長した上人は比叡山に登って学問・修行に励み、その学識は当時の仏教界に知れ渡り、「智慧第一の法然房」と賞されるほどになるのですが、世評とは裏腹に上人の心は晴れませんでした。
と語っておられました。聞けばこの方は、娘さんの不登校を通して自らの人生観や心のありようを深く見つめた経験をお持ちで、その経験があったからこそこう感じられると思うとおっしゃっていました。
おふたりに共通するのは、加害者と被害者という立場を超えて犯人の少年の「心の闇」に思いを致している点です。 (「西念寺婦人会だより」2001年10月号掲載) |
2001年11月発行 掲載分 | |
米国同時多発テロに憶う(その後) 連日報道されるアフガン空爆や炭そ菌事件のニュースを見ていたら、昔読んだある文章と、最近読んだ1編の詩(童謡)を思い出しました。
杖とも柱ともたのむ一家の主人が勤めさきの工場で事故のために亡くなった。お葬式の翌日、小学5年になる腕白ざかりのそのひとの子どもが、道端に死んでいた鳩の死骸を見つけて、近所の子どもたちを集め、その死骸をうずめて墓をたて、お寺の住職にお経をあげてもらい、自分のわずかな小遣いをはたいてお布施までしたという。 (松本梶丸『魂のつぶやき』より) もう1つは近年ブームの金子みすゞ(1903〜1930)の作品です。 「大 漁」
彼女を発掘した童謡詩人・矢崎節夫氏はその作品を評してこう述べています。 「詩のはじまりは、神さまへのおいのりだった。 私は、ずいぶん長い間、金子みすゞの童謡を、ひとことでいうとしたら、どういえばいいか、考えてきました。……あの、みすゞの童謡を読んだあとに感じる、心のやすらぎや、心のあらわれるような気持ちまで表現できることばはないでしょうか。 こう考えていたとき、ふと思いだしたのが、小学生のときに読んだ、「詩のはじまりは、神さまへのおいのりだった」という、このことばでした。……みすゞの童謡は、みすゞのいのりの詩だったのです。……みすゞの童謡は、小さいもの、力の弱いもの、無名なもの、無用なもの、この地球という星に存在する、すべてのものに対する、いのりのうただったのです。」 (『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』解説より) 「祈り」とは、それら「小さいもの、力弱きもの」に対する「悲しみ」のまなざしがあってのことでしょう。そしてそのまなざしは何より自分自身に対する「悲しみ」から始まるのではないでしょうか。 「自分だけがかわいそう」というのではなく、自らの生の哀しさを通して生き物すべてが哀しいのだ、かわいそうだというまなざしに到り届く。 小学5年生のこの子も、死んだ鳩も、事故で死んだこの子の父親も、その妻も親戚も、何万尾のイワシも、大漁に喜ぶ漁師とその家族も、テロの犠牲者とその遺族も、空爆の下にいるアフガンの民も、そして他でもない私自身も、苦しみあえぎ、傷つくことに脅えながら、日々を必死に生きている。生きていた。 すべてのいのちに注がれる深い深い「悲しみ」のまなざし、それを私たち真宗門徒の伝統では、「如来の大悲(仏さまの悲しみ)」、「すべてのいのちに幸いあれ」という祈りを「本願(仏さまの願い)」、「すべてのいのちよ、己がいのちの尊さに、己がいのちの有する深い意味に目覚めよ」と呼びかける声を南無阿弥陀仏―阿弥陀仏に南無せよとの「名号(仏さまの名のり)」と、いただいてきたのではないでしょうか。 そしてさらに言えば、自分自身を哀しむ心が、如来の大いなる悲しみと感応道交する、共鳴する、響き合うという体験こそが「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」であり、その体験を通して初めて私たちの心は、「なぜ自分だけが苦しむのか?」という閉鎖的な個人性と、「みんな苦しいんだから仕方がない」といったアキラメと開き直りとを破られていくのではないでしょうか。 (「西念寺婦人会だより」2001年11月号掲載) 〈追記〉 本文中でご紹介した松本梶丸氏は真宗大谷派本誓寺のご住職で、お寺の所在地は石川県松任市です。 〔参考文献〕 |
2001年12月発行 掲載分 | |
「大漁」雑感
先月の「法話」でも紹介した「大漁」ですが、この詩はけっして作者のみの、いわゆる個人的な感慨を描いたものではないそうです。 矢崎氏の著書『童謡詩人金子みすゞの生涯』には、
という彼女の知人・高橋歌子さんの談話が紹介されています。 生きるためには他のいのちを奪わねばならない罪の身であるという自覚。イワシも自分もお互い死なねばならぬ身として、傷つくことに怯えながら必死に生きているのだという悲哀と共感。 このエピソードを読んだ時、私はある出来事を思い出しました。 何年か前、ある方の葬儀に出仕した折、祭壇の脇に細長いものが置いてあるを見かけました。 それは、故人の趣味を示すための釣り竿が、私にはまるで、 魚釣りという趣味が悪いと言っているわけではありません。 ただ、故人は大病によって1度は死の淵を覗きながら、リハビリに励んで見事に社会復帰され、数年後に同じ病気の発作で亡くなられた方でした。 たかが釣り竿、されど釣り竿。 私にはこの釣り竿1本がはからずも「現代」を象徴しているように思えました。 「大漁」が伝えてくれた「悲しみ」をもって人間や世界を見る目線。それは私流に言えば「悲のまなざし」ですが、その「まなざし」を失った「現代」に一体何が起きているのでしょうか? 答えは1つ。 〔参考文献〕 |
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