視聴覚ライブラリー 真宗大谷派 西念寺  
 
 

住職の素人「米作り」体験(2006年秋)

 
 
 
 

閑話休題
                      
― 唐突に始まる「米作り日記(しかもブログ風) ―
 

 
 

 まだまだ残暑厳しき折ながら、わが家の「田んぼ」にも稲穂が実り始め、「秋近し」を感じる今日この頃です。

  えっ、街中のお寺の中に「田んぼ」って……?

 答はコチラ↓
 

 
 

 今流行(?)の「バケツ水耕」がこれ。

 息子(小4)が小学校の 課外授業(「すくすく田んぼの田植え体験」)のお土産に頂戴してきた苗をバケツに 「田植え」したところ、こんなにスクスクと育ちました。

 近所の店で土とバケツを買い込んで、

「こんなんで育つのかな〜〜〜?」

と半信半疑で始めた米作り。

 肝心の息子は、と言えばいたって無関心で、結局(←関係者の抗議により1行抹消)
 水やりはもっぱらおとっつぁんのお仕事。
 途中葉っぱが青虫に大分食われたりもしましたが、何とかここまでになりました。

 収穫まで後一歩というところですが、はたして無事に我が家の食卓に並ぶのでしょうか?

 ここまできわめて順調だった分だけ「何か」が起こりそうでコワイ……(^ ^ゞ)

                                    (以上、今回は「ブログ」風にまとめてみました。)

(2006年8月30日)

 「葉っぱが青虫に大分食われた」とありますが、当然その時何匹も青虫を潰しました。
 (「俺の米に何するんだ」という圧倒的な怒りと、それから「申し訳ないな」という気持ちをほんの少しばかり抱えながらですが)

『生きていくために人は何かを犠牲(踏み台)にせずにはいられない』
『生きるということは罪深いことだ』

 これはやはり素人(片手間に米を作る人間)の感傷的なコメントに過ぎないのでしょう かね……。

 
 

そして、「何か」が起こった。 
                            ― 「台風一過」編 ―

 台風北上中の朝。ふと外に出てみると……

 
 


い、稲が、稲がああああああ………(絶叫)
 

 
 

 大慌てで応急処置。(こんなんでいいのか、しかし……)

 た、「台風13号」め……ノ(;´Д`)ノ

 作業を終えてふと周りを見ると、

ん……?

 
 
 
 


な、何と、大豊作

 早速、子供たちを呼び集めて「栗拾い」を開始

 
 


結果、大収穫!!

 た、「台風13号」め……ノ(´∀`)ノ

《本日の教訓》
  「好事魔多し」
  「禍福はあざなえる縄の如し」
  「人間万事塞翁が馬」……

(以上、「再びブログ風」でした。)

(「……ところで、稲はどうなったの?」by影の声
 「?…ハッ!!!(;゚Д゚)
 「……忘れてたわけね」)

(9月18日)

 連日の雨で 根元の土が流されていたのが「倒壊」の原因ということで、結局、大量に土を継ぎ足し 、何とかそれなりに持ち直しました。(当然、完全に元通りというわけにはいきませんでしたが……)

 
 

いざ、収穫。
                
― 「稲刈り」編 ―                 

「実るほど 頭(こうべ)を垂(た)るる 稲穂かな」(武者小路実篤)

  ……って、「土下座」してるのまでありますけど。

 
 


……というわけで、いざ収穫へ。

(息子の体験授業の方はとっくに「稲刈り」も「脱穀」も終わっているというのに……)

 
 


「稲刈り」!

(カマではなく花切りバサミで刈りました。)
 

 
 


 「はぜ掛け」!!

(一応「天日干し」です。)

この後、「脱穀」「精米」と続いて食卓に上がるわけなんですが……一体どうやりゃいいんだろう?

だ、誰か足踏み脱穀機を貸して下さい。ノ(;゚Д゚)

せ、千歯(せんば)こきでも結構です。m(_ _)m

(10月19日)

 
 

収穫はしたけれど……
        
― 「脱穀」編 ―

 

 
 


「はぜ干し」開始からそろそろ2週間。
もう充分に乾燥できた、というわけでいよいよ「脱穀」へ。

 
 


 「熊手を使ってみたら」という息子の意見を採り入れ、試してはみたものの、どうにもうまくいかない。

 結局、

「人間の手」程便利な「道具」はない!

というわけで、全部手、つまりは爪でひと粒ひと粒しごき落としました。
(そ、そんなに「暇」なのか、俺は……(^ ^;;))

 バケツ2杯分の稲から採れたのはたったこれだけ。
 「精米」したらせいぜい一合ちょっとぐらいか。

 う〜む、

「食糧自給」への道は険しい!!

 
 


 「脱穀」が済むと当然そこには「廃棄物」、つまり「稲藁」が出るわけなんですが、これを見た連れ合いがひと言

「わらじが編んでみたい」

……な、ナンとでもやってくれ。

(そう言えば日本って「リサイクル社会」だったのね。
 それもつい半世紀前ぐらいまで……(^ ^;;;))

以下、「もみすり」「精米」と続く……はずです、多分。

(10月31日)

 結局、「精米しても大した量にはならないだろう」ということで、全部「種籾」として保存しておくことにしました。
 「今度は苗づくりから始めようか」と思ってはいますが、実行に至るかどうかは来春になってみないと……(「尻切れトンボ」の結末でどうもスイマセン。m(_ _)m)

(ところで、一度干した籾ははたして種籾として使えるのでしょうか。
 ……ふ、不安だ。 )

 
 

後日談 
                            ― 「おまけ」編 ―

 稲刈りを終えて数日経ったある日、ふとバケツを覗いてみると……

 
 


何と、もう新しい茎が生えてきている………(驚)

驚嘆すべきは稲の「生命力」!

それもそのはずで、バケツをひっくり返してみると……

 


バケツの底まで根がビッシリ。

植物に限らず、何事も、大きく伸びようと思ったら「根っこが肝心」ということなのでしょうか。

(11月2日)

 刈り取られてなおも新たな茎を伸ばそうとする稲を見て思ったことですが、私たち日本人がなぜ「米」に拘(こだわ)るのかと言えば、大量に収穫できるという 物理的な理由よりもむしろ、その類まれなる生命力を礼賛するという日本人の精神性(メンタリティー)に因っているのかも知れません。

 大体、私たち日本人が寿(ことほ)ぐものと言えば、植物ならば松・竹・梅、動物ならば鯉や亀といった生命力旺盛なものばかりです。
 そう考えてみれば、還暦・古希……白寿といったいわゆる「長寿」のお祝い事も、その人の頑健さ、すなわち生命力を祝いあやかろうとする行事であるとも言えます。

 数ある植物の中でも「米」に対して私たちが抱く特別な思いというのは、私たちが想像するよりもっと深いところ(日本人の「血」?)から 来ているのかも知れませんね。


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