法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
真宗教学学会『真宗教学研究』第18巻掲載(1995年4月)
 
 
 

親鸞の還相回向観

                     ― 願文の訓点を手掛りにして           

豅   弘 信  


はじめに

謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。
一つには往相、二つには還相なり。
往相の回向について、真実の教行信証あり。(「教巻」、『定本教行信証』9頁)

『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)壁頭のこの「真宗大綱の文」に説かれた親鸞の往還二種回向は、長く、

回向というは如来の方から施与し給うが廻向なり。……
また往相回向と云うは、衆生の方にあることなり。
往相の往は、往生浄土の往で、娑婆に於いて信心をえて、浄土に往生して涅槃をさとる迄が往相なり。
また還相の還は、還来穢国の義なり。
浄土から穢土にたちかえり、あらゆる衆生を済度するなり。……
その還相も往相も、凡夫自力の企ては少しもなく、みな如来の方からの回向じゃということで、往相回向還相回向と云う。
       (香月院深励『教行信証講義』、『教行信証講義集成』1、243~4頁)
往相とは浄土へ往く相(すがた)ということで、私たちが浄土に往生するということはすべて仏から与えられたものであるから、これを往相廻向という。
還相とはひとたび浄土に往生して衆生救済のために再びこの世に還ってくる相(すがた)であり、この還相のはたらきをもまた仏の方から私たちに与えて下さるものであるから、これを還相廻向というのである。(星野元豊『講解教行信証』40頁)

として、「如来回向によって衆生に成就する往還二相」を語るものと理解されてきた。

このような了解は、すでに固定観念化し、考究の際の無意識裡の前提でさえあった。
このような通念的理解の上で、還相を現生の常行大悲に開始されると見るか、あくまで命終の後の来生に成立すると見るか、等の様々な論議が行なわれてきたのである。

しかし、このような通念が、親鸞自身の思索を忠実に伝えたものであるか、それとも後代の宗学の成果を無批判に継承したものであるか、との検討は、それがすでに通念と化しているだけに、容易には行われてこなかった。

我々は何よりもまず親鸞自身の教学表現に直参しなければならない。

そしてその上で、親鸞の各著作の性格、制作意図や予想される読者層、その記述および発言の生まれてくる歴史的背景等を視野に入れつつ、その二種回向観の内容と、それを通して親鸞が明らかにしようとした課題を検討していかなければならないのである。

また推究の際、何らかの課題意識、例えば「真宗における社会的実践の原理の構築」といった目的意識を過度に先行させてはならない。
なぜなら、このような姿勢はやがて、自己の価値観に適うべく親鸞を読み解こうとする恣意的態度に陥り、畢寛自己の立場を「親鸞」の名によって補強していくに過ぎなくなるからである。

親鸞の言説そのものに虚心に耳を傾ける。
それこそが我々の思索・研究の原点でなければならない。

註疏の上に註疏を重ね、解釈の上に解釈を加え、本を捨てて末に趨り、源を忘れて流を趁い、反りて益々聖教の意味に遠ざかる(清沢満之「貫練会を論ず」、法蔵館版『清沢満之全集』4、309頁)

という先師の金言は今尚正鵠を射ているのである。

以上の点を確認した上で、今回の論文で筆者は、親鸞が「還相回向の願」と抑えた『大無量寿経』第二十二願の願文を親鸞がどう了解していたのか、親鸞が願文に施した訓点を手掛りにその願文理解を尋ねていきたい。

1. 親鸞の本願理解の特質


願文自体の検討に入る前に、親鸞の本願理解の特質、および「証巻」還相回向釈における第二十二願の抑えを見ておきたい。

親鸞の主著『顕浄土真実教行証文類』は、その題号が示すとおり、「浄土真実の教行証の開顕」を課題とするものであるが、「教行証」等のそれら開顕すべき命題は、「行巻」以下の各巻冒頭に施された標挙の文、

諸仏称名の願  浄土真実の行
            選択本願の行(「行巻」、『定本』16頁)
至心信楽の願  正定聚の機(「信巻」、同上95頁)
必至滅度の願
難思議往生(「証巻」、同上194頁)
光明無量の願

寿命無量の願(「真仏土巻」、同上226頁)
無量寿仏観経の意
至心発願の願  邪定聚機
           双樹林下往生

阿弥陀経の意なり
至心回向の願  不定聚機
           難思往生(「化身土巻」、同上268頁)

から知られるように、いずれも如来の願を根拠としたものである。

「顕浄土真実教行証」における「顕」とは、信心の衆生の上に「事実」(教~化身土)として顕現した本願を、「従果向因」の思索を通して開顕することを意味し、それゆえ『教行信証』は『大経』の本願論、『大経』の本願を成就に立って明らかにした論書、言い換えるならば、『大経』の論、『大経』の優婆提舎であると言える。

このことはまた、「総序」末尾の総標・列名の文、

大無量寿経  真実の教
          浄土真宗

顕真実教 一
顕真実行 二
顕真実信 三
顕真実証 四
顕真仏土 五
顕化身土 六 (同上7頁)

からも知られる。

このような本願論としての性格をもつ『教行信証』の「証巻」で、親鸞は、

二つに還相の回向と言うは、すなわちこれ利他教化地の益なり。
すなわちこれ「必至補処の願」より出でたり。
また「一生補処の願」と名づく。
また「還相回向の願」と名づくべきなり(同上201頁)

として、この第二十二願の成就としての「還相回向」、すなわち「利他教化地の益」に論及している。

しかし、親鸞はここでは、

『註論』に顕れたり。
かるがゆえに願文を出ださず。
『論の註』を披くべし。(同上)

として願文を直接引かず、『論註』を繕くことを指示するのみである。

このことは何を意味するのであろうか。

『論註』は第二十二願の願文を、下巻の観行体相章・不虚作住持功徳の註釈と覈求其本釈・三願的証の文の二箇所に引用し、親鸞は還相回向釈において、その内の不虚作住持功徳の註釈を引用している。

親鸞が『論註』の文を引用するからといって、この御自釈が、ただ『論註』を見さえすればよい、というだけの単純な指示とは考えられない。
ここでは、親鸞があえて『論註』の文を引いたその積極的な意図を見出さなければならない。
またこの御自釈が「顕『(註)論』」として、『論註』をあくまで『論』と扱い、しかも「顕」という本願の歴史的顕現の意を含んだ字を用いていることにも着目しなければならない。

親鸞はこの御自釈の後、

『浄土論』に曰わく、「出第五門」とは、大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化の身を示す。
生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯して教化地に至る。
本願力の回向をもってのゆえに。
これを「出第五門」と名づく、と。已上
『論註』に曰わく、「還相」とは、かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かえしむるなり。
もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて、生死海を渡せんがためなり。
このゆえに「回向を首として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに」と言えりと。
また言わく、「すなわちかの仏を見れば、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を得証す。浄心の菩薩と、上地のもろもろの菩薩と、畢竟じて同じく寂滅平等を得るがゆえに」とのたまえり。……(下線筆者、同上201~2頁)

として『論』『論註』を引くのであるが、『論』の「出第五門」の文、『論註』の「還相」の文を引く際にはいずれも「曰」の字を用いるのに対して、不虚作住持功徳の文以降を引く際には「また言わく」として、経文引用時に用いる「言」の字を使っている。

親鸞にとって世親の恩徳は、

天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。……
広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために、一心を彰す。(同上88頁)
ここをもって論主は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萠を開化す。(以上傍点筆者、同上223頁)

とあるように、まさしく本願成就の「一心」を顕わしたことにある。その著『浄土論』は、世親が「我一心」という自らの一心帰命の信の表白を通して、『大経』の本願の歴史的実現を示したものである。

それに対して『論註』とは、

天親菩薩のみことをも
 鸞師ときのべたまわずば
 他力広大威徳の
 心行いかでかさとらまし(『高僧和讃』、『定本親鸞聖人全集』2和讃篇、91頁)
論主の一心ととけるをぱ
 曇鸞大師のみことには
煩悩成就のわれらが
 他力の信とのべたまう(同上94頁)

とあるように、「論主の一心」を本願の信として明らかにした書であり、『論』の註釈を通して『論』と同じく本願成就の歴史的証明書の位置を獲得した、まさしく『註の論』に他ならない。

これらのことから、親鸞は『論註』の文、殊に不虚作住持功徳の問答以降の文に託して、第二十二願の成就、還相回向の歴史的実現を語っている、と推察される。

それゆえこの還相回向・利他教化地の益とは、衆生の未来の益、衆生が未来に実現する境地ではなく、今現在の願成就の事実、すでに衆生の上に実現している如来の回向利益他である、と解すべきではなかろうか。

以上のことを念頭において、願文の検討に移りたい。
 

2. 親鸞の訓点の独自性


周知のごとく、親鸞は第二十二願の文、

設我得仏 他方仏土 諸菩薩衆 来生我国 究竟必至 一生補処 除其本願 自在所化 為衆生故 被弘誓鎧 積累徳本 度脱一切 遊諸仏国 修菩薩行 供養十方 諸仏如来 開化恒砂 無量衆生 使立無上 正真之道 超出常倫 諸地之行 現前修習 普賢之徳 若不爾者 不取正覚

を、「証巻」還相回向釈で「必至補処の願・一生補処の願・還相回向の願」と抑え、

設い我仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究寛して必ず一生補処に至らん。
その本願の自在の所化、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱せしめ、諸仏の国に遊びて、菩薩の行を修し、十方諸仏如来を供養し、恒砂無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんをば除く。
常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。
もししからずは正覚を取らじ。(『定本』204頁)

と訓んでいる。

親鸞がこの文を逐一解説していない以上、我々は、この訓読そのものから、その願文理解を読み取らねばならないのである。

今回筆者は、親鸞以前、もしくは在世当時にこの文に施され、いわば「常識」として広く流布していた訓点との比較を通して、この訓点に託された親鸞の願文理解の独自性を見たいと考えたのであるが、親鸞以前の「常識」的訓点を発見するには到らなかった。①

そこで筆者は、サンスクリット本『無量寿経』②、「貞和3年(1347)、空善が願主となって親鸞加点の秘本を延べ書きにした」との奥書をもつ毫摂寺蔵『仏説無量寿経 延書』③、元禄10年(1697)に義山の募刻によって版行された義山校訂本の『論註』④、そして親鸞在世中の建保2年(1214)の写本(建保本)の訓点を伝えると言われる大谷大学図書館所蔵の『論註』刊本⑤を参考に、親鸞以前の訓読を推定した。

それが、

設い我仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究寛して必ず一生補処に至らん。
その本願の自在の所化、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱せしめ、諸仏の国に遊びて、菩薩の行を修し、十方諸仏如来を供養し、恒砂無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめ、常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せんをば除く。
もししからずは正覚を取らじ。

という訓みである。

これら二通りの訓読の比較を通して知られる親鸞の加点の特徴は二点ある。

第一は、「除く」を「使立無上正真之道」まで懸け、「現前に普賢の徳を修習せんをぱ除く」ではなく「無上正真の道を立せしめんをば除く」と訓んだ点である。

親鸞の訓点によれば、もと他方仏土の菩薩が得生見仏によって究寛して必ず一生補処に至り、その補処の菩薩が「超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳」という営為をなす、という意味になる。

そして、その「超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳」を「常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん」ではなく、「常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん」と訓んだ点が、親鸞の加点の第二の特徴である。


3. 曇鸞の願文理解
         『論註』の文脈から


それに対して、親鸞以前の訓みでは、「除く」は「超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳」まで懸かり、浄土に来生したもと他方仏土の菩薩には、阿弥陀仏を見て究寛して一生補処の菩薩となるか、もしくは、いまだ補処の位に至らずして、阿弥陀の仏力住持によって諸仏の国に遊んで諸仏を供養し、無量の衆生を開化する普賢の行を行ずるか、の二つの選択肢がある、という意味になる。

周知のように、曇鸞は『論註』で、

謹んで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるに、云く。
菩薩、阿毘跋致を求に、二種の道有り。
一には難行道、二には易行道なり。……
易行道は、謂く但信仏の因縁を以て浄土に生と願ず。
仏願力に乗じて便ち彼の清浄の土に往生を得。
仏力住持して即ち大乗正定の聚に入る、
正定は即ち是阿毘跋致なり。(『定親全』8加点篇(2)、1~2頁)
利行満足というは、〔筆者註:菩薩は〕復五種の門有て漸次に五種の功德を成就すと、知るべし。
何者か五門。
一には近門……
此の五種は入出の次第の相を示現したまうなり。
入相の中に初に浄土に至る、是近相なり。
謂く大乗正定聚に入る、阿耨多羅三藐三菩提に近づくなり。(同上142頁)

と語り、「阿毘践致」菩薩が自在に自利利他を成就する境位の獲得をその課題として掲げているのであるが、その課題に応えるものが、下巻の不虚作住持功徳の一段、

即ち彼の仏を見せば未証浄心の菩薩畢竟じて平等法身を得証して、浄心の菩薩と上地の諸の菩薩と畢竟じて同じく寂滅平等を得しむるが故なり……(同上114頁)

である。

曇鸞はこの一段において、

復次に『無量寿経』の中、阿弥陀如来の本願に言たまわく。……
此の経を案じて彼の国の菩薩を推するに、或は一地より一地に至らざるべし。
十地の階次と言うは是れ釈迦如来閻浮提に於て一の応化道ならくのみ。
他方の浄土は何ぞ必ず此の如くならん。
五種の不思議の中に仏法最も不可思議なり。(同上・117頁)

として、不虚作住持功徳が実は第二十二願の成就であることを説いている。

このことから、願文の「他方仏土のもろもろの菩薩衆」とは、不虚作住持功徳の文の説く初地已上・七地已還の「未証浄心の菩薩」であり、その菩薩が見仏によって、畢寛じて平等法身を得証し、浄心の菩薩と上地のもろもろの菩薩と畢寛じて同じく寂滅平等を得ることを、願文では「究寛して必ず一生補処に至る」と説いていることが知られるのである。

「平等法身」は、八地已上の法性生身の菩薩なり。
「寂滅平等」は、即ち此の法身の菩薩の所証の寂滅平等の法なり。
此の寂滅平等の法を得るを以ての故に、名て平等法身と為す。
平等法身の菩薩の所得以ての故に、名て寂滅平等の法と為すなり。
此の菩薩報生三昧を得て、三昧の神力を以て、能く一処にして、一念一時に十方世界に遍じて、種種に一切諸仏及び諸仏の大会衆海を供養し、能く無量世界の仏法僧ましまさぬ処に於て、種種に示現し種種に一切衆生を敎化し度脱して常に仏事を作せども、初より往来の想・供養の想・度脱の想無し。
是の故に此の身を名て平等法身と為す、此の法を名て寂滅平等の法と為するなり。
「未証浄心の菩薩」は諸の菩薩なり。
此の菩薩亦能く身を現じて、若しは百若しは千、若しは万若しは億、若しは百千万億の無仏の国土に仏事を施作す。
要らず作心を須いて三昧に入る、乃ち能く作心せざるには非ず。
作心を以ての故に名づけて未得浄心と為す。
此の菩薩安楽浄土に生ぜんと願て即ち阿弥陀仏を見たてまつる、
阿弥陀仏を見たてまつる時、上地の諸の菩薩と畢竟じて身等しく法等し。(同上114~5頁)
問曰。
『十地経』を案ずるに、菩薩の進趣階級漸く無量の功勳有りて多くの劫数を逕、然こうして後に乃し此を得。
云何が阿弥陀仏を見たてまつる時、畢竟じて上地の諸の菩薩と身等しく法等しきや。
答曰。
「畢竟」と言うは未だ即等と言うにはあらざるなり、畢竟じてこの等しきことを失わざるが故に等と言うならくのみと。(同上116頁)

とあるように、要らず作心を須いて三昧に入りて無仏の国土において仏事を施作する「未証浄心の菩薩」と、報生三昧の神力によって無量の有仏無仏の国土において常に仏事を作しながら、往来.供養・度脱の想なき「浄心・上地の諸菩薩」との問には、安易に「即ち等し」ということを許さない断絶がある。

そしてそれは、未証浄心の菩薩のもつ「作心」によるものである。

「作心」造作分別・作意分別の心とは、分別に立った教化の意欲に他ならない。
教化の意欲を奮い起こして仏事を作していく未証浄心の菩薩は、それゆえ、

菩薩七地の中に於て大寂滅を得ば、上に諸仏の求むべきを見ず、下に衆生の度すべきを見ず、仏道を捨てて実際を証せんと欲す。
爾の時に若し十方諸仏の神力をして加勧を得ずば、即便滅度して二乗と異なること無けん。(同上)

という「七地沈空の難」、すなわち仏道の放棄の危機にたえず曝されねばならないのである。

この菩薩が見仏によって「畢寛じて」八地已上の法性生身の菩薩と同じ寂滅平等を得証する身となった、すなわち初地已上七地已還の未証浄心の菩薩のままでその難を越え得る、ということが、曇鸞の説く「入大乗正定聚」である。

問曰。
若し即ち等しからずば、復何を待ちてか菩薩と言う。
但初地に登れば以て漸く增進して自然に当に仏と等しかるべし。
何ぞ仮に上地の菩薩と等しと言わんや。
答曰。……
菩薩若し安楽に往生して阿弥陀仏を見れば即ち此の難無し。
是の故に須く畢竟じて平等なりと言うべし。(同上116~7頁)

そして、この畢寛じて平等法身を証すべき正定聚の菩薩が自らの本願のゆえに補処の位を捨てるとは、「未だ自在の位に階わ」⑥ぬ作心の菩薩が、衆生教化のために浄土の命を捨て、三界雑生の火中に生まれながら、正覚阿弥陀の善力住持によって、無上菩提の種子を畢寛じて朽ちさせることなく、すなわち沈空の難に堕することなく、力の限り普賢の行を行じていくことが成り立つことを指し⑦、菩薩が速やかに阿毘跋致を獲得するという課題がここで応えられているのである。

それゆえ、このような了解のもとでは、「超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳」とは除かれる菩薩の営みを指し、「常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん」⑧と訓まれなければならない。

「常倫諸地の行」とは「常倫」=「諸地の行」であり、この文はそれゆえ、釈迦如来の閻浮提における「一応の化の道」⑨である「十地の階次」を超えて未証浄心の菩薩が普賢の徳を修するという、阿弥陀の浄土の「超越の理」⑩を示すものと了解できる。

それゆえに曇鸞は、

龍樹菩薩・婆藪槃頭菩薩の輩ら、彼に生と願ずるは、当に此が為なるべしならくのみと。(同上115~6頁)

と、「他方仏土のもろもろの菩薩衆」、すなわちこの「無仏」の国土である娑婆世界において菩薩の志願に生きた龍樹・世親が、「仏道を捨てて実際を証せんと欲す」る「聲聞辟支佛地」⑪の「二乘地」⑫に墮することを怖れて阿弥陀浄土への得生見仏を願った、と説くのであり、「此の〔筆者註:未証浄心の〕菩薩亦能く身を現じて、若しは百……若しは百千万億の無仏の国土に仏事を施作す」の記述からも、それを記した曇鸞の念頭には当然龍樹・天親の存在があったことが窺われる。

以上のことから知られるように、親鸞以前(曇鸞)の訓みにおいて第二十二願はあくまで他方仏土の菩薩の必至補処とその普賢行を誓った願であり、これを即、「還相回向の願」と了解することはできない。

如実に奢摩他毘婆舎那を行じ方便力を成就し已った「菩薩の自娯楽の地」⑬である八地已上の「教化地」⑭において任運無功用に教化する浄土の大菩薩の還相(遊諸仏国・供養諸仏・開化衆生)はむしろ、『大経』第二十三願以降の「国の中の菩薩」を主題とした願を待たなければならない。

たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、仏の神力を承けて、諸仏を供養し、一食の頃に遍く無数無量那由他の諸仏の国に至ること能わずんば、正覚を取らじ。(第二十三供養諸仏の願、東本願寺版『真宗聖典』19頁)
たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、諸仏の前にありて、その徳本を現じ、もろもろの欲求せんところの供養の具、もし意のごとくならずんば、正覚を取らじ。(第二十四供具如意の願、同上)
たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、一切の智を演説すること能わずんば、正覚を取らじ。(第二十五説一切智の願、、同上)
たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、もし経法を受読し、諷誦持説して、弁才智慧を得ずんば、正覚を取らじ。(第二十九得弁才智の願、同上20頁)
たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、智慧弁才、もし限量すべくんば、正覚を取らじ。(第三十弁才無尽の願、同上)

また、曇鸞にとって正定聚とは、他方仏土において菩薩であった存在のみに限定されるものではなく、『讃阿弥陀仏偈』の記述、

安楽の声聞菩薩衆 、智恵咸く洞達せり
身相の荘厳殊異無し
他方に順ずるが故に名を列ぬ
顏容端正にして比ぶべき無し
精微妙軀にして人天に非ず
虚無の身無極の体なり
是の故に平等力を頂礼したてまつる(下線筆者、『真宗聖教全書』1、356頁)

からも知られるように、仏願力によって安楽浄土に生じたあらゆる存在が等しく住する位である。

『論註』にも、

安楽浄土は諸の往生する者の、不浄の色無し、不浄の心無し、
畢竟じて皆清浄平等無為法身を得ことは、安楽国土清浄の性成就せるを以ての故なり。(『定親全』8加点篇(2)、19頁)
彼の諸の人天、亦復是の如し。
皆大乗正定の聚に入て畢竟じて当に清浄法身を得べし。(同上129頁、以上、下線筆者)

とあるように、十方世界において人天.声聞・未証浄心の菩薩として生きた者たちが、信仏の因縁をもって仏願力に乗じて安楽浄土に生まれて住し、畢寛じて清浄平等無為法身を得証する位が「大乗正定聚」なのである。


4. 親鸞の願文理解
a  先学の註釈


それに対して、親鸞の訓みに拠ってこの願文を見る際、先学は、他方仏土の菩薩とは本願の念仏に帰して浄土に生まれた者であり、それがやがて一生補処の菩薩となっても、度脱衆生の志願のゆえに仏果を証することをやめて補処の位にとどまって、穢土に還来して衆生を度することを示す願と解釈されている。

香月院深励師は、

浄土へ往生した者は一人も残らず皆悉く一生補処に至る、夫れゆえ皆仏の跡継ぎをして成仏する筈なれども、浄土の菩薩の自分の願いで還相廻向を以て衆生を済度し給う故、仏にならずに補処の菩薩でありながら普賢大悲の行を修し給う、それは除くと云うことで除其本願自在所化等と誓い給う也。……
よりて我祖は此の二十二の本願を一生補処の願とも名け還相廻向の願とも名けて、一願に二つの願事がありて、一には浄土へ往生するものは咸く一生補処の位に至らしめようの願い、二には思いの儘に還相廻向の普賢行を修せしめようとある願也。
即ち是れ〔註・除其本願自在所化〕から下が其の還相廻向の願の相た也。(下線筆者、『論註講苑』巻10/『浄土論註講義』593頁)

と領解し、星野元豊師はまた、

親鸞は初めの一文は浄土に往生したならば必ず一生補処の位に至らしめることを誓ったものと解した。
そして次の「除其本願………」の文は還相回向を誓ったものと解した。
従ってこの「除くというのは仏果にとどまらしめることを除くと解したのである。
すなわち娑婆の衆生を済度したいと願う者は娑婆に出てその救いのはたらきをするために、仏果にはいってそこにとどまることをやめさして一生補処という菩薩の位になって、普賢菩薩のように娑婆でその済度のはたらきができるようにさそうと誓った願文とみたのである。(以上下線筆者、『前掲書』1196頁)

と解説している。

これらの先学の了解では、「除く」とは、補処に至ることから除くのではなく、仏果から除かれるのであり、仏果から除かれた一生補処の菩薩、すなわち浄土の大菩薩が「諸仏の国に遊んで菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめ」ることが、すなわち還相の普賢行であるとされている。

このような理解はしかし、願文の文章の流れから見るといささか強引かつ不自然であり、「究竟」の語の存在もまた無視・忘却されていると感じざるを得ない。

このような了解が成り立つためには、「究寛必至一生補処」の文と「除く」の文の間にもう一文(例:「補処の菩薩は必ず仏果を証す」)が必要なのでは、と思われる。

「除く」とは、やはり「その本願の自在の所化、衆生のためのゆえに……恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめん」とする菩薩が補処に至ることから除かれる、と読むべきではなかろうか。

その上で、あらためて問題となるのは、「他方仏土の菩薩」が何を指すのか、補処の位から除かれる菩薩の行が何を意味するのか、ではないだろうか。

また、第二の読み替えに対して先学の積極的な着目は見られず、浄土に生まれた者は常倫諸地、すなわち十地の階次を超越して一挙に補処に至り普賢の徳を行ずるという、言わば親鸞以前の訓み(「常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん」)に還した解釈が一般的である。


b  親鸞における「必至補処」


ここで、親鸞加点の願文に対する筆者の了解を述べたい。

まず「他方仏土の菩薩」であるが、大乗正定聚を現生の信心の行者がたまわる利益と捉えた、いわゆる現生不退.現生正定聚に親鸞の思想的特徴があるのは周知の通りである。

この願成就を、釈迦如来ときたまわく、「其有衆生、生彼国者、皆悉住於正定之聚、所以者何、彼仏国中、無諸邪聚、及不定聚」と、のたまえり。……
かくのごとく法蔵菩薩ちかいたまえるを、釈迦如来、五濁のわれらがためにときたまえる文のこころは、「それ衆生あて、かのくににうまれんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆえはいかんとなれば、かの仏国のうちには、もろもろの邪聚および不定聚はなければなりとのたまえり。………
『浄土論』に曰わく、「『経』言、若人但聞彼国土、清浄安楽、剋念願生、亦得往生、即入正定聚、此是国土名字為仏事、安可思議」とのたまえり。
この文のこころは、もしひと、ひとえにかのくにの清浄安楽なるをききて、剋念してうまれんとねがうひとと、またすでに往生をえたるひとも、すなわち正定聚にいるなり。
これはこれ、かのくにの名字をきくに、さだめて仏事をなす、いずくんぞ思議すべきやとのたまえるなり。
安楽浄土の不可称・不可説・不可思議の徳を、もとめず、しらざるに信ずる人にえしむとしるべしとなり。(下線筆者、『一念多念文意』/『定親全』3和文篇、128~32頁)

このように親鸞は、『大経』必至滅度の願成就の文や『論註』の妙声功徳の文に依拠して、正定聚を「彼の国に生まれんとする者」にたまわる現生の利益と抑えている。

このことからみて、他方仏土の菩薩が補処に至るとは、講録の語るような来生の出来事ではなく、現生正定聚の事実本願に帰した凡夫が必ず滅度に至るを別の側面・課題から語ったものではないか、と筆者は考えるのである。

親鸞は、先に引いた『讃阿弥陀仏偈』の文に拠って『浄土和讃』に、

安楽声聞菩薩衆
 人天智慧ほがらかに
 身相荘厳殊異なし
 他方に順じて名をつらぬ
顔容端政たぐひなし
 精微妙躯非人天
 虚無之身無極体
 平等力に帰命せよ(『定親全』2・和讃篇、17~8頁)

と詠っている。

浄土の春属に品位階次や相好の差異差別はなく、等しく「みな、自然虚無の身、無極の体を受け」⑮るのであるが、このような願海の一味平等を成就する浄土の大義門の功徳を、親鸞は現生に成就する信心の利益と捉えているのである。

また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品なれども、今は一二の殊なし。
また淄澠の一味なるがごとし。
いずくんぞ思議すべきや。 (「証巻」所引『論註』、『定本』198頁)

親鸞は「行巻」に『論註』上巻・作願門の、

問うて曰わく、何の義に依って往生と説くぞや。
答えて曰わく、この間の仮名の人の中において、五念門を修せしむ。
前念と後念と因と作る。
穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。
前心・後心またかくのごとし。
何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。
もし異ならばすなわち相続にあらず。
この義、一異を観ずる門なり。
『論』の中に委曲なり。(『定本』36頁)

を引いて、穢土の仮名人と浄土の仮名人の不一不異を語っている。

親鸞はここで、浄土と穢土、彼岸と此岸の差別は仮に名づけられたものであり、穢土を即浄土と見ることはできないが、両者は決して隔絶され固定化されたものではなく、現生の信心にすでに浄土の功徳が自証されること、すなわち「信心のひとは、この心すでにつねに浄土に居す」「浄土に信心のひとのこころつねにいたり」⑯ことを、そしてさらに、彼の土の功徳を自証する人生をこそ「往生」(難思議往生)と呼ぶのだと述べているのである。

それゆえ「他方仏土の菩薩」とはあくまで余方に順じた仮の名であり、例えば、この娑婆世界の衆生の中の龍樹・世親といった「菩薩」、すなわち阿惟越致を求めて彼の国に生まれんと願った存在に他ならないのであるが、ここで翻って、この願があえて「菩薩」と掲げたことの意味を考えてみたい。

この「他方仏土の菩薩」を『大経』の四十八願文に還してみると、何より第三十四聞名得忍の願に、

たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得ずんば、正覚を取らじ。(「信巻」所引『大経』、『定本』144頁)

として、十方衆生が聞名によって「菩薩の無生法忍、もろもろの深総持」を得ると誓われていることが注目される。

もちろんこれは、聞名の衆生が即菩薩であることを意味するものではない。

実業の凡夫章提希の見仏得忍を「これ十信の中の忍なり、解行已上の忍にはあらず」⑰と善導が抑えたように、この「無生法忍」も、見道初歓喜地をもって初めて「菩薩」と呼び⑱、あるいは七、八、九地に到ってそれを得るとする大乗菩薩道の慣例⑲からすれば、はるかに低い階位(凡夫)の忍であると言える。

しかし、

しかれば真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆえに、これを「歓喜地」と名づく。
これを初果に喩うることは、初果の聖者、なお睡眠し懶堕なれども、二十九有に至らず。(「行巻」/『定本』67~8頁)
真に知りぬ。
弥勒大士、等覚金剛心を窮むるがゆえに、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。
念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。
かるがゆえに「便同」と曰うなり。
しかのみならず、金剛心を獲る者は、すなわち韋提と等しく、すなわち喜・悟・信の忍を獲得すべし。
これすなわち往相回向の真心徹到するがゆえに、不可思議の本誓に籍るがゆえなり。(「信巻」、同上151頁)

とあるように、章提希のごとき凡夫が、獲信によって初歓喜地の菩薩、さらには等覚の弥勒と同じく不退を得るという、菩薩道の階次をも超絶した本願の横超不可思議力を語る親鸞の仏教理解に立てば、この願は、聞名によって凡夫が仮に「菩薩」の名をたまわることを示す願と見ることができる。⑳

『大経』にはまた、第三十七人天致敬の願にも

たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸天人民、我が名字を聞きて、五体を地に投げて、稽首作礼し、歓喜信楽して、菩薩の行を修せん。
諸天世人、敬いを致さずということなけん。
もし爾らずんば、正覚を取らじ。(『聖典』22頁)

と、衆生が聞名によって菩薩行を行じる存在へと変革されることが誓われている。

それゆえ『大経』はこの後、第三十六常修梵行・第四十一諸根具足・第四十二住定供仏・第四十三生尊貴家・第四十四具足徳本・第四十五住定見仏・第四十七得不退転・第四十八得三法忍の願にそれぞれ他方国土の菩薩の聞名による得益を誓って四十八願を閉じていくのである。

このような聞名の「菩薩」にどのような営みが始まるのかを示すものが、「其本願自在所化」以下の除かれる菩薩の行であろう。

例えば第四十二住定供仏・第四十四具足徳本の願には、

たとい我、仏を得んに、他方国土のもろもろの菩薩衆、我が名字を聞きて、みなことごとく清浄解脱三昧を逮得せん。この三昧に住して、一意を発さん頃に、無量不可思議の諸仏世尊を供養したてまつりて、しかも定意を失せじ。もし爾らずんば、正覚を取らじ。(『聖典』23頁)
たとい我、仏を得んに、他方国土のもろもろの菩薩衆、我が名字を聞きて、歓喜踊躍して、菩薩の行を修し、徳本を具足せん。(同上)

と、「徳本を積累し……諸仏の国に遊びて、菩薩の行を修し、十方諸仏如来を供養」することが誓われているのである。

前述したように、「除く」はやはり補処に至ることから除かれると解すべきであって、除かれるもと他方仏土の菩薩の菩薩行とは、作心をもって作される未証浄心の菩薩の仏事であるが、それはそのまま本願に帰した現生の行者によってなされる自信教人信、常行大悲の営みを暗示していると思われる。

作意分別を尽くして教化に従事する者にとって、任運自在に仏事をなす補処・浄心・上地の菩薩とは、永遠の未来、永遠の理想、永遠の志願でありつつ、しかも安易に「即ち等し」ということを許さない、絶対的な距離・隔絶を有した存在である。
自信教人信の営みはどこまでも作心を尽くして、それゆえ絶えず退転の危機に曝されながら、なおかつよき師・よき友人に励まされ、支えられながら営まれていくものである。

そしてまた、そのような営みが本願との値遇によって成り立つがゆえに、「究寛して必ず補処に至る」(『大経』)、「畢寛じて平等法身を得証する」(『論註』)と言い、あるいは

「次如弥勒」ともうすは、……他力信楽のひとは、このよのうちにて不退のくらいにのぼりて、かならず大涅槃のさとりをひらかんこと、弥勒のごとしとなり。(『一念多念文意』、『定親全』3和文篇、130~1頁)
また、王日休のいわく、「念仏衆生、便同弥勒」といえり。……念仏の人は、無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとともうすなり。(同上132頁)

と言い得るのではないだろうか。

「除く」とされた菩薩の営為こそが、「必至補処」という語に象徴される本願の仏道の積極的な内容だと思われるのである。


c  親鸞における「諸地の行現前」


続いて「超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳」の文であるが、前述したように、親鸞の訓みによれば、この「超出常倫」以降は一生補処の菩薩の営為と訓まれており、その営為は、「常倫に超出する」「諸地の行を現前する」「普賢の徳を修習する」という三つの内容で抑えられている。

筆者はこの中の「諸地之行現前」に特に注目するのである。

親鸞が積極的に「諸地の行現前し」と訓んだことは、『論註』(加点本)藪求其本釈・三願的証の文の、

願に言たまはく。
……仏願力に縁るが故に、常倫に超出し諸地の行現前し、普賢の德を修習せん。
常倫に超出し、諸地の行を以ての故に、所以に速を得る三の証なり。(『定親全』8加点篇(2)、150~1頁)

を、「行巻」他力釈の引用では、

願に言わく、
……仏願力に縁るがゆえに、常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。
常倫に超出し諸地の行現前するをもってのゆえに、このゆえに速やかなることを得る、三つの証なり。(下線筆者、『定本』74~5頁)

として「現前」の字を補ったことからも知られるのである。㉑

親鸞はこの「諸地之行現前」に、閻浮提において「諸地の行」、すなわち菩薩の「十地の階次」を説いた釈尊の「一の応化道」㉒、すなわち利他教化そのものを読み取っているのではないだろうか。
「諸地の行を現前する」とは、釈尊がその成道の過程において菩薩の十地をその身に体現し、そして十地の教説を開示した、釈尊の還相応化の姿をこそ意味するのではないだろうか。

(親鸞はまた、『如来二種回向文』(専修寺蔵、正嘉元年・1257、覚信が書写)に引いた第二十二願文の「諸地」の語に「かんぎじ(歓喜地)なり」と左訓を付している。

「諸地」はイコール「歓喜地(初地)ではないにもかかわらず、親鸞がそのように左訓を施したということは、親鸞が釈尊の諸地(十地)の教説のうち、殊に「歓喜地」、すなわち「行巻」に、

しかれば真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆえに、これを「歓喜地」と名づく。
これを初果に喩うることは、初果の聖者、なお睡眠し懶堕なれども、二十九有に至らず。
いかにいわんや、十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまわず。かるがゆえに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力と曰う。
こをもって龍樹大士は「即時入必定」と曰えり。曇鸞大師は「入正定聚之数」と云えり。
仰いでこれを憑むべし。
専らこれを行ずべきなり。(『定本』頁)

と記したような『大経』、すなわちそれによって衆生が現生に正定聚に住する本願念仏の教説をこそを肝要と見ていることが窺われるのである。)

親鸞は和讃に、

安楽浄土の大菩薩は
 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ
 穢国にかならず化するなれ(『浄土和讃』/『定親全』2和讃篇、15頁)
還相の回向ととくことは
 利他教化の果をえしめ
 すなはち諸有に回入して
 普賢の徳を修するなり(『高僧和讃』/同上94頁)

と説いている。

還相の主体である浄土の(大)菩薩とは、補処、すなわち八地已上の「一生補処」「利他教化の果」に至って普賢の徳に帰し、穢国に応化する存在であるが、親鸞にとってこの一生補処の菩薩とは、自分の未来の利益というよりむしろ今現在自らの前に応現し、普賢の徳を行ずる「応化身」、例えば釈尊・法然において捉えられていたのではないだろうか。

筆者は、親鸞が第二十二願を「還相回向の願」と抑えたのは、従来理解されてきたような「除其本願自在所化……」以降の除かれる菩薩の行を示す文に拠ってではなく、この「超出常倫 諸地之行現前 修習普賢之徳」の文に拠ってではないかと考えるのである。


おわりに
     二重の願成就


以上考察してきたように、親鸞は第二十二願に二重の意味での願成就の事実を見ていたと思われる。

第一が「必至補処の願」「一生補処の願」としての成就であり、それは、他方仏土の菩薩が見仏によって歩む仏道の内容が「他方仏土諸菩薩衆」以下「使立無上正真之道」までで示されている。

第二は「還相回向の願」としての成就であり、こちらは「超出常倫」以下、一生補処の菩薩の利他教化と示されている。

前者が「必至補処」という本願の仏道の積極的内容であり、そのような往相の仏道の根源に後者の示す浄土の菩薩の還相応化身との値遇がある、といういわゆる「往還の対面」(曾我量深)こそが、親鸞がこの願文から読み取った内容ではないだろうか。

親鸞は還相回向・利他教化地の益を、衆生が未来に実現する教化利益地ではなく、今現在の願成就の事実、前述の形ですでに衆生に実現している利益と解しているのである。

また、還相の主体である「浄土の大菩薩」とは、根源的には、因位法蔵菩薩の還相応化の願心「常に大衆の中にして法を説きて師子吼せん。一切の仏を供養したてまつり、もろもろの徳本を具足せん」㉓の「象徴」(曾我量深)であり、親鸞は「還相回向釈」所引の『論註』「浄入願心章」の文

「浄入願心」とは「また、さきに観察荘厳仏土功徳成就、荘厳仏功徳成就、荘厳菩薩功徳成就を説きつ。
この三種の成就は願心の荘厳したまえるなりと、知るべし」といえり。
「知るべし」とは、この三種の荘厳成就は、もと四十八願等の清浄の願心の荘厳せるところなるによって、因浄なるがゆえに果浄なり。
因なくして他の因のあるにはあらずと知るべしとなり。
「略して入一法句を説くがゆえに」とのたまえり。
上の国土の荘厳十七句と、如来の荘厳八句と、菩薩の荘厳四句とを「広」とす。
入一法句は、「略」とす。。……(『定本』209頁)

以降でそれを語っていると思われるが、今回の主題でないためこれ以上は論究しない。

詳しくは、拙稿「信に内観される如来法蔵菩薩永劫修行の内景としての「還相回向釈」」(『親鸞教学』57・大谷大学真宗学会・1991年)等を参照いただければ幸いである。


①親鸞と同時期の『論註』の訓点を伝える古写本は建保本と宝珠院本とがある。
前者は建保2年(1214)に書写された原本が、その後最低二人(慧暁・恵周〔釈僧霽の兄〕)による転写を歴た後、享保16年(1731)釈僧霽が刊本に校合加点したものを、明治37年(1904)真宗高倉大学寮の名において刊本に模写した大谷大学所蔵本によって知ることができるが、建保本の原本自体は存否不明である。
また後者は高野山宝珠院蔵の写本であり、字体から鎌倉初期のものとされるが、上巻のみ現存し、願文の引用されている下巻が欠如しているため、願文の訓点は知り得ない。(真宗勧学寮編『浄土論註校異』(1925、興教書院)参照。
ただし、谷大所蔵本が伝える建保本もすでに数回の転写を経ており、親鸞在世当時の常識的な訓点を正確に伝えているとは断定できないと筆者は考える。
②サンスクリット本『無量寿経』第21願文
「世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれた生ける者どもが皆、この上もない正しい覚りを得るために〈もう一生だけこの世に縛られるだけの身〉とならないようであったら、その間はわたくしは、この上ない正しい覚りを現に覚ることがありませんように。
ただし、(それは)、大いなる鎧を身にまとい、一切の世間の利益のために鎧を身にまとい、一切の世間のために努力し、一切の世間の永遠の平安のために努力し、一切の世界で求道者の行ないを実行しようと願い、一切の目ざめた人々に近づこうと願い、ガンジス河の砂(の数)に等しい(無数の)生ける者どもをこの上ない正しい覚りに安定させ、さらにその上の行に向かい、サマンタ・バドラ(普賢)の行に到達した求道者たち、すぐれた人々のたもつかの特別な願いを除いてのことである。」(『岩波文庫 浄土三部経・上』29頁)
「世尊、もしも私が菩提に到達したとき、かの仏国に生まれるであろう有情たちがすべて、この上ない完全な正覚に(赴くべきものであり、迷いの世界に)縛られているのはもはやこの一生だけであるということにならないようであったら、そのあいだは、私はこの上ない完全な正覚をさとるということはないでありましょう。
(ただ)大いなる(誓願の)鎧を身にまとい、すべての世間の利益のために専心し、すべての世間を完全に涅槃せしめるよう専心し、すべての世界において菩薩の行を実践しようと欲し、すべての仏たちを尊崇しようと欲し、ガンガー(河)の砂(の数)に等しい有情たちをしてこの上ない完全な正覚に向けて安定せしめ、そしてさらにそれ以上の行をこころざしており、普賢の行(を実践すること)に定まっているかの菩薩摩訶薩たちの、とくべつのすぐれたもろもろの誓願(によってあえて輪廻を重ねるばあい)は除いて、であります。(『中公文庫 大乗仏典6・浄土三部経』31頁)
③毫摂寺蔵『仏説無量寿経延書』
「◎必至補処
廿二 たといわれ、仏をえたらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わがくにに来生して、究寛して、かならず一生補処にいたらん。
その本願自在の所化、衆生のためのゆえに、弘誓のよろいをき、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏のくににあそび、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめ、常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せんをばのぞく、
もししからずば、正覚をとらじ。」(『定親全』8加点篇(1)、28頁)
④義山本『浄土論註』〈不虚作住持功徳〉
「設し我れ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆我が国に来生せんに、究寛じて必ず一生補処に至らん。
其の本願ありて自在の化する所、衆生のための故に、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立てしめんをば除く。常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。
若し爾らずば正覚を取らずと。」(『浄土宗全書』1、248頁・『国訳一切経』諸宗部5・79~80頁)
⑤建保本『往生論註』〈不虚作住持功徳〉
「設(い)我、仏(を)得(んに)、他方仏土の諸の菩薩衆、我(が)国に来生せんに、究竟して必ず一生補処に至(らん)。
其の本願を以(て)自在に化する所ろ、衆生の為の故に、弘誓の鎧を被[き]て、徳本を積累して、一切を度脱(して)、諸の仏国に遊び、菩薩行(を)修し、十方の諸仏如来を供養し、恒砂無量の衆生を開化して、無上正真之道を立(せ)使[し]め・めんをは、常倫諸地の之行に超出して、現前普賢之徳を修習せんをは除く。
若(し)爾(ら)不者[は]正覚(を)取(ら)不[し]。
※( )内及び句読点は筆者補記、[ ]はフリガナ。
『論註』下巻・一切所求満足功徳(『定親全』8加点篇(2)、101頁)
⑦同上、主功徳
「若し人一たび安楽浄土に生ずれば、後の時に意三界に生じて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて願に随て生を得て三界雑生の火の中に生ずと雖も、无上菩提の種子、畢竟じて朽ちず。何を以の故に、正覚阿弥陀の善く住持を逕るを以ての故にと」(同上97~8頁)
 同上、一切所求満足功徳
「彼の国の人天、若し他方世界の無量の仏刹に往て諸仏・菩薩を供養せんと欲願せん、及び所須の供養の具、願に称わざること無けん。又彼の寿命を捨てて余國に向いて生じて偱短自在ならんと欲わん、願に隨て皆得。未だ自在の位に階わずして自在の用に同じからん」(同上、101頁)
 等参照。
⑧⑨⑩義山本『論註』(『浄土宗全書』1、248頁)
⑪⑫龍樹『十住毘婆舎論』「易行品」(『真聖全』1、253頁)
⑬⑭『論註』(『定親全』8加点篇(2)、142頁)
⑮「証巻」所引『大経』(『定本』196頁)
⑯以上、『末灯紗』第3通(『定親全』3書簡篇、70頁)
⑰「信巻」所引『観経序分義』(『定本』149頁)
⑱龍樹『大智度論』巻74
「是を菩薩、無生忍の法を得て菩薩の位に入ると名づく。阿鞞跋致と名づく。」(『大正新修大蔵経』25、580頁a)
⑲慧遠『大乗義章』巻12
「無生忍とは、境に随って名と為す。
理、寂にして起らざるを称して無生と曰い、慧、此の理に安んずるを無生忍と名づく。
亦名づけて相を遣るを目と為すと為すことを得。
此の忍を得る時、生相を捨離す。
故に無生と曰う。……
無生忍とは通じて亦遍く在り。
別しては則ち不定なり。
龍樹の説くが如く、初地已上にも亦無生を得と。
若し仁王及与び地経に依らば、無生は七・八・九地に在り。
下は七地に在って初めて無生を習い、中は八地に在って無生を成就し、上は九地に在って無生忍満す。」(『大正新修大蔵経』44、701頁b~702頁a)
⑳『菩薩瓔珞本業経』巻下
「仏子よ、発心住とは、是の人、始めの具縛の凡夫なるより、未だ三宝聖人を識らず。
未だ好悪の因と果とを識らず。
一切識らず解せず知らず。
仏子よ、識らざる始めの凡夫地より、仏菩薩の教法に値い、中に一念の信を起こして、便ち菩提心を発す。
是の人住前にして信想の菩薩と名け、亦は仮名の菩薩と名け、亦は名字の菩薩と名く」(『大正新修大蔵経』24、1017頁a)
㉑ちなみに義山本『論註』ではこの箇所は、
「願に言わく、……
仏の願力に縁るが故に、常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の德を修習す。
常倫諸地の行を超出するを以ての故に、所以に速かなることを得。三の証なり。」(『浄土宗全書』1、255頁)
と訓まれている。
㉒「証巻」所引『論註』(『定本』205頁)
㉓『大経』(『真宗聖典』26頁)


『真宗教学研究』第18号(真宗教学学会・1996)掲載の論文を加筆・補訂)


※文中、読者の便をはかるため、文献引用の箇所では漢文を書き下し文に、旧仮名使いを新仮名使いに改めた。


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