法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
婦人会創設70周年記念法座・住職挨拶(2007年6月24日)
 
 

「貧者の一灯」
 

 皆さんは『貧者の一灯』という言葉をご存知でしょうか。

 今から2500年ほど前、お釈迦さまは35才ブッダガヤの地で悟りを開かれ、80才でクシナガラでお亡くなりになるまでインド各地を放浪(巡錫)して法を説かれました。

 『賢愚経』によれば、ある時、お釈迦さまがコーサラ国の祇園精舎にご滞在の折、その高名を慕って多くの人々が集まりました。

 日が暮れた後も続いてお釈迦さまの法話が聞けるようにと、国王を始めとする多くの人々が灯明用の油を寄進していました。

 お釈迦さまの説法を聞きに集まった大勢の聴衆の中に物乞いで生きる一人の老婆ナンダがいました。
 食べ物にも事欠く貧しさの中で彼女はその日の稼ぎを全部投じて僅かな量の油を買い求めました。

「せっかくの稼ぎをなぜ?」といぶかしがる油売りに彼女は、

「自分も何としてもお釈迦様に供養したい。
 そして、この功徳によって自分もいつかお釈迦さまのごとく悟りを開き、世の闇を智慧の光で照らしたいのだ」

と答えました。

 彼女のこの志に感動した油売りが幾ばくかの油を余分に与えて、やっと灯明一つ分に足るだけの僅かな油を手に入れた彼女はそれを惜しげもなく寄進し、彼女の灯明は他の幾万の灯明と共に会場を明るく照らしました。

 翌朝、すべての灯明は消えていましたが、彼女の捧げた灯明が一つだけ赤々とともっていました。

 お釈迦様のお弟子の目連(もくれん)尊者がそれを消そうとしたのですがなぜか消えません。
 目連尊者は「神通(じんづう・超能力のこと)第一」といわれたほどの弟子ですが、その方があらゆる手段を用いて消そうとしてもどうしてもその火は消えなかったのです。

 昔観た『釈迦』(1961年/監督・三隅研次)という映画では、老女は油を求めるために自分の髪を売り、お釈迦さまの従弟で仇敵のダイバダッタがその説法を妨害しようと強風を起こし灯明が次々と消える中、老女の灯明だけは輝き続け、お釈迦さまはそれを頼りに淡々と法を説き続けられた、という具合にアレンジされており、そちらの方をむしろ大変に印象深く覚えています。

 西念寺婦人会もまた一地方都市米子の、その片隅のちっぽけな集まりでしかありません。
 しかし、70年間、間違いなく「貧者の一灯」を捧げ続けてきました。

 今、世の中は

「所詮この世は金と力」
「人間なんてくだらないものだ」

という考え方が、それこそ世界中を席巻しています。

 そんな世の中だからこそ

「人間はそれだけではない。
 それだけでは人間、死んでも死に切れないのだ」

という声を、そして今後も「西念寺婦人会」という名の「貧者の一灯」を、皆様と共に掲げ続けていきたい。
 そう願う次第であります。

 本日はありがとうございました。

(「西念寺婦人会だより」2007年9月号掲載)


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