真宗大谷派大谷婦人会機関紙『花すみれ』掲載法話 |
諸行無常 『平家物語』の有名な冒頭の一節 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。に、「諸行無常」という言葉があります。 「諸行無常」とは、「この世のあらゆる事物・現象(諸行)は永久不変(常)ではなく、すべては移ろいわっていく」という意味の仏教語で、「諸行無常」であるがゆえに盛者必衰―栄華を極めた平家一族も遂には滅亡してしまったわけですが、なぜ諸行が無常かといえば、あらゆる存在(諸法)にはそれ自体に固有不変の「実体」(我)があるわけではなく(諸法無我)、縁(条件)によって刻々と生滅変化していかざるを得ないものだからです。 (これを「縁起の理法」と言います。) 『平家物語』を始めとする様々な文学作品にも登場するこの「諸行無常」という思想は、今もなお日本人の精神生活の根底に息づいているように思われます。 たとえ『平家物語』の一節や「諸行無常」という言葉自体を知らなくても、形あるものはいつか必ず滅び、出逢った人達とはいつか必ず別れていかなければならないということを日本人ならば誰しもが心の片隅に感じて生きているのではないでしょうか。 しかし、いざ実際に「諸行無常」を思い知らされる場面に出遭った時、その現実の残酷さゆえに、私たちの心は千路に乱れ、時に慟哭(どうこく)すらしなければなりません。 「露の世は……」(小林一茶) 江戸時代の俳人小林一茶(1763―1828)に 露(つゆ)の世は 露の世ながら さりながら という句があります。 また、平安時代の歌物語『伊勢物語』には、 病して弱くなりにける時よめる という作者在原業平(ありわらのなりひら825―880)の辞世(じせい)とも言われる歌が載っていますが、この歌からは突然に死を目前にした業平の驚きと恐れ、あるいは、こんな最期が来ると解っていたなら別の生き方もあったかも、といった後悔すら読み取ることができます。 私自身、昨年夏に体調を崩した際には、もう若くはない自分の身体のこと、自坊(じぼう)や家族の今後のことなどをあれこれ思い悩み、「諸行無常」の厳しさを改めて感じざるを得ませんでしたし、僧侶としてご門徒の前で老・病・死について語りながら、あくまで自分の想像の範囲内でしか語っていなかったことに気づき、深く反省させられました。 「ありがとうと言って死にたいんだ」 昨年の12月初め、学生時代の後輩の訃報が飛び込んできました。 卒業以来直接会うことこそなかったものの、数年前にSNS上で再会し、自坊の住職として元気に活躍する姿に「俺も負けていられないな」と励まされていた矢先のことでした。 数日後、SNS上で娘さんによる「報告」がなされ、死の直前の状況が伝えられました。 11月下旬、背中の痛みを訴え、救急車で搬送された彼は、検査の結果、末期の膵臓癌と診断され、わずか10日ほどの入院の後亡くなったそうです。 その折、彼らが受けたであろうショックや告知以降の心情は察するに余りあります。 それでも彼は「最期まで勇敢」で「最後まで真っ直ぐに人と向き合う人」(娘さん・談)だったそうです。 中止の声もあった11月末の自坊の報恩講(ほうおんこう・親鸞聖人御正忌)に車椅子で出席して挨拶をし、亡くなる前日までお子さんたちと言葉を交わし、最期は薬の影響で意識が混濁(こんだく)する中、 「ありがとうと言って死にたいんだ」と呟きながら、奥様に看取られて息を引き取ったそうです。 無念の想いがなかったはずはありません。 けれど、彼は自分の人生を空し終わらすことのない「智慧」を、「生き方」を、仏法との出遇(であ)いを通して確かに獲得していたのでしょう。 「露の世」を、無常の人生を完全燃焼して生き切ったのだ。 彼の「遺言」とも言える「呟(つぶや)き」から、私はそう考えるのです 。 本願力にあいぬれば (大谷婦人会『花すみれ』2016年10月号掲載の原稿に加筆・訂正) |
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